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人間屑シリーズ

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 ――雨が降っている。
 今はまだ小降りだけれど、時期に本格的に降り出してきそうだ。
 私は少しだけ早歩きで歩きだす。いつもより少しだけ早い速度で景色が流れていく。コンビニで傘を買ってもいいけど、家の近くの公園を横切ればその必要もないだろう。
 静かに降り続ける雨を気にしながら、コンビニを通り過ぎ公園へ足を踏み入れる。


「何するのよ!」
 ふいに公園の奥の方から、女性の荒っぽい声が聞こえた。
 何事かと、声のした方を見ると女性がこちらへ走ってくる所だった。
 茶色く染めた長い髪をゆらゆらと揺らし、首筋を左手で押えながら怒りの形相で私の横を走り抜けていく。
 視線を女性から、公園の奥へと戻すとそこには一人の少年がいた。

 黒い髪に黒い瞳、黒い学生服。その中で肌だけが抜けるように白い、どこからどう見ても端正な顔立ちの少年だった。
 一つだけ違和を感じるのは、その右手に握られた小さなナイフだった。ナイフには少しだけ“赤”が付着していた。
 あれは……血……?
「やあ」
 彼は私を見据えると何の感情も含めない声でそう言った。
「……」
 脳の後ろの方を何かピリピリとしたものが走り抜ける。防衛本能だろうか。いや、それにしては全く恐怖を感じていない。
 むしろ私は彼に向かって歩みを進めた。
「何をしていたの?」
 私は尋ねる。彼の握ったままのナイフより何より、彼の黒い瞳を見据えたまま。
「血を分けて貰おうと思ったのさ」
 彼はそう言うと、その白い右手をナイフごとヒラヒラと揺らした。
「どうして?」
 彼は今度の質問には、さも意外のような顔をした。そして言うのだ。
「だって僕は吸血鬼だから」
 普通に考えたら、彼の頭はおかしいと思うのかもしれない。
 でも彼はあまりにも端正だった。人間じゃなくて吸血鬼なんだよと言われてしまえば、その方が自然だと感じるほどに。
 彼は右手をユラユラとさせながら、私に近づいてくる。……刺されるのだろうか?
「さっきの女の人は?」
 近付く彼に少しだけ警戒しながら、私はやはり彼と会話を続けてしまう。もう少しだけ彼の事が知りたいような気がした。
「ああ、あの女は僕を買おうとしてたんだよ。ほら、僕って美しいからさ」
 そう言って彼は笑った。
 その顔がまたとてつもなく綺麗で、まるでラファエロの描いた天使ミカエルのようだった。
「でも僕は体を売るつもりなんて無いんだ。ああいう馬鹿女は僕にとっては格好のエサだから、ほんの少し付き合うだけ。キスをしようとすれば、アホ面さらして目を閉じる。その時間が欲しいだけだよ」
 彼はナイフに付着している女の血を、そっと人差し指で拭うとそれをそのまま口に含んだ。
「そうしていい気分になっている女の人を――そのナイフで?」
 彼の唇に触れるその細くて白くて長い指が、どうにも艶めかしい。
「そうさ。ほんの少しだけ切らせてもらった」
 ナイフに付いた赤は、少しずつ掬いあげられていく。
「吸血鬼は日の光に弱いんでしょう?」
「そうだよ、だけど今日は雨が降ってる」
 空は確かに灰色で、太陽はすっかり雲の中に隠れてしまっていた。
 他人の血を啜るだなんて、気味が悪いにもほどがある。
 それでも私はこの少年に完全に魅了されていた。
「何で私にそんな事を言うの?」
 私も切られてしまうのだろうか。いや、殺されてしまうのかも……。
 自殺するのと他殺されるのでは、どっちがパパとママはショックなんだろう。もしも他殺の方が救われるのだとしたら、私は彼に今ここで殺されても構わない。
 そんな私の思惑を無視して、彼は言葉を紡いだ。
「君も人と違うはずだよ。僕には分かる」
 全身に戦慄が走った。
 私が未だ“女”で無い事を見透かされたような気がした。私以外は誰も知らない……私の欠陥。
 彼の黒い瞳が私を射る。まるで逆らえないような心地になって、私は震える唇を開いた。
「わ……たし……は……女としての機能が……欠落して……」
 何でこんな事を初対面の少年に言っているのだろう。親にも言った事が無い、私の恥。
 彼は震える私に近づくと、そっと私の右手に触れた。
「素晴らしい事だよ。君は赤にも染まらない白なんだ」
 彼の白い手と私の白い手。重ね合うとお互いの境界がひどく曖昧に見える。
 私の手ってこんなにも白かったんだ……。
 初めて自分の体を客観的に見た気がした。
「そしてね、僕は赤をも吸収する黒」
 クロはそう言って、今度は私の手をぎゅっと握ると私の顔を真正面から見据えた。
「ねぇ、シロ。僕と一緒に世界を狂わせないか? 君とならきっと――」
 私の体は小刻みに震え続けたままだ。
「きっと世界を変えられる」
 クロはそういうと、本当に綺麗に微笑んだ。
 世界を変える? どうやって?
 でも……もしも本当に変えられるのなら、変えてしまいたい。
 世界を狂わせてしまえば、パパやママとまた幸せに暮らせるのかもしれない。だって世界ごと狂ってしまえば、私の家はもはや狂気の家なんかじゃなくなるから。

 ――雨が降っていた。

 本格的に降り出した雨は、私達を濡らし始める。
 それでも私は、彼の側から動き出せずにいた。



作品名:人間屑シリーズ 作家名:有馬音文