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サトルさん

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サトルさんの事を、わたしはもうきっぱりさっぱり思い出せなかった。
顔も仕草も好きな映画のことも覚えているけれど、実際のところ、それはただの情報であって大切なことでもなかったし、サトルさんの核でも芯でもなかった。いつもぼんやりとした輪郭ばかりがわたしの傍へと寄り添い、それがある日ふっと消えた。ケータイに入っていたサトルさんのアドレスを消したら、それと一緒にサトルさんも消えた。今はもうサトルさんが分からない。大体にして、付き合っていた頃だってわたしはサトルさんを知らなかった。


サトルさんの顔もよく分からない。
いつだって隣を歩いて、背中を眺め、横顔を見て、前を歩いた。向かい合うこともあまりなかったし、“そういう事”の最中わたしはコンタクトレンズを外した。以前、サトルさん以外の人とそういう事をしたとき、コンタクトレンズがズレて非常に微妙な空気になって、中途半端になって、なんだかもやもやとしたから、それ以来そういう事をする時は必ずコンタクトを外した。だからサトルさんと正面に向かい合う数少ない機会ですら、わたしはサトルさんが分からない。何も見えないから、その人はもしかしたらサトルさんではないのかもしれない、とすら思った。



それでも、ただその背中にしがみ付いていればそれで良かったし、見えるものなど重要ではなかった。



わたしとサトルさんは、深大寺近くの居酒屋のカウンターで鯛のお頭をつついて、山葵のカス漬けを食べて、あら塩で焼いた蝦蛄を食べて、味噌をつけた豆腐を食べて、酒を飲み、もずく酢をすすり、ほっけをつつき、枝豆をつまみ、キャベツの漬物をパリパリと食べた。とにかく会話もそこそこにどんどん食べた。サトルさんは不思議な人で、どんなに食欲がなくてもサトルさんの隣にいると自然と箸が進む。


でもサトルさんがいないとわたしは何も食べられないし、何も手につかなかった。
サトルさんと出会ってからわたしは自分でもぎょっとするほど痩せた。それでも二人でいる時のわたしはどんどん食べて、掃除機のように口に放り込んで、欠食児や部活帰りの中学生のように食べた。食べることが全てであるような気持ちでどんどん食べた。昼間会えば蕎麦も食べた。蕎麦湯の飲み方や蕎麦の種類、薬味の選び方、“通”の食べ方はサトルさんから教わった。サトルさんはわたしがどんどん食べるのをいつも楽しそうに眺めていた。サトルさんは、その時三十も後半の年だった。奥さんもいた。子供はいなかった。



サトルさんは、わたしの大学の先生だった。
だけど抜き差しならなくなってしまった。



わたしは彼を心の底、腹の底、細胞単位で渇望するように愛していたわけではなかったけれど、サトルさんなしでは生きられない、と思いつめていて、それはコンタクトレンズや車や冷蔵庫、携帯電話に似ている愛だった。依存する愛だった。サトルさんなしの生活なんて想像もつかなかった。ただ哀しいことは、わたしがその程度の愛であっても彼を必要としていた以上には彼がわたしを愛していないことだった。


彼の心底講義はつまらない。
暗記してきた掛け算をただ延々と披露する小学生のような、そういう律儀で油断なく、自分本位な講義でつまらない。サトルさんは自分本位な授業をする癖に、自分自身にすら関心もないようで当然生徒の関心もない。携帯電話を触っていようと、お菓子を食べていようと、こそこそ話していようと、彼は興味も関心も示さない。だけど何故か彼の講義は人気があった。楽な講義だから、という理由ではなくて、どことなく居心地が良い講義だったから、彼は人気者だった。落ち着いた、一定であり続けるものは人を安心させる。彼はその類の人だった。Passionという単語とは対極の人。最初はそれをとても好ましく、愛しく思っていたのだけれど、抜き差しなら無くなった後、その彼の性質はわたしを苦しめ続けた。無に延々と愛を求める虚しさ。狂おしさ。ゼロにいくつかけてもゼロだ、という小学校の“さんすう”の先生の言葉が頭の中にまとわり付いた。




サトルさんが死んだのは、今年の正月明けだった。
初詣やなんやの慌しさが消えた頃、散歩がてらに深大寺に参拝に出かけ、凍った石積みの階段で足を滑らせ、あっという間に死んでしまった。葬儀の場で、「悟は仏像だの寺だのが好きな人だったから、寺社で亡くなって幸福だったんじゃないかと思います」という奥さんの納得できるんだかできないんだか分からない言葉をわたしはぼんやり聞いていた。それからうっそりとサトルさんの言葉が寄り添った。


「仏像はね、とても面白いんだよ。性器が体内に隠されているものや、ウィンクしている仏像もあるし、明妃なんていう男女の交配中の仏像もあるし、仏師の生涯も壮絶だよ。芥川龍之介の世界だ。ああ、芥川は絵仏師で、仏師は夏目漱石か。運慶、第六夜だったね。それでさ、偶像崇拝主義、とモーゼもムハンマドも否定したけれど、俺は個人的にとても好きなんだ」


記憶の中の彼の声はどこまでも澄んでいる。やっぱり、幸福な彼の死に方だったのかもしれない。




サトルさんの葬儀は雪の中で行われた。
灰色の空がずんぐりと重たく、今に雨でも雪でも降ってきそうな天気の中、案の定ミゾレ雪がぼろぼろぼたぼたと降り始め、参列した生徒や親族の喪服をぐじゅぐじゅにした。サトルさんらしくないやり方だった。泣き声は響く。延々と、ぽつぽつと、わぁわぁと。けれど、わたしは決して泣かなかった。奥さんも泣かなかった。わたしはおこがましいが、きっと今、自分だけが奥さんの気持ちを理解している、と確信すらしていた。こんな事は茶番だ、とすら思った。何も哀しくはなかったけれど、ただただ腹正しかった。信長よろしく香を投げつけてやりたい程腹正しかった。そして、途方に暮れた。サトルさんの遺影を見て、あの人はこんな顔をしていたのか、と途方に暮れ、胸に開いた風穴からじわりじわりと冷たいものが染み出した。それはわたしの知っていたサトルさんよりももう少しやさしい笑みで、親しい笑みで、親愛も情愛も持ってレンズの向こうの人物に笑いかけている、とても幸福な一枚の写真だった。後に知った事だけれど、その写真の撮影者は、奥さんだった。


抜き差しなら無くなった男女はもう死ぬしかない、とわたしはいつも頭のどこかで思っていた。
道行だった。心中だった。抜き差しなら無くなった男女が新しい生命を育むよりも、死んでしまう事にわたしは美学も文学すらも感じていた。


けれどやはり、相手がわたしでなくとも良かったから、生きていて欲しかった。






その春、奥さんが再婚したと聞いた。
あんまりだ、と思ったがわたしにできる事も気力もなかったので受け流し、ここは奥さんに便乗してわたしも忘れてしまおうと思った。そうしたら、元々あの人のことを何もしらない自分がいたことに気が付いた。それは幸福でも不幸でもない驚きだったけれど、ただわたしを暖かく包んだ。



捨ててしまったアドレスと入れ替わるように、わたしはゼミの男の子と付き合い始めた。
作品名:サトルさん 作家名:山田