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超高らかに叫べ!

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やめて、来ないで、────お願い!
 悲鳴のような叫びを聞いて、チェシャはひどく愉しそうに笑いました。
 チェシャはアリスの声が大好きです。普段追いかけている罪人(ねずみ)などよりもずっと綺麗で甘いすてきな声。
 その声がこれまた美しく涙に縁どられて震え、怯えた響きでもって懇願するのです。チェシャは今にも天へと駆け上れそうな心地でした。
 壁を背に、追い詰められてしまったアリスがぽろりと涙を零し、それを見たチェシャがまた唇をきれいな三日月に歪め、
「ねえ、アリス?」
 歌でも歌うような声色でチェシャが言いました。
「僕は僕なりに僕のやり方で、君を愛しているんだよ」
           (『不思議の国のアリス姫』三巻 136ページ)


      ***


「…何読んでるの」

 唐突に降ってきた声を聞いて、ややうんざりした気持ちで顔をあげた。挿絵と垣間見えた文面で予測なんてできてるだろうに。用はただ単にわたしと話すきっかけを求めているだけなんだ、というのがうぬぼれでないとわかったのはつい一週間前のことだ。
 見上げた先で、変人と名高い三年の冴草(さえぐさ)双子先輩のかたわれが相変わらずの無表情でこちらを見ている。開け放しにされた窓から吹き込んできた風で、ふわふわの猫っ毛が静かに揺れた。
 針というか、研ぎすぎてちびてしまったナイフのような鋭さの瞳と
端的な言葉で常に人を寄せ付けないこの女の人は、名前を冴草凛(リン)という。黙って座ってればモテる、というのは、彼女”たち”に絡まれるようになってから少しだけ話すようになった図書委員の皆さんの言葉だ。わたしもそう思う。
 何読んでるの、ともう一度吐き出された問いかけに、わたしは何も言わずに、どすぐろい赤と霧のような黒で塗りつぶされたカバーを見せることで答えにした。

「…それ、アタシも好き」
「って先輩が散々言うから読んでみたんじゃないですか」
「どう?」
「正直吐きそうです」

 『不思議の国のアリス姫』というこの文庫本は、知り合った当初からなぜか凛先輩がしきりに勧めてきていた一冊だ。あんまりにも言われるものだからつい手に取ってしまったのが運の尽きだった。

 トランプの国の第一王女だったアリスは、父親である王が死んだのをきっかけに王位継承権を妹のリデルに譲って国を逃げ出そうとする。原因は母親ハーティの過剰すぎる(それこそ十八禁モザイク放送禁止用語のオンパレードな)愛情とそこからくる折檻と性的接触だ。
 ところが女王ハーティが愛し(過ぎ)たアリスを簡単に手放すはずもなく、彼女は逃げるアリスへ向けて、腹心の部下であったチェシャ猫を追っ手として放つ。「連れ返ってきて」と懇願して。「もうどこへも逃げないように調教して」と命令して。
 そしてアリスとチェシャ猫、その背後にいるハーティとのどこまでも救いのない鬼ごっこが始まった。

 何が恐ろしいって、こんな気が狂っているとしか思えないストーリーが既に六冊も刊行されていることが一番怖い。
 一巻では、アリスがハーティの愛情を受け続け(平均的な女子高生であるわたしにはこんな表現が限界だ)、最終的に逃亡してハーティが追っ手を放つ部分までがそれはもう教育上よろしくない表現をふんだんに盛り込まれつつ描かれ、二巻でアリスは追っ手であるチェシャ猫の存在に気付き、怯えたのちに結局捕まって手篭めにされる。
 もうその時点で臨界点ギリギリだったが、作者がうまいせいかわたしの秘められた性癖のせいかとうとう折り返し地点の三巻へと到達してしまった。できれば後者でないことを祈るばかりだ。
 ちなみに三巻でアリスは道中ちょいちょいとチェシャ猫にまた口には出せないようなちょっかいをかけられつつ女王ハーティのおわす王都へと連れ戻されている。
 普通ならここでバッド・エンド、物語は後味の悪いまま終わりを迎えるか、まるで測ったようなタイミングで王子様が助けに入るものなのだが、……。
 終わらない。あと三巻ある。それが一番怖い。
 なんで先輩はこんなのが好きなんだ。エログロ好きでも限度ってものがあるだろう。

「ここ最近で一番のヒット作なんだけど、それ」
「それ先輩の中でだけじゃないすか。いやこれはきついですよ」
「そう。……で、初。考えてくれた?」
「何度言われても答えは変わりませんていつも言ってるじゃないですか。ヤですよわたし」
「そう言われたから、この間、シンと相談したんだけど」

 先輩にしては珍しく真摯な声でそう言われ、生返事を返しながらぱちりと瞬きした。
 彼女が『シン』と呼ぶ双子のかたわれ。冴草真先輩というのだが、実のところわたしはまだ一度しかその人と話をしたことがない。それも冴草凛先輩と押し問答をしているときに半笑いで激励された程度だ。…いや、「まあ、あんまり粘ると大変だよ」って言うのは激励じゃ、ないか。
 冴草真先輩は────驚いたことに、そうやって呼ぶ人間は今わたししかいないらしい。そもそも冴草の双子に関わる人間が少ないうえに、その数少ない図書委員のみなさんも二人のことを名前で呼ぶことはない。たいていは双子兄・双子姉で済ませてしまうらしい。

「初に拒否権はない」
「ちょっとそれ横暴すぎやしませんか!」
「時間もないし、アタシたち焦ってるから。ね、前先初サン」

 にっこり。
 一年に一度見られるか否かという貴重な笑顔をこんなところで消費して、凛先輩はわたしのフルネームをそれはそれはきれいに発音してみせた。

「だぁから、わたしには無理ですって! だいたいなんでわたしですか!? 図書委員の皆さんでも良いじゃないですかぁ!」
「明の力は借りたくないだけ。アタシが初を見つけて、シンもいいって言ったし」
「いやいやあのそんなざっくりした決め方で良いんですかよくないですよね」

 言いかけた先輩の言葉を遮ってわたしはほとんど息継ぎなしで言い切った。たとえどんなに先輩とウマが合おうとも、これだけは譲れないのだった。

 うちの学校は県内でも有数の広さを誇る図書室を持っている。
 それなのに、本来そこに付随して、図書委員や司書の仕事場になるはずの「図書準備室」は存在していない。
 入学してしばらくして、それを司書の先生に聞いたら、なまぬるい微笑みとともに否定された。

──うちの準備室はね、《ない》んじゃなくて《移動してる》んだよ

 聞いた一週間後にその「移動する図書準備室」の現主の一人である凛先輩から後継者の指名を受けたのは何か見えざる意思が働いているような気がしてならない。
 いつから始まったのかわからないその慣わしは、同じようにどうしてそれが始まったのかもわからない。調べようとも思わない。
 ただこの段階で重要なのは我が校の図書準備室は校内を漂泊するものであり、その移動を一手に引き受けなければならない「主」になぜかわたしが選ばれてしまったということだけ。
 そんな面倒くさいこと絶対にお断りだ。
 まず、なぜわたしが選ばれたのかという、そこからして謎に包まれている。いくら聞いても先輩たちは楽しげに笑むだけでいっこうに答えようとしない。
作品名:超高らかに叫べ! 作家名:ひわだ