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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第五章 横笛



 由紀は次の年の三月、世界選手権で初優勝した。十七才だった。周囲には意外なという反応があった。昨年のオリンピックで惨敗し、グランプリシリーズ、日本選手権では最高でも三位にしか入賞はしていなかった。だから、世界選手権の金メダル候補としては注目もされていなかったのだ。
 由紀はもうメダルを取ろうとして滑っていなかった。リスクの高い四回転、三回転半ジャンプをやめた。
 得意な三回転連続ジャンプで得点を重ね、スパイラル、スピン、ステップなどの他の要素に磨きをかけ、転ばず、水が流れるように滑らかに繋がって行く演技を目指していた。
 などと、インタビューでは答えるが、実際のところ、雪乃が
「由紀が派手に転ぶと、見ている私のほうも体が痛くなる」
とか、
「メダルなんか取らなくていいし、得点も気にしなくていいから、楽しんで滑って! 由紀が楽しそうにやってるのが、私も見ていて一番楽しい」
などと言うので、コーチともよく相談して、そういう滑りになってしまったのだ。ボクシングで言うなら、パンチ一発でノック・アウトを狙わず、細かいパンチを数出して地味に得点を稼ぎ、判定勝ちを狙うようなやりかただった。しかし、由紀は二位を僅かな得点差で引き離し優勝してしまった。最終日、フリープログラムで由紀は最終滑走だった。最終滑走者の受ける精神的重圧はかなりのものだった。でも、由紀は全く緊張していなかった。日本で開かれた大会だったので、雪乃が来ていたのだ。フロアに居る雪乃と選手控え室とで携帯でメールのやりとりを続けていた。
 「終わったら 何食べに行こうか」とか、「暖かくなったら 旅行行きたいね」とか、他愛のない内容ばかり雪乃に送信するという、だらしのないものだった。逆に、雪乃のほうが気を使い、「メールやめて そろそろ集中したほうがいい」と送ってきた。それでも、由紀は、「いいの いいの」という返事を入力していたところを、原田コーチに携帯を取り上げられてしまった。
「ちっとは、緊張しろ! この脳天気娘!」
原田にぎゅうぎゅう押さ付けえられて柔軟運動、準備運動をさせられてしまった。

 音楽が鳴り、由紀は滑り始める。とても丁寧に滑った。ジャンプのとき以外、由紀は始終雪乃のほうに微笑みを投げていた。転倒もなく、一度のミスもなく由紀はフィニッシュした。由紀はふーうっ! と安堵した。とりあえず、世界の一流フィギュアスケーターの列に戻ってこれたことで十分満足だった。学校に入学して一年目を終えて、初めての春休みを迎えたような気分だった。まだ、受験は先だという思い。とりあえず、今回のメダルは、現在の一位、二位、三位の人に確定だろうと思っていた。
 キスクラ(キス・アンド・クライ)と呼ばれる、選手の得点待ち用の席に、コーチと座る。由紀は原田コーチの手にある、自分の携帯に手を伸ばして、手の甲を、ぴしり! と叩かれてしまった。ペットボトルの水を飲みながら、客席に手を振った。得点掲示板に目もくれなかった。コーチがいきなり由紀に抱きついてきた。
「先生! やめてください。おおげさ」
 原田コーチはすっかり、舞い上がっていた。
「由紀ちゃん。あんたが、あんたが……金メダル!」
 由紀はその手にはのらないというふうに、掲示板を見る。最初その数字の意味が直ぐには理解出来なかった。予期しないものだったからだ。由紀は、口をぽかーんと開けたままでいた。しばらくして、きやっ! と小さな叫び声を上げた。

 後は馬鹿騒ぎだった。由紀はテレビ局、記者団にもみくちゃにされた。その近くを、由紀が滑るまでは一位だった選手が、寂しそうに通り過ぎて行った。由紀は冷静にその選手の後ろ姿を見つめていた。去年のオリンピックでは、自分があんな落胆した表情で、去って行ったのだ。非情な世界だと思った。 
 由紀は次の年のグランプリファイナル、日本選手権、世界選手権でも優勝した。世間は、あの世界選手権、オリンピックを連覇し続けた、中国系アメリカ人スケータ、シンディ・チェンの再来とまで評した。しかし、三年目の世界選手権で由紀は三位銅メダルとなり連覇の記録は止まった。

 三位となった世界選手権が終わって、二ヶ月経った。五月の気持ちのよい陽気だった。雪乃が泊まりに来た。由紀の母は高校の同窓会とやらで、泊まりがけで温泉に出かけていた。
 エプロン姿の由紀が雪乃を家に向かえ入れる。
「雪乃、今日は私がフランス料理作るから、手伝ってね」
 由紀はブイヤベースを仕込み火を入れた。
「次はスズキのパイ包み焼きだよ」
 由紀は料理が上手だった。子供の頃から母の料理を手伝い、自然とおぼえてしまい、本人も料理の本などをよく見ていた。雪乃はほとんど、料理というものをした経験がなかったが、由紀の家に来るようになって、手伝いをしながら、由紀の母や、由紀に仕込まれきた。だから、由紀が次に必要とするだろう、器、料理器具、スパイスなどをてきぱきと用意してくれた。
「雪乃と料理作ってるとね、すごくベテランの看護婦さんと手術やってるお医者さんてこんな気持ちかなと思ってしまうよ」
「褒めたって、何も出ないよ」
 二人は十九になっていた。十代の少女のふっくらとした脂肪がとれ、ともに、タイプは違え、すらっとした美しい女へと変貌を遂げる途中だった。

 自分達で作った料理を食べながら、会話は弾む。
「ほんと、今回だけは、ヒヤッとしたよ。折角、雪乃が作ってくれた、ガラのコスチューム着られなかったら、と焦ってしまったよ」
 フィギュアスケート大会の公式戦終了後、その大会で三位までの選手達で、ガラ・エキシビションという特別演技会をやるのだった。
「でも、着てくれてありがとう。あれから、うちの店に『由紀ちゃんがガラで着てたのと同じデザインで色違い』てオーダがよく来るよ」
 雪乃はもう、縫製工場では働いていなかった。由紀が世界選手権初優勝時のコスチュームを雪乃が作ったのだが、あのデザインの評判はよかった。由紀の母を通じて、コスチュームの製造販売会社から、デザイナーとしてヘッドハンティングされたのだ。だから、今は由紀のコスチュームも作るが、一般のバッジテスト受験者、各スケートクラブの子供達など、幅広い層のコスチュームも制作していた。

「ねぇ、雪乃のとこって、音楽の発表会なんかのドレスも作ってるよね」
 雪乃はブイヤベースのスープをすすりながら、肯く。
「うん。部門は違うけど、作ってるよ」
「あれって、結構フリフリじゃない。ゴスロリなんかは手がけないの?」
 雪乃は、ぶっ! とスープを吹いてしまった。
「ゴスロリ! 客層が違うから、あり得ない。でも、作ってあげようか? 原宿でも歩きたいわけ?」
 由紀は慌てて首を振る。
「そんなんじゃないよ! あれは恥ずかしくて、着れない。でも、メードの服ってかわいいなぁとか、最近思ってしまって……」
「じゃあ、次のガラのコスチュームは、メード服作ることにするわ。ニーハイで眼鏡とかかけたほうがいいんじゃない。箒とか持って」
「あ、それは、ない。十六、七なら、かわいいで済むけど、今はひかれると思う」