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水葬

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 おれの住む町は海と山が隣り合っている。ほかに特徴はなにもない。コンビニも喫茶店も書店もまったく。町全体が薄暗く廃れていて歩く人影もまばら。
 ただ存在感があるのは、荒々しく暴れ狂う潮がぶつかる岸壁と、そこに鬱蒼と茂る木々の呼吸。そこだけにはいつも「生きている」という咆哮が渦巻いている。なにもかも死に絶えたようなこの町で、唯一。
 けれどなぜかそこを死に場所に選ぶ輩が多い。町民に限らず、いろんなやつがはるばる遠方からやってきてあの絶壁から飛び降りる。だからこの町にはいつも死臭が漂っている。
 今日もだれかが打ち上げられたらしい。身元不明、女性、身長155センチくらいの、――切れ切れに聞こえる町内放送から、知らないだれかの生きていた証の片鱗を耳が捕まえる。
「あたし、死んだら水葬がいいなあ」
 隣の席に座る髪の長い女子が呟く。隣の席と言っても文系3クラス合同での数学の補習授業で、判るのは同じクラスじゃないということと、実は補習を受けるほどの馬鹿じゃないということくらいだ。なぜなら彼女の手にしている補習用プリントには、補習を受けるような馬鹿では手も出せないラスボス的問題にびっしり数式が並んでいるからだ。あんな悪魔な問題は、おれには1時間かかっても倒せない。
「水死って身体パンパンに膨れ上がるんだろ。おれはごめんだな」
 普段だったら絶対に応えたりはしないのに、補習特有のけだるさと名前を知らない他人の距離が心持ちを気易くさせる。
 小雨が降り始めた窓の外を眺めていた顔が振り向いて、髪とおんなじ真っ黒な眼が無感情におれを見つめた。値踏みするでもなく、驚くでもなく。ただじっと凝視するその黒の双眸が、見たこともない海の底を想像させる。
「身体が膨れるのは気管に水が入るから。死んでからは呑み込む運動が停止してるから膨れないよ」
「へー、そうなの?」
 感心した声を上げれば、こっくりとうなずく。そのあいだも、瞬きの異様にすくない両眼はおれの眼から離されなかった。
「でも身体とか腐るじゃん」
「火葬以外みんなそうでしょ」
 反論の余地もない彼女の返答に、持っているだけで本来の役目をなにひとつ果たしていないシャーペンを机に転がして呟く。「たしかに」
 その反応を見て、彼女は今日はじめてしっかりと瞼を閉じて、微笑った。

 駅から家路を辿る途中、掘り返した高校時代の些細な記憶は、以外にも鮮やかな彩で頭の中に閃いた。5年以上離れていたあいだに、町にはコンビニができ、ファーストフード店が建ち、でかいレンタル屋がどっしりと構えていた。ぼんやりと灰色した景色には色がつき、足音や笑い声がざわめいて、死臭の代わりによそよそしい都会の空気が流れている。なんだかまったくちがう場所へ来たみたいだった。
 変わってしまうものへの感傷はいつまでも尽きない。自分だってどんどん変形して変色を繰り返しているくせに、周りに求めるものは、たったひとつでもいいから変らないなにかだ。
 久しぶりに見た実家に荷物を置いて、あいさつもおざなりに飛び出す。走った。全力で坂を駆け下りた。もう何年も椅子に座りっぱなしだった足はたやすく根を上げる。「あなたそっくり」、だれかが笑った気がした。幻聴。
 駆け抜けた先はあの断崖。潮のにおい。潮風になぶられて軋む松の咽び泣き。混濁した色を巻き込んでうねる海。岸壁にぶつかった波飛沫。ちっとも変らない、ここには命が吹き荒れている。
 心臓の音が厭にうるさい。膝が笑う。肺が痛む。仰向いた身体を湿った風が撫ぜた。
「水に還るのよ」
 あの日、彼女はそう言った。水葬が禁止されたこの国で、どうしてこだわるのか訊ねたおれに、彼女はそう応えた。
「水に還るのよ。人間の身体は70%が水分でできてる」
「それだけ?」
「――灰になったら、この町に一生閉じ込められる。どんなに遠くに離れても」本格的に降りはじめた雨をまた見つめて彼女は言った。「それだけよ」
 彼女に逢ったのはそれが最初で最後だった。両親は数ヶ月まえに天国へ旅に出かけてしまって身寄りがなく、昼も夜もバイトをはしごして学校にはほとんど来ていないらしかった。おれがそれを知るのは出逢って1年後、卒業の日。その半年前に彼女は自主退学していた。
 だれもしらない彼女の行方へ、それからおれはいつでもなんとなしに想像をめぐらせた。
 水葬を主とするガンジス川へ旅立ったのだろうか。それともどこかの船舶の上で暮らしているのだろうか。そして想像力に乏しい推測が辿り着くのはいつも海の底。
 もしかすればもう水葬への憧れなんて捨て去ったかもしれないのに、あの穏やかな微笑みのまま永遠の眠りについた彼女をこの海へ葬る妄想が頭から離れない。
 立ち上がって岸壁のギリギリに歩み寄った。容易く乗り越えてしまえるガードに掴まって見下ろす先、真っ黒ななかに渦巻く混沌。あの瞳。

 彼女はいま、どこにいるのだろう。
作品名:水葬 作家名:東雲せぞん