小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

「月傾く淡海」  第四章 二つの王統

INDEX|2ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 だがその頃、大陸から異国の騎馬民族が豊葦原に侵入を始めていた。
 越の国を侵略した騎馬民族は、そのまま南下して高島を攻撃した。彼らは三尾族を虐殺し、富を奪い、高島を占領しかけていた。
 その時、淡海の反対側から、一族の軍を率いた真人王の船団がやってきた。息長と三尾は湖上を行き来して交流が盛んであり、古くからの友族だった。
 息長軍は騎馬民族を打ち払ったが、彦主人王や振媛を始めとした三尾一族の大半は既に殺されていた。この時、事実上三尾氏は滅亡したのである。
 深海は、今でも鮮明に覚えている。
 大地は、おびただしい血で覆われて異臭を放っていた。 草原に、累々と死骸が打ち捨てられている。あちこちで火の手があがり、空は黒煙で覆われていた。
 この冥府のような世界に、動くものは何もない。恐ろしくて恐ろしくて、深海はただ狂ったように泣き続けていた。
 どれくらい泣いたか、時間さえもわからなくなった頃、何か大きくて暖かいものが、自分を抱き上げた。
 それが腕で、自分を抱いているのが人だと判った途端、深海は必死にそれにしがみついた。けして離れまいと小さな手で衣を掴んだ深海に、その人は言った。
『泣いても仕方がない。だが、お前は終わりではないよ。この私が、生きていく場所をあげるから』と……。
 真人王によって野州に連れ帰られた深海は、そこで首長の養子分として育てられた。
 館には、二つ年上の真手王がいた。二人はまったく気性が異なっていたが、それが逆に幸いしたのか、実の兄弟以上に仲睦まじく成長した。
「父上も、この息長の首長だ。単なる憐憫だけでお前を拾い育てたわけではない。父上には、一族を率いる王としての目的が--夢が、あった。そして、この俺にも、また」
 真手王は立ち上がり、深海の瞳を見下ろして言った。
「……深海。お前が、自分を救い育んだこの息長を思うのならば。どうか、我らの為に立ってくれ。長い間、山ごもれる青垣の国の奴らに占領されてきた宮殿に、淡海の楔を打ちこむことは、我ら息長の悲願だった。--物部に、担がれるのではない。我々が、奴らを利用するんだ。--なあ、深海。俺はな、お前を旗印とした、新しい淡海の王朝を創ってみたいんだよ……」


 夜明け前、倭文は一人で御館の裏手を歩いていた。
 秋とはいえ、この時刻は既に冬に等しい寒さである。羽織った襲の前をかきあわせながら、倭文は出来るだけ気配を立てぬように急いでいた。
(とんでもないことになったわ……)
 まさか、この地で物部の大王擁立に出くわすとは。
 このままここにいれば、否応無く厄介ごとに巻き込まれる。誰にも正体を悟られぬうちに、早く出ていかなければならないと思った。
 別棟で眠っているはずの稲目を起こし、そっと連れ出さなければならない。気を急きながら供人の室に向かう倭文の背中に、不意に声をかけたものがあった。
「……こんな時刻にどちらへ行かれるのかな。葛城の姫君」
 倭文は立ち止まり、無表情で振り返った。
 僅かな星明かりに照らされて、一人の長身の男が立っている。
「確か、倭文姫と、いわれたかな」
「……物部の……」
 倭文は苦い声で呟いた。
「意外にも、言葉を交わすのは初めてでしたな。しかし、あなたのことは、何度も宮殿で見かけておる。姫のお姿は、ひときわ印象に残るものですよ。ご自覚はおありですかな?」
 物部の荒鹿火は、悠揚とした物言いで問う。
 甘かった、と倭文は思った。
 たしかに大豪族である葛城と物部は互いによく宮に上がっているし、相手を見かけることも多い。だからこそ倭文は荒鹿火の顔を見知っていた。
 しかし倭文は、荒鹿火は自分の容貌などあまり覚えていないだろうと、たかをくくっていたのだ。
 宮に上がるときはいつも、褐色の髪を黒に染めているし、面立ちが変わるほどに化粧もさせられている。
 大体豪族の姫たちは、いつも御簾の内にいるか、領巾で顔を隠しているかして、己の姿をはっきりとは見せないのが常だった。
「まさか、葛城に先を越されているとは思いませんでしたよ。しかも、長みずから動いておられるとは。--目的は、我らと同じかな?」
 言葉は丁寧だったが、彼の口調には曖昧な答えを許さない強さが込められていた。
「……勘違いされているようですね」
 襲の被りを脱ぎ、倭文は平然と荒鹿火に言い返した。
「葛城の首長は我が弟、香々瀬。私はただの王族の一人に過ぎません。物部の大将軍ともあろう者が、そのようなこともご存じないので?」
「『顔』が誰であろうと関係ない。肝心なのは動かす『頭』を持っている方ですよ。それは首長であろうと、大王であろうとね」
 荒鹿火も動ぜすに言い返した。
「もう一度問う。何の為に、葛城の姫は淡海におられるのかな。答えられよ」
「……さて。私がここへ辿り着いたのは、ただ我らが守り神の託宣に従ってのこと。尊い神の御心など、ただ人の私にはわかりませんな」
 内容は全て真実だったのだが、倭文はあえて空言に聞こえるように言い放った。
「神の託宣? --戯れ言は止められよ」
 案の定、荒鹿火は眉を顰めた。
「あなたが巫女姫でないことは、以前から聞いている。大体、神だの託宣だの、今の世にありもしないことを。そんなものは、権益を守ろうとする神祇達の形式でしかない」
 荒鹿火はにべもなく言い捨てる。
 だがこの頃、大半の人々は荒鹿火と同じような考えを持っていた。
 古からの神々は変わらず尊崇すべきものであるが、それは遠い異界に在るか、この世のどこかに空気のように漂っている霊性であり、具体的に姿を見せたり、その声を聞いたりできるようなものではない。
 各部族にいる祝(はぶり)は、人々の心の拠所の象徴として、それぞれの守護神を祀っているにすぎなかった神族は既に、敬いはするけれども信じる対象ではなく、具体的に恵みや祟りを下すものではなくなっていた。
 当然、葛城の人々も、一言主を「葛城山のどこかにいるかもしれない護り主」として畏れている。まさか本当に人の形で存在していて、語って託宣を下す者だなどとは、夢にも思ってはいないだろう。
 葛城山は、古くは王族のみが立ち入ることを許されていた国見の山だったが、今ではその王族でさえも、霊山と畏れて踏み入らなくなっている神域だった。
 葛城山の中に、実際に一言主が棲んでいることを知っているのは、一族の中でも倭文ただ一人だけである。
 別に、一言主から口止めされていたわけではなかった。ただ単に、言ってもどうせ誰も信じてくれないだろうから、黙っていたのだ。
 実際一族の者は皆、倭文を、一人だけいつも葛城山へ出かけていく変わり者の姫だ、と思っていた。
 ただ、現し神と話せるとはいっても、倭文は荒鹿火の言うように、生まれつき巫女の力を持たない。
 一言主と今のような関係になったのは、たまたま幼い頃、蛮勇から葛城山に踏み入った倭文が、偶然姿を現わした一言主に、(不幸にも)気に入られてしまったからだけなのである。
 しかしそれだとて、長い間ひとりで過ごしていた一言主が退屈しきっていたところに、自分が出くわしてしまったからだけだろう、と倭文は思っていた。
(まあ、あなたが信じてるのは、武力と権謀だけなんでしょうね……)