小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

製作に関する報告書

INDEX|11ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

というようなタイプでもない。作品にのめりこむクリエイターでもなければドライな商人でもない。非常に中途半端な存在だったのです(あるいは彼も作家志望か何かでそれが叶わずにゲーム業界に横滑りしてきたのですかね)。そして、これまでであればその半端な人間でも渡っていけたのだと思います。けれど時代は、そのような半端者を許さなくなっているのではないか。
  
『とにかく話し合おう』
 
と、市川氏はなんとか私に柴田氏たちの下につかせようしていました。私に譲歩させ、私に我慢させ、柴田氏たちのご機嫌を伺う。そうすれば作品はなんとか成立し、三万本の大台に乗せることもできる(と、これはいつも見立てが外れる市川氏の見立てです。余談ですが、時々、ギャルゲーの損益分岐点は一万本という2ちゃんねる等の書き込みを見ますが、だからといって一万本売れればそれでよいというわけでもない。仮に制作費5千万円として、粗利が3500円と計算する。1万2千本ぐらい売ればプラスマイナスゼロ。けれど、それでは次回作の制作費が捻出できない。1万2千本がペイラインの作品は2万4千本売らなければ次が無いはずなのですが)。FDJの市川氏の希望的観測はいかにも拙劣でした。そして当然ですが私は市川氏の説得を拒否しました。話し合うといっても、私とFDJの市川氏が話し合っても何の解決にもならないことは明らかでしたから。問題なのは現場の柴田氏であり、グラフィックの相澤氏、そして輿水氏なのです。そんなに言うのであれば、グラフィックの相澤氏なり輿水氏が私の元にやってくればいいのです。その上で、
 
『お前も悪いが、俺達もいたらなかった』
 
と言えばよかったのです。FDJの市川氏がでしゃばってくるようなことではない。同じ作り手同士が話し合えばそれで済むことでした。あるいは、
 
『首に縄をつけてでも俺(FDJの市川氏)が相澤と輿水をおまえのところに連れて行く』
 
というのでも良かったでしょう。ですが、現場の人間は何をそんなに突っ張っているのか、
 
『絶対に出て行かない』
 
と言って私に会うことを拒絶していました。これは話し合いをしても全ては無駄であり、合意は現場サイドで必ずひっくり返されるとそういうことでした。何かをやっても相澤氏、輿水氏のところで作業が止まる。絶対に出て行かないということは、
 
『自分のところでシナリオは必ず止める、作業の妨害を必ずする』
 
という宣言ととらえてほぼ間違いは無かったと思います。そして私は、すでにシナリオをどうするかではなくて、どう、撤収するかということを考えていました。
 
『一度こちらに来て欲しい、話し合おう』
 
FDJの市川氏は執拗でした。柴田氏たちをはじめスタッフは誰も彼の言うことを聞きませんし、私にまでコケにされたら面目が立たないと、そう思っていたのかもしれません。ですが。本当であれば、そういう時には、
 
『こちらに来い』
 
ではなくて、
 
『失礼があった、君の家のそばにまでこちらから伺うことにする』
 
というべきではなかったのか。そうすれば、私も、そこまで言われればとなるのです。そういう仕事上のプロトコルをどうして知らないのですかね。私は、しかし、彼の『来い』という誘いを受けることにしました。私はグラフィックの相澤氏たちとは考え方が違いますし、去るならば去るでやはり礼儀というものがあると思ったからです。さらに言えば、あとあとトラブルになるのが嫌でしたから、文書という形で彼らから言質をとっておきたいということもありました。私はですから、FDJの市川氏の『出て来い』という命令に対して、こういいました。
 
『分かりました。では、私が製作から外れる旨、異論はないと確約書をください』
 
 と。するとFDJの市川氏は、
 
『そこまでしなくても……』
 
と言葉を濁しました。私としては、そこまでしないと不安でした。と、言うか、そういうことは普通、あちらのほうでやってくださるものと思っていたのですが、そういう気遣いもないのか。私の手落ちならばともかく、あちらの不手際であるのですから。ちなみに私からの提示はこういうものでした。つまり、
 
『私が作ったシナリオは破棄する。細かいプロットも破棄。私は無条件でチームを外れる。そのかわりに以後、この件については私は口外を一切しない』
 
ですが、私がこの手記を記しているように、この取り決めは市川氏の側から一方的に破棄されることになります。そのことについては後にまた書くことにします。
 
 13
 
とにかく、私としてはそのような確約書を取っておきたかったですし、それについてFDJの市川氏が嫌がるということが理解できませんでした。大事なことは文書にして残す。それはビジネスとしてのマナーでありますし、また、5pb.のおかしさからすると、後々でトラブルになる可能性は非常に高い。私としても慎重にならざるをえなかったのです。ですから、私は確約書の雛形を作って、それをFDJの市川氏に送りました。
 
『そちらでコピーをして、貴兄のサインをしてください。そして、次に会うときに確約書を持ってきてください』
 
私はそのようにFDJの市川氏に告げました。電話をかけ、相澤氏の、
 
『おまえがそんなに言うならばやってやってもいい』
 
という意思を確認した翌日、私はFDJの市川氏に大岡山で会いました。会ったと言っても、私は残務整理のつもりでしたし、あちらも、私の翻意はできないとすでに諦めていたようです。話し合いの内容は雑談程度で終わりました。そこで私は、
 
『昨日の確約書を出してください』
 
と言いました。FDJの市川氏は、
 
『それはすでに郵送しました』
 
と言いましたから、私は、
 
『それはありがとうございます』
 
とこたえました。迅速な対応、本当にありがたいことです。ですが、ここまで読まれた方はお分かりだと思うのですが、FDJの市川氏はいつものように、口からでまかせを語っていたのです。彼は、確約書を送る意思も製作する意思もありませんでした。ですが、口先では『郵送しました』とごまかした。何故そんなことをするのか今でも私にはわかりません。すぐにばれる嘘をつく必要がどこにあるのか。もっとも、私もそんなことは想定内のことでしたから、特に気にしませんでしたが。
FDJの市川氏は、話し合いが酒席だったこともあって、おかしなことをいろいろと言っていました(普通、私は商用の重要事項をお酒の席で語ることを良しとはしません。ですが、このときは、もう終わった話でしたから、だらしない市川氏につきあうことにしたのです)。
 
『リタリン(向精神薬)を飲むと意識がはっきりする。あれを使って仕事をするといい』
 
であるとか、
 
『自分も時々死にたくなるときがある』
 
あるいは部下の愚痴も語っていました。
 
『柴田もチーフグラフィックの相澤も馬鹿な連中なんだ』
 
私が、
 
『柴田氏もKID時代には良い思いをされたんでしょう』
 
と訊ねると、
 
『あんな末端の奴は何にもいいことはなかった』
 
と吐き捨てるように言っていました。
 
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