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島の左近

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 そして、主である三成が度々見せる独断の発言や人の神経を逆撫でさせるような発言を耳にしては、それを諫め、助言する。
 島左近とは、そんな男であった。

 また、左近は先に記したように、策を練らせても使える男であった。
 三成の「天下の平安は秀吉の恩」発言から数ヶ月。情勢は三成や左近の危惧していた通り、再び戦乱の世へと戻ってしまった。
 相手は、豊臣秀吉に仕えている内大臣・徳川家康である。
 まさに、天下分け目の決戦・関ヶ原の戦いが今にも起こりそうな状況だった。
慶長五年九月十五日(一六〇〇年十月二十一日)――。
 この日も、左近はその智勇の限りを尽くしたが、実はその前夜、慶長五年九月十四日(一六〇〇年十月二十日)にもその勇姿を披露していたのだ。
 そう、杭瀬川の戦いである。
 九月十四日。その日、石田三成率いる西軍は大垣城にて滞在中、そのすぐ近くである美濃赤坂に東軍総大将である徳川家康が到着したとの知らせを掴んだ。
 これは、東軍以上の寄せ集めであった西軍にとって、畏怖すべき事態であり、次々と兵たちが逃げ出し、合戦前からその士気は下がる一方であった。
 その時、この事態を打破すべく三成へと意見したのが左近であった。
「……殿、このままではこの戦。始まる前から我らの負けは決まったも同然でございます」
「分かっておるっ」
「そこで、この左近めに考えがございます―――」
 三成にその考えを打ち明け、許可を貰った左近は味方の中から数名選び、引き連れて杭瀬川へと向かった。
 杭瀬川は、西軍のいる大垣城と東軍のいる美濃赤坂との丁度真ん中に流れる川である。
 左近はまず、杭瀬川付近に伏兵を忍ばせてから、東軍武将・中村一栄の一軍を挑発した。
挑発に乗った中村は、荒々しく馬の腹を蹴る。
「島の左近の首、この中村一栄が貰い受ける!!」
 中村の後に軍は続き、小競り合いが始まった。小競り合いの音を聞いて、有馬豊氏がやってきてからは、小競り合いから乱戦へと大きくなり、両者に多少の被害が出始めた。
「この辺りが、頃合いじゃ」
 左近は馬の手綱を大きく引くと、味方へと撤退の合図を送った。
無論、このまま左近を逃すほど東軍武将も甘くは無い。
 必死の追撃を始めた。中村・有馬両名には、この撤退が左近の敗北による撤退だと見えたのだろう。
 伏兵の存在になど気づかず、我こそが功を取らんと駆けた。
 左近は、自らが囮となり敵を自陣が引いてある場所までおびき寄せたのだ。
 中村・有馬が吹く兵の存在に気づいた。しかし、時すでに遅し。
 退くには敵の中枢に入り込みすぎていた。
「伏兵部隊、前へぇっ!!」
 左近が合図を送ると、潜んでいた伏兵たちが一斉に中村軍に、有馬軍に突進し始めた。
 横を取られた両軍は乱れに乱れ、手痛い被害を受けることとなった。そこへ、西軍宇喜多家の家臣・明石全登が参戦し、中村は家臣・野一色頼母を失うなど東軍は四十余名を失った。対して西軍は無傷と言ってもいいほどの快勝であった。
 これを知った大垣城で待機していた西軍は活気づき、その士気を回復させていったのである。この時の左近が得た勝利は、もう少しで自滅していた自軍を支えなおしたともいえる。
 一方、敗れた東軍は、あわよくば大垣城を攻め石田三成の首を取ろうと考えていたが、この敗北で敵の士気の高さを知り断念。勝負を関ヶ原の地へと先送りすることにしたのであった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 そして、始まった関ヶ原の戦い。
