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ダウン、レイン

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高い位置のちいさな換気用窓の外は、気味が悪いほど赤かった。その空は現実なんかではなくて、それを模したただの絵だと言われたほうがよっぽど納得できてしまう。そとで酷い火事でも起きているような赤色。それでもしれは確かに炎の赤などではなく日差しの朱で、差し込んだ日差しが倉庫の中に歪んだ四角を作っていた。見下ろすその窓の中も、当然のようにやたらと眼に残る朱だ。そして戸宮はどこからかわき出した水に足を取られながら、死ぬのかもしれない、と今更ながら断じていた。
 
 放課後の体育倉庫に閉じ込められる。それはとても怖いが、どうにか一晩乗り越えられないほどでもない。降り切ったシャッターをどうにか開けようと四苦八苦して指の爪を三枚ほど剥いでしまった挙句、戸宮は諦めを認める代わりにポジティブに考えようとした。

 実際、そんなに大したことではない。夜には警備員の見回りがあるし、最悪明日になれば体育で使うときに開けるだろう。だから自分なんて消えてしまえばいいという被虐趣味や、世界がここだけになったようなつまらない孤独、何かあってこのまま死んでしまうかもしれないという妄想からできるだけ目をそらして、つかまらないように動き回る。それが唯一戸宮が身に付けていた恐怖への対処法であった。バランスを崩せば道を歩くことさえできないような恐ろしい世界を、戸宮は今までそれ一つでどうにか渡り切ってきたのだった。いや、へばりついてきたといった方が正しいか。

 だから今回も大丈夫だろうと、閉じ込められてから二時間、何度となく声に出して言い聞かせた。あまりに恐怖が肥大した時は、コンクリートの壁を節操無く殴りつけて痛みに集中した。圧迫する恐怖に潰れる自身の音を聞くのは、訳の分からない命題ばかり生み出す息苦しい時間だ。生々しいと言ってもいい。潰れていく音が骨と肉に響くのだから。

 しかしここにきてさらに異常な事態が起こった。倉庫に水が流れ込んできたのだった。

 窓の外は赤く晴れている。雨など音一つしない。どこかの配管が壊れたのかと原因を探したが、結果としてわかったことはどういうわけか、倉庫そのものから水が滲んできているとしか思えないということだった。床でもある灰色のコンクリートは一秒もしないうちに色を変え、シャッターの内側からもコンクリートブロックでできた壁からも、汗のようにじわりと水がにじみ出て線となって溜まっていく。ぽたりと頬を打ったと思ったら、天井からも水が出ていた。

 はじめはゆっくりとせりあがるようだった。しかし量が増えたのか心理的な効果か、くるぶしに届く辺りから急に水かさが増してきたように思えてならない。とりあえず靴を脱いで平均台の上に移動したが、この倉庫は校庭で使用する体育用具をしまってあるのだ。人が乗れるような高さのあるものは実はそれほど多くない。これが体育館倉庫ならとびばこがあっただろうに。

 とりあえず靴紐を持って靴をぐるぐる回しながら、戸宮は呼吸がどんどん浅くなるのを感じていた。自分の体だというのに皮膚が異様に冷たく、額のあたりに熱がこもっている。詳しい病名は不明だが、自分によろしくない変化が起きていることは理解できた。視界が混濁するのに肉体は不思議なほど明晰に動かせるのがいっそ腹立たしく、もてあました両手で靴を弄んでいなければ頭を掻き毟っていたかもしれない。恐ろしいことだ。

 戸宮は視線を床から壁に移す。右側の壁のはるか上部、どうやって開けるのかもわからない小さな窓。たとえ水があそこまで登ったところで、窓から出ることは不可能な気がした。あんな朱色の中になんて。

 水かさはやはり増してきている。四方を囲む壁からはもはや小さな滝のようにかすかに音を立てながら水が出てきている。天井から落ちる雫がひっきりなしになったものだから、倉庫の中は随分煩くなった。死んでしまうかもしれない。ぎちぎちと、奥歯が砕けるほど歯を食いしばる。きつく目をつぶると瞼の内で花火のような、いや歪んだ光のような幻影が広がった。痛みに集中して妄想を放棄する。口の中で血の味がして、そのどろりとした濃さに、なんだか妙に安心した。

 水位はすでに肩まで上がってきていた。服のせいか何かは分からないが、その水の中ではひどく体が重かった。浮力ではなく重力が働いているような、引きずり込むような重さだった。いやだ。戸宮はひゅうひゅうとしかならない喉で目一杯叫んだ。俺はそんな所に行きたくはない。

 ふいに、引っ張られる感覚で平均台から突き倒されるように落ちた。轟と耳元で音がした。水に流れが生じたのだと分かったのは、その方向に滑るように引っ張られて目を開けた時だった。シャッターが開いていた。その向こうに人間が見える。見覚えのある制服。警備員だった。

 警備員は戸宮を覗きこんで、何してんだ、大丈夫かと声をかけた。それに何とか頷いて、自分の体が乾いていることを確認した。ただどこに流されてしまったのか、靴の左側は探してみても見つからなかった。警備員は戸宮がシャッターから這い出るまで待っていてくれた。外に出てみるとあたりはもう薄暗く、遠くで太陽が周囲の雲を淡く染めている以外は濃い群青の夜だった。見上げた鼻先に、ぽつりと雫がぶつかる。身をすくませた戸宮のかわりに、電灯を空に向けた警備員が、あ、雨だ、子供のようにつぶやいた。
作品名:ダウン、レイン 作家名:七瀬