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しあわせの季節

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 春は出逢いと別れの季節だという。
 誰かがそう云っていた。あまりにも使いまわされすぎたフレーズに笑ったのを憶えている。確かにそうなのだろうけれど、そのまんますぎて、それが逆に可笑しかった。
 でも最近、そんな些細なことで笑うのは珍しいことじゃない。限りなく「つまらない」というカテゴリーに近い出来事も、腹筋がつりそうになるくらい爆笑できるネタになる。「箸が転んでもおかしい年頃」とはよく云ったもので、本当に友達の箸が転がっただけでその場に居た皆がばか笑いした。
 今考えれば本当にばかだと思うけれど、同じことがあったらきっとまた爆笑できる自信がある、と言ったら皆うなずいた。
 つまり私たちは、どんなにばかばかしいことにもばか笑いできるばかなのだ。直前に迫る"卒業"というぼんやりとしたイメージに、それでも確かに感じる寂しさを、笑うことで埋めるしか術を知らないばかな子どもだ。
 春は出逢いと別れの季節だと云ったのは、確か担任だったと思う。
 だけどこの地方の春は遅い。三月になってもとけきらない雪が絨毯のように敷かれ所々に大きな塊で残っていたり、冬のように冷たく鋭い風が肌をさす。桜が咲く時期なんて早くて四月の下旬だし、せっかく開花したとしても小振りで控えめな花弁が隙間を埋めきれないまま咲くだけだ。
 だから卒業式が行われる三月も新しい環境が始まる四月も、私たちにとっては冬でもなく、春でもない。それなのに大人たちや世界の常識はその名前のない季節を春と呼ぶ。
 そうして春を迎える私たちは、ばかな子どもでいられる時間を置き去りに歩き出していかなければならない。新しいなにかを見つけなければならない。何度目の春を迎えたときに、私はばかな子どもではなくなるのだろう。些細なことで笑えなくなり、周りばかりを気にして失敗を恐れるようになるのだろう。
 そう思うと、残りの数日間がとても愛しく、大切なものになる。泣きたくなるくらい、完璧で眩しい日々に感じる。
 あと少しで通わなくなる帰路を先に歩いていく友達を見ながら、そんな愛しくて完璧な光景をじっと見つめる。
 じゃれ合いながら、立ち止まっては大笑いして、ばしばしと加減なく叩き合ってまた歩き出す彼女たちを、いつもはそれに加わっている自分を、ばかだなあと思う。同じくらい、しあわせだなあ、と感じる。
 そうだ、しあわせなんだ。
 今さらになって気付いた。何度も繰り返してきたこんな日常は、しあわせの象徴だった。
 それなら世界や大人たちが名づける春は、出逢いと別れの季節だなんてよそよそしいものでは決してない。しあわせの季節なのだ。
 きっと何度春を迎えても、私はこのしあわせな季節を忘れないだろう。心のなかの一番深いところで宝物のようにきらきらと輝き続けるだろう。
 思いのほか距離が離れてしまった彼女たちに駆け寄ると、担任の話で盛り上がっていた。付き合って十周年目の今日、彼女と入籍したらしい。
「十年だよ、十年! まじうけるよね!」
「だからさー、……でもちょっと憬れるかも」
「あー、あたしも」
 そう言ってまた笑う。なんだ、大人である担任だって、しあわせの季節のなかに生きてるではないか。
 全世界の大人たちへ訂正しよう。春は、しあわせの季節である。
作品名:しあわせの季節 作家名:東雲せぞん