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手のひらの温度

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ガラスを一枚隔てた向こう側で、日が昇ってから沈むまで飽くことなく蝉の大合唱が聞こえる。その泣き声と競うように夏の日差しも増していく。
 よくもまあ摂氏三十五、六度になる気温の中、何の空調もなしに六時間も授業に集中しろというもんだ。七月に入った学校なんて授業どころではない。とにかく暑さに耐え抜くことが一番の課題になる。その中でさらに普段どおりの授業だから、夏は一年の間で一番体力を消耗する。学校に通うだけでヘロヘロだ。
 だからわたしの最近の日課は、放課後に生徒会室でだらだらすることだった。学校内で唯一自由に出入りできる冷暖房の完備された部屋だからだ。
 もちろん生徒会室に来るからには仕事もするけれど、この一週間は仕事より生徒会室の黒いソファで昼寝をすることの方が主になっていた。ここでの昼寝は誰にも邪魔されないし、涼しいし、何よりふかふかのソファで横になれるというところが一番いい。
 この日も六時間必死こいて灼熱に耐え抜いた後、こうして生徒会室で秘密の昼寝をしていたところ、珍しくそれを阻害されたのである。
 そんな気持ちのよい眠りを妨げられたら不機嫌になるのは当然のことで、それをわかっていたから、彼も怒らなかったのだろう。精一杯眉間に皺を寄せて目を覚まし、一番に視界に飛び込んできたのは、なんと、苦笑を噛み殺した生徒会長だった。
 びっくり仰天どころではない。そのまま飛び上がって土下座したい衝動を堪えるのに大変だった。なぜそうしなかったって、そりゃあ、やったらやったでこの会長が笑い転げることは必須だからだ。そんなことになったらこっちが消えてなくなってしまいたくなる。
 そんなところで眠ったら風邪を引くよ――と会長はいつもの優しい口調で囁き、わたし越しにカーテンを開けた。
「うそ……もう真っ暗だったんだ」
「そうだよ。一体いつから眠っていたの?」
「ええと……五時過ぎまで仕事をしていたところまでは覚えているんですけど」
 どうりで、冷房が少し効きすぎていると思った。もう焼け焦げにするような太陽が見えない時間とあって、流石にそれほど暑くはなくなっているのだ。だから冷房をつけっぱなしのこの部屋が冷えている。
 会長はうろ覚えなわたしの回答にそっと眉を顰め、眠る前に支度だけ整えておいたかばんをわたしの膝に乗せた。
「最近は忙しくしていたみたいだからね。疲れているのは分かるけれど。最終下校が過ぎてしまうよ」
 もうじき十八になる男の子にしては割りに長身の生徒会長は、ぼけっとしているわたしの手を取ると、ぐいっと引っ張って一気に立たせてしまう。
 一見して細身のこの人が、まるで軽い荷物でも扱うように軽々と腕を引くだけでわたしの身体が持ち上がる。なんて力持ちなんだ、ととりとめもなく考える間もなく、彼はそっと微笑を浮かべた。
 面と向かって微笑を浮かべたとき、僅かに首を左へ傾けるのは、彼の癖。そのときにさらりと肩口に落ちる、男の人にしてはちょっと長い黒髪が好きだ。それが猫っ毛でくしゃくしゃしている上に、猫のような目をしているから、ちょっと笑うと愛嬌たっぷりな顔になる。その顔も好きだった。
「もう遅い時間だからね。送っていこう。電車で眠っても起こしてあげるから」
 そう言って掴んだ手は離さないままに引いていく。それは決して強引ではないし、振りほどこうと思えばすぐにそうできるのに、わたしには振りほどけない。
 ――そんな優しい顔で「送っていく」なんて言われたら、眠気なんてすっかり吹っ飛んでしまうから、電車で眠れるわけがない。
 カッと頬に集中した熱が、それとは程遠い手のひらから生徒会長にまで伝わってしまう気がして、慌てて振り解こうとも考えた。大体、こんな暑い中でこんな温かなものを握っていられない。
 それでも温もりを嬉しいと思ってしまうわたしには、その大きな手を離すことはできないのだ。
作品名:手のひらの温度 作家名:愛菜