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遼州戦記 保安隊日乗

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遼州戦記 穂値日乗 1

 今日から僕は 1

 神前誠(しんぜんまこと)は慌てて工場内巡回バスから飛び降りた。
「これで乗り越したら大変なことになるな……」
 地球植民第24番星系、第三惑星『遼州』。その最大の大陸『崑崙』の東側に浮かぶ火山列島、東和共和国。
 その首都の東都から西へ50kmと言う菱川重工業豊川工場で一人去っていくバスを眺めている誠。
 東和でも屈指の大企業である菱川重工株式会社に、研究室のコネを使って上手いこと就職した大学の同期は何人かいるが、ここ豊川工場は本社勤めの彼等をして「島流し」と呼ばれるほどの僻地である。そして地球外居住可能惑星としては最大規模の工場として知られるこの敷地の中で一つバス停を乗りこせばどうなるか楽に想像することができた。
 ……とんでもないところに来ちゃったみたいだな。
 神前誠は自分の不運を嘆いた。そして、中途半端な気持ちで就職活動をしていて夏が過ぎても内定が一つも取れないでいた誠を、口八丁でうまいこと東和共和国国防軍に誘った彼の道場の師範代、今誠が向かおうとしている遼州同盟司法実働機関、保安隊隊長である嵯峨惟基(さがこれもと)特務大佐のとぼけた面を呪った。
「あのおっさんいつかシメる!」
 思わず口を突いて出た言葉に自分で納得する誠。
 さらにバスから降りた彼を絶望させたのが『保安隊前』というバスの案内のわりに、ただバス停からは延々と続く壁しか見えないということだ。刑務所前に止まるバス停だって、もっとサービスよく通用口近くにバス停を作るものだ。誠はバス停の隣の取ってつけたような案内板に導かれるように、まっすぐと高いコンクリートの壁に沿って道を急いだ。
 工場構内の道路には次から次へと通りにはコンテナを満載したトレーラーや重機の部品を満載したトラックが通り抜ける。その高いモーター音が彼に湧き上がる不安をさらに増幅させる。
 初夏の強烈な日差しの中、流れる汗が目にしみるようになるまで歩いた時、ようやく視界に鉄塔と見張り櫓そして通用口らしい巨大な鉄の扉が見えてきた。
「間違いじゃないみたいだ」
 自分に言い聞かせるようにして、誠はそのまま巨大な影に向かって歩みを速める。
 ゲートの前で誠は背負っていた荷物を路上に放り投げると、警備員の詰め所を覗き込んだ。中では白人二人がカードゲームに興じていた。
 その手の札を見ると花札である。その隣には丸められた東和円の札が並べられている。
 奥のスキンヘッドの隊員が勝ち続けているようで、手前のGIカットの栗毛色の髪の男はいらだたしげにタバコをくゆらせていた。
「ほら!亥鹿蝶だ!」
 スキンヘッドの方がその大きく筋張った手を振り下ろして手札を座布団の上に広げた。
「くそったれ!イカサマじゃないのか!」
 GIカットの男は、語気を荒げて相手に詰め寄ろうと膝を立てた。
「なに言ってやがんだ!昨日の麻雀で積み込みやった奴にそんなこと言う資格はねえだろ!」
「何だと!この野郎!」
 スキンヘッドは右腕を捲り上げて怒鳴り散らした。感情的になった二人が日本語での会話を止めてロシア語で怒鳴りあいをはじめる。
 スキンヘッドの男のむき出しになった右腕に裸の女性の刺青が見える。
 GIカットの男はそのまま着ていた勤務服を脱ぎ捨てるとファイティングポーズをとる。
 止めるべきか、それとも何事も無いように無視するべきか。何も出来ずに黙ったまま立ち尽くしていた誠は肩を叩かれて飛び上がるようにして振り向いた。
「神前誠少尉候補生だな?隊長から話は聞いている」
 大学の野球部時代は常に部で一番の長身だった誠と肩を並べる身長の、東欧系の女性士官が誠の隣に立っていた。
 整った顔立ちにショートの銀色に近い髪の毛を七三分けにして、その青い瞳の光る視線は鋭く誠を射抜いた。
 東和ではあまり見ない、まるでハリウッド女優か何かのような女性士官に誠は取り繕うような笑みを浮かべて見つめた。しかし彼も男である。ついその視線は無駄の無いボディーラインと豊かな胸と腰に流れていた。
 その身にまとう東和軍と同じ系統の深い緑色の勤務服の階級は大尉。明らかに自分の視線に邪念があることに気付いてはっとする誠だが、そのような視線には慣れているようでそんな誠の視線など気にすることも無く女性士官は詰め所に向かって歩いていった。
「貴様等!何をしている!今日は新入りが来るって聞いてなかったわけではないだろう!それともその頭には炭酸ジュースでも詰まってて射撃の的にでも使うしか能がないのか!」
 誠にかけた親しげな言葉とうって変わった鋭い口調に、スキンヘッドとGIカットの警備兵はこわばらせてた。そして、上官の表情の険しさが変わらないことを知ったのかそのまま詰め所の座敷の上で直立不動の姿勢をとった。
「あとで警備隊長室に来い。説明はそこで受ける!」
 二人は力を込めて敬礼した。大尉は彼等を無視するようにしてゲートのスイッチを押して黄赤と白の縦じまの入ったゲートを跳ね上げた。
「なにぼんやりしている?置いていくぞ……ああ、自己紹介がまだだったな。私はマリア・シュバーキナ大尉。この基地の警備部の部長だ。隊長がもうそろそろ着くだろうから見てこいと言われて来たんだが……ろくでもないものを見せてしまったな」
 マリアの言葉は早口でどこかしら棘があった。
 誠は慌てて荷物を手荷物と上がったゲートをくぐる。
「どうせ隊長はそのままふらふらしていることだろうから私が案内をしよう」
 誠は足早に進んでいくマリアに遅れまいと荷物を背負いなおすと歩き始めた。
「あの……質問してもいいですか?」
 誠は言いづらそうに口を開いた。正直美人だとは思うが、どこかしら棘があって近づきがたい。誠のマリアの第一印象はそれだった。
 こちらは一応幹部候補生とは言え、軍に入って一年半の新入りである。しかも誠が入った東和軍はこの二百年の間、戦争をした事が無い。人材交流で来たアメリカ海兵隊の将校で似たような雰囲気の女性士官がいたが、何度かの戦闘経験があるという彼女は徹底的に誠達東和宇宙軍の幹部候補生を小ばかにしているところがあって、誠はいつも彼女の前では言葉が出ずにさらに馬鹿にされると言う有様だったことを思い出していた。
「何だ?」 
 マリアは足を止めると服を着ていてもわかるほどの豊かな胸のポケットからタバコを取り出した。
 一瞬、彼女の顔に笑顔が浮かんだ。誠は少し緊張を解くとようやく渇きが癒えた口を開いた。 
「保安隊っていつもああなんですか?」
 マリアの顔にもう一度、今度は複雑な苦笑いのようなものが浮かぶ。その笑いはどちらかと言うとあまりにも聞かれすぎて答えるのがばかばかしくなった。そんな感じの表情だと誠には思えた。
「まあそんなものだ。あの隊長が仕切っている部隊だからな。……あの連中もここに来る前はああじゃなかったはずだが、今ではすっかり毒されたな」
 そう言うとマリアは再び誠を連れて突貫工事の化けの皮とでも言うような舗装がはげているのが目立つロータリーの広い道を歩き始めた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直