 数の上から見ても、東軍の優勢は覆せないことは明白であった。
 しかし、三成は退くことができなかった。
 その意を理解して、左近もまた陣を張る。
 途中、前線で戦っていた左近は黒田如水の鉄砲を浴び、一時手当てのため三成のいる陣まで引き下がった。
「左近……」
「殿、左近はこの程度では死にませぬぞ。しかし、状況が最悪なのも事実。……いつでも、この戦場を抜けられるよう、ご準備の程を」
 短い言葉の交わしだった。
 左近は、早く前線へ戻らねばならなかった。自分の空けた穴を、蒲生卿舎らが持ちこたえてくれているのだ。
 自分だけがのうのうと休むわけにはいかない。
 左近が再び戦場へと舞い戻ろうとした時、
――小早川の裏切り。
――西軍の崩壊。
――味方の敗走。
その報が届いた。
「……左近。どうやらここまでのようじゃな」
「左様でございますな。……さぁ、殿。ご撤退の準備を早ぉ」
 左近は、未だ止まらない血を流しながら兜の緒を締めなおす。
「……刑部(大谷吉継)も、死んだそうじゃ。小西は行く方知らずじゃし、島津は動かん」
「まだ、殿がおられます。殿がおればこその西軍。さぁ、総大将とともに逃げおおせ、再起の時をお待ちください」
 それまで自分が時間を稼ぐゆえ。
 左近は肩を落とす三成の横を通り抜け、馬を引いてこさせる。
 三成もまた、左近に背を向けたまま家来の連れてきた馬に跨る。
「殿。どうか、お元気で」
 左近の言葉が三成に届いたかは、わからない。
 言葉と同時に三成は馬の腹を蹴り、戦場を後にした。
 左近は、三成を乗せた馬の蹄の音が聞こえなくなるまでじっとしていた。
――嗚呼、儂はここで終わるのじゃろう。
――まぁ、良い。
――殿のような面白い御仁に出会えた、それで十分じゃ。
 左近が、馬の腹を蹴る。
 三成の首を求めて陣に向かってくる有象無象の武士の中へ、斬り込んでゆく。
「我は石田三成が家臣、島左近清興じゃっ!! 殿のもとへは何人たりとも行かせはせん! 行きたくば、この首を取ってからにせいっ!」
 少数の兵を三成の護衛につけた。残った兵力は微かなもの。
 耐えられるはずが無い。
 それでも左近は、残った者たちに指示を与える。
「敵を一人でも多く討ち取れぃっ! かかれぇぃっ!!」
 死を覚悟した人間は、何にも恐怖を抱かない。それゆえ、退くことを知らずただ前にだけ進む。
 左近は斬った。自分で言ったとおり、一人でも多くの東軍を、裏切り者たちをその手にかけていった。
 途中から、記憶が無い。ただ我武者羅に刀を振るい、敵を斬り、敵に斬られてを繰り返した。
 左近が目を覚ましたのは、関ヶ原から遠く離れた土地だった。

 あれから、幾日か過ぎたという。
 関ヶ原で殿を逃がすため、時間を稼いでいた左近も力尽き、その場に倒れた。
 そこを家来らが必死に救い、逃がし、この近くまで馬に運ばれてきたようだ。
 何はともあれ、左近は生きていた。
 一度は死を覚悟したが、しぶとく生にしがみ付いた自分に苦笑する。
 その時、左近を匿っている家の者が言った。
『京の都で石田三成の処刑が行われる』
 それを聞いた左近は飛び起き、傷の痛みを忘れたかのように馬に跨った。当然、家の者は止めたが左近は聞かない。
 馬を走らせ、京を目指す。幸いにも、左近が匿われていたところは京の都のすぐ傍だった。
 ……左近が京の町に着いたのは、家を飛び出して日を変えた夜中であった。
闇夜に紛れて歩く左近。さすがに夜中では、人の気が少ない。
 広い京の都の中、処刑と名のつくものに関連があるのはたった二箇所だけ。執行場所の六条河原と首を晒す三条河原。
 左近は、三条河原を目指した。
作品名:島の左近 作家名:ちょん