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失恋トマト

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「赤いものがいいの」
 友人はチラシを見ながらそう呟いた。
 彼女がじっと見ているチラシを眺めると、その店は園芸用グッズや家庭菜園用グッズを売っているようだった。ミニバラ、ダリア、マリーゴールドなど色とりどりの花々の苗に混じって野菜の苗や果樹の苗の値段も書かれている。さらにその横に袋入りの肥料や鉢の値段が小さく書かれていた。防虫剤が安いらしく、蛍光の黄色と赤で書かれた文字がその付近で躍っていた。
「何か育てるの?」と尋ねてから「赤?」と改めて尋ねた。
「うん、探してるの」
「赤いもの?植物で?花?」
 彼女は「ううん、野菜か果物」と首を振るが、チラシからは視線を動かさなかった。私はグラスにたっぷりと入った林檎ジュースを飲みながら、チラシをぼんやりと覗き見た。
「このトマト、いいな」
 すっと彼女が指でつついた先は、真っ赤なトマトの写真だった。その周りにはキュウリやナスの写真が所狭しと埋められている。
「育てようかな」
「どうして突然」
「彼と別れたから」
 彼女がチラシから目を離さず言った。
「ああ、やっと別れたの」
「やっとって、どういう意味よ」
「あ、うん。ううん。別に」
 彼女がやっとチラシから顔を上げて、非難をこめて私を見たので私は慌てて手をぱたぱたと振った。メールで話を聞くだけだったが、あまりいい印象を持てなかったので、きっとすぐに別れるだろうと思っていた、とは言えない。優柔不断で気が利かない割に我侭、どこがいいのかわからない、というのがメールの文面から感じた男性像だった。そこが可愛い、と惚気るのを見るたび、ああこれは長続きしないな、とこっそり思ったものだ。
「それで気分転換?」
「……みたいなものかな」
 彼女は最初、少し言いよどんだが、適切な言葉を見つけられなかったのか、結局頷いた。
「どうして赤?」
「彼を庭に埋めたから」
 彼と別れたから、という声と全く同じトーンだったので、また彼女の冗談が始まった、と私は苦笑した。
 彼女の突拍子のなさは昔からだ。同級生だった高校の頃から時折私には想像もつかない妄想を言っては笑う。その延長だと私は思った。彼女は失恋の痛手をそうした不思議な物語にして乗り切るつもりなのだろう。
「だから彼の血を吸って育つ植物が欲しいの」
「だから赤?」
「そう、その下に人が埋まっているって実感できるような赤」
「桜は?」
 人が埋まっている、という言葉で私は安易に連想し、口に出した。しかし、彼女はその安易さに呆れたような顔をして首を強く横に振った。
「桜なんて駄目。あまり売っているのを見ないっていうのもあるけど、そもそもあれはピンク色だし、ありきたり過ぎるし、食べられないし、何より時間がかかりすぎるもの」
 私は高校時代に慣れたやり方で、相槌を打つ。こういう時の彼女は突っ込むだけ無駄なのだ。
「何年も待ちたいんじゃないの。早く割り切ってしまいたいの。割り切るために使うには、桜は成長があまりにも遅いわ。何年も何年も忘れられないなんてうんざり」
「へえ」
「せめて半年ぐらいまでがいいの。赤い実が出来て、それを食べてようやっとこの恋が終わったんだって実感したい」
 そう言い切り、彼女はまたチラシの写真に視線を落とした。
「やっぱりトマトがいいわ。真っ赤で瑞々しくて、一番しっくりくるし」
 トマトだって、血を連想させるものとしてはありきたりだと思ったが、それは言わなかった。根元に死体が埋まっていると言われて想像するのは、大抵は桜であるし、彼女が納得しているならそれでいいのだろう。
「でもどうして植物を育てるの?別に別れた憂さ晴らしならカラオケで熱唱したり旅に出たり、そういうやり方でいいじゃない。そっちの方が時間かからないよ」
「だって彼は庭に埋まってるんだから」
 彼女は溜息混じりに言った。
 こうなると面倒くさい子だ。変な所に拘って、絶対に譲らない。そういう癖が彼女には昔からあった。
「じゃあなんで埋めたの?」
「私が彼にあげたものを返して欲しいだけよ」
「あげたもの?時計?ハンカチ?それともまさかお金?」
「そんな形のあるものじゃないわ」
「じゃあ何?」
 彼女の声が少し低くなった。
「何度も何度も大好き、愛してるって言った」
「え?」
「私が28回そう言って、彼が15回そう言ったの。うち私が嘘をついたのが1回と気持ちが入っていなかったのが3回。そして彼が言った中で気持ちが入っていなかったのが5回と嘘をついたのが1回。だから私は彼に24引く9で15回の愛してるを余分にあげたことになるの」
 淡々と回数を挙げる彼女の雰囲気が、どこかいつもと違う気がした。いつもは妙な想像を語る時、どこか余裕があるのに、彼女の表情はどこか強張っていた。
「彼はもう愛してるを心から言うことが出来なくなっていたのよ。最後の6回は酷かったもの。5回の気持ちの入っていない愛してるは、恋人に対する愛じゃなくなっていたわ。あえて言うなら猫が好き、ぐらいの愛してるだったの。それを聞いていると、私も同じように気持ちの入った愛してるが言えなくなってしまったの。それが3回続いた時に、私は彼にきっちり話をしようって決めた」
 彼女の言葉は流れるように唇から滑り落ちた。返事を求めているわけではなさそうだったし、私もなんと言えばいいのかわからず、口を噤んだ。
「それからは酷かったわ。ただ、彼が気持ちの篭った愛してるを言うだけで済むんだ、って最初私は思っていたけど、そういう話ではなかったの。話してるといつの間にかお互いの欠点だとか醜い部分だとかの話になって、相手の好きだった所までどうしようもなく憎くなってきた。例えば私は彼の『だけど』っていう口癖がどうしようもなく憎かったの。昔は好きだった。おかしい部分を諌めてくれて、頼りがいがあって、大好きだったのに、その時はもう『だけど』と言われただけで目の前のコップを投げつけるくらいだった」
 彼女は私の無言にも頓着せず、ただすらすらと読み上げるように言葉を続けた。
「最後の1回に至っては、完全に嘘だった。本当は大嫌いなのに無理やり愛してると言ったってすぐにわかったわ。私もそう。私もあの時彼に愛してると言ったけど、やっぱり同じ顔をしていたんだと思う。だからそれは恨んでいないの」
「恨んでないなら、もういいじゃない」
 私はその言葉を止めたくて、思わず口を挟んだが、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「駄目よ。愛してるって言う時、それが心からのものだった時、本当に血肉をあげるようなものなのよ。だから私は彼に返してもらいたいの。彼にあげた15回分の愛してるを、私の血肉を、せめてトマト15個分、彼のトマト15個分を食べて私に戻して欲しいの」
 淡々としていた口調はいつの間にか少しだけ荒ぶっていた。
「きっと彼のトマトは夏ごろに実をつけるわ。彼の中に残った私を吸い上げて、きっとぴったり15個実をつけるの。そして私がそれを残さず食べてしまって、ようやく元の私に戻れる気がするの」
「戻ったら?」
 私はいつもと様子の違う彼女に少し怯えながら聞いた。「戻ったら?」と彼女は私の言葉を反芻し、小首を傾げて考えた後、囁いた。
作品名:失恋トマト 作家名:珈琲