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愛の鞭

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 それはいつものように僕と彼女が街を歩いていた時でした。一瞬、僕は彼女を見失ってしまったんです。普通に歩いていて、ふと気付いたら、傍らに彼女がいません。僕は慌ててあちこちを見まわして探しました。そしたら、僕の数メートル後ろの方で、彼女は唇を引き結んでうつむいています。
「ごめん、見失ってた」
 僕は思わず謝ります。
「なんで謝るのよ!」
 けれど、いきなりそんな風に怒鳴られて、面くらいました。普通に、僕が彼女のことを置いて先に行ってしまったことに気づかなかったことが申し訳なかっただけなのに。僕が戸惑っていると、その目の前に細い手が突き出されました。
「手」
 何のことだろうと更に戸惑っていると。
「なんで、手つなごうとか言わないよ! またはぐれるでしょ!」
 彼女は僕の手を無理やり取って、僕を引きずるように歩きはじめました。
 僕はそんな彼女に振り回されるように、もつれた足で転ばないように彼女を追いかけようとします。
 なのに。
「……。なんで何も言わないのよ」
「何も、って」
 そんなことを言いだされて僕はほとほと困りました。彼女は一体何を僕に求めているんでしょう。
「なんでこんな無理やり引っ張りまわしてるのになんにも言わないの! って聞いてるの!」
「なんでって言われても……」
「こんな風に手握られたら離してとかなんとか言うでしょう、普通!」
 と、僕の前に突き出されるのは、彼女に握られた僕の手。彼女があんまり強く握るから、血が止まって白くて、ちょっとしびれてます。さすがに、これ以上握られているのはしんどいかもと思って。
「じゃあ、離してくれる?」
 そう言ったら、あっさり離してはくれたけれど、彼女はまたうつむいてぎゅっと唇を引き結びます。
 周りの通行人は僕達のやりとりに怪訝な目を向けていて、正直このままここにいるのは居心地が悪くって。
「あの、さ。ちょっとあっち行かない?」
 そう、声をかけるものの、彼女は動こうとしてはくれません。ますます周りの視線が痛くなってきて、僕は胃がキリキリ痛むのを感じました。
「ねえ……」
「そんなに、私と手をつなぐのが嫌なの?」
「いや、嫌なわけじゃないけど……」
「じゃあなんで、言ってくれないのよ!」
「え、じゃあ……、つなぐ?」
 おずおずと僕は彼女の前にさっきしびれたままの手を差し出します。
 けれど彼女はその差し出された手をひっぱたいて。
「じゃあって何よ! そんなに私の事が嫌いなの!?」
 僕はひっぱたかれてさらにじんじんする手をさすってどうしようかと天を仰ぎました。
 けれどそうする間に彼女はもういい、と怒って先に行こうとしてしまいます。
「あ……」
 僕は肩をいからせた彼女の背中を追いかけようとして、けれどでもそれができなくて、足を止めていました。僕は駄目な男だなぁとか、そんなことを考えながら、とぼとぼ歩きだそうとして。
 でもそしたら、彼女が僕の目の前にいたのです。
「なんで追って来ないのよ!」
 彼女は真っ赤な顔で僕に怒ります。唇をきゅっと引き結んで、なんだかどこか泣きそうな、そんな剣幕で。
「だって、嫌われたのかと思って……」
 彼女はずっと怒っているし、僕はそれに何も応えられないし。駄目な僕は、彼女にはふさわしくないのかなって。 
「嫌われたって何よ……。私はあんたが好きだから一緒にいるんじゃない! じゃなきゃあんたみたいなのとこんな風に一緒になんていないわよ! あたしに振り回されても一緒にいる奴なんて、あんたくらいしかいないんだから!」
 きゅっと唇を引き結んで、小さな拳をぎゅっと握りしめて、僕をまっすぐ見つめている彼女に、僕はまた面くらっていました。
 でも僕はその時初めて気づいたんです。ああ、僕の彼女って可愛かったんだなぁって。
「ありがとう……」
 僕は笑いました。そしたら、思い切りめり込む位に、彼女の小さな鉄拳が僕の顔面に向かって飛んできたのです。
 僕の目の中に星が飛びます。でも、僕は彼女が大好きです。こんな駄目な僕を、好きだと言ってくれる彼女が。どんな理不尽な要求をされても、許せるくらいに、大好きです。
 でもちょっと思うことがあるとすれば。
 それはその夜、とあるホテルでのことでした。
「ふふ、じゃあ、あんた、犬におなりなさい」
 首輪と鎖をつけられて、鞭でぶたれながら四つん這いで靴をなめさせられる。これはちょっと恥ずかしいなぁって思います。でも、彼女がすごく楽しそうに僕を見降ろして笑っているから、良いのかなぁなんても思いながら。
「ほら! 早くしなさい!」
「ああ、おやめください女王さまぁ、あんっ」
 のろまな僕に振り下ろされる愛の鞭。
 段々、それが気持ち良くなっている自分が、ちょっと怖くもありますが、僕は素敵な彼女に恵まれて、とても幸せだと思います。
「アッ―――!」
作品名:愛の鞭 作家名:日々夜