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なんでもない、夏

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 その年の夏はやけに蒸し暑かった。

 行着けの駅前の喫茶店。エアコンがよく効いていて、この中なら外のうだるような暑さの太陽もさわやかな光に見える。目の前の道を汗だくになりながら通りすぎるサラリーマンを見ると無意味な優越感すら感じられる。それくらい今年の夏は暑いのだ。本当なら彼女のアパートにいってもいいのだが、彼女のアパートには扇風機しかない。いや、扇風機が悪いというわけではないが、昼間のこの暑さを扇風機の風では和らぐことなどできない。そういうわけだ。
 彼女はトマトジュース、俺はホットコーヒーを注文する。

 彼女―――瀬口由貴に初めて逢ったのは三ケ月前の四月。
 由貴は東京の短大から俺の通う大学に三回生として編入学してきた。
 彼女と親しくなったのは、彼女のノートを部学中で回し借りしている最後がたまたま俺だったのだ。それから講義でであったり、電話で呼び出したりしている内に親しくなり付き合うようになった。出逢い自体は平凡すぎるくらい平凡だと思う。

「今度、須磨行くんやけど」
「須磨? どうして?」
「俺、今年演劇のサークル創ったやん。それでその練習とレクリエーション(つまりは遊び半分)を兼ねて海に泳ぎにいくんや」
「なんか修学旅行みたいね。あ、臨海学校か。とにかく海で泳ぐわけね」
「そういえば、高校んときも夏は毎年のように海行ってたな…」
「私はそれ程でもなかったけど、高校のときは二、三回行ったかな。九十九里とかに」
「由貴も須磨来いひん」
「行かなーい」
「なんで?」
「言わなーい」
 さすがに二度目は少しカチンと来る。
「どついたろか」
 別に怒るほどではないが、突っ込みを入れるのは大阪の習慣だ。
「ええっ、「どつか」ないでよ」
 と。頭を覆い被すポーズをする。
「ほんなら、なんでや」
 しつこいようだが訊いてみる。
「秘密」
 相変わらずのテンポで答える由貴。
「アホか」
「『アホ』って言わない『約束』でしょ」
「そんな『約束』はしてへん」
 実際そんな約束はしていない。しかし、由貴は『アホ』という言葉にこだわって、その言葉を使われるのを嫌っている。東京人の特質だろうか。わからない。
「嘘つき」
「嘘ちゃうやん。―――まぁ、ええわ」

 結局、由貴は須磨に来た。
 前々日電話で「私もやっぱりいくわ。でも日に焼けるの嫌だから泳がないけど。それでもいい?」と云ってきた。そりゃ俺も彼女の水着姿は見たかったが、それよりもまず一緒にいたいという思いの方が強かったので、一にも二にもOKした。それに海を目前にしたらやっぱり泳ぎたくなるかも…という思いもある。
 JR大阪駅で待ち合わせ、新快速・姫路行きに乗り、三宮で快速・網干行きに乗り換え、JR須磨駅。海が目の前に見える。
 劇団サークルの登録部員数は十八名だが、実質積極的に活動に参加しているのは九名。一年目のサークルにしては上々ではないだろうか。
 レクリエーションの参加メンバーは俺を含めて十二名。サークル内メンバー三回生が神田脩、佐々木智昭、俺こと、住友総司。同二回生が実吉一志、村上利枝。同一回生が真柴勇一郎、織江理佳、青木順、戸嶋夏美。部外メンバーとして瀬口由貴、石田陽子、江木夏也。
 JR須磨駅から旅館に直行、チェックインし荷物をとりあえず置いてから海に出かけることにした。旅館の二階の部屋からは海が見える。潮風が全開した窓から吹き込んでくる。海の匂いは心地よい。何故か解放感を感じさせる。旅館はJR須磨駅北側にあるので、海に行くには来た道を逆行しなければならない。
「住友さん。どの辺で泳ぐんですか?」
 真柴勇一郎が訊いてくる。真柴は劇団の期待の星だ。男目に見ても、整った顔の男である。真柴は生まれも育ちも大阪は天王寺で生っ粋の浪速っ子の筈なのだが、神戸っ子ような雰囲気がする。根拠はない。
「このまままっすぐ歩いたら、一ノ谷の海岸に出るから、その辺やな」
「須磨って…海水浴客ばっかりなのね」
 隣を歩いている由貴が同意を求めるわけでもなく訊いてくる。
「確かにそうやなぁ。でも、あんまし泳ぐ目的以外で海来るやつもおらんやろ、普通」
「…普通はね…」
 由貴は何か含みのある物言いをよくする。そういう性格なのか、何か云いたいことがあるのか…、その度に俺は結構考え込んでしまうのだが。
 各自「海の家」で買い物をする。
「由貴は何買う?」
「…トマトジュース」
「トマトジュース? 海来て、トマトジュース?」
「いけない?」
「別にあかんことないけど。売ってるかそんなん」
 幸運にもトマトジュースは売っていた。海でトマトジュースのニーズはどうやらあるようだ。いや、単に店の趣味かもしれない。
 それよりもどうして由貴がいつもトマトジュースを飲むのか、それのほうが気になる。由貴本人の弁明(俺にはそうとしか聞こえない)によると、ダイエットなのだそうだ。由貴はそれほど太っているわけではなく、むしろ痩せている部類に入ると思うのだが、女性は常に平均より痩せていたいらしい。俺には到底理解できない考えだが。
「神田? なんや、その荷物は?」
 副サークルリーダーの神田が大きな荷物を持っている。
「え? なんか一回の女の子がピクニックやないっちゅうのにいっぱい買込んでしもうて仕方なく持ってるんや」
「はは。早速尻に敷かれとるわけやな」
 俺は空笑いした。神田はサークル外参加者の石田陽子とつき合っている。それに上乗せするように、一回生女子、織江、青木、戸嶋と石田は知己である。四対一では元々気の弱いところのある神田に為す術はない。
「笑い事やない」

 一回生と二回生のはしゃぎぶりが場を和ませる。どこから持ってきたのか水鉄砲で遊んでいるヤツまでいる。遊んでいるときは人間関係の相関が判って面白い。
 神田、石田、織江のブリーチした髪が目立つ。その次に目立つのが佐々木、真柴の長髪。真柴はもうそろそろ切ると言っていたが、佐々木は「だらしなく見える髪型が好き」ということらしい。これは意味不明だ。
 海は気持ちいい。
 どんなに不機嫌でも、海に背を向けて空を見上げると、何もかもが小さなことに思える。それと同じに空に背を向けて、何もかも無くしてしまいたいという衝動にも駆られる。
「由貴、やっぱり泳がへんの?」
「うん。水着も持ってきてないしね」
「…そっか。それじゃ、悪いんやけどここで待機して監視役やってくれへん?」
 といって双眼鏡を渡す。
「うん。これで始終総司を観察してればいいわけね」
「そうちゃうって。みんなが溺れてへんかどうかとか、いざというときの連絡係を…」
「わかってるって」

 地平線が遠くに見える―――。浜辺で双眼鏡を片手に持っている由貴を時より横目で見ながら、第一日目は過ぎていった。


作品名:なんでもない、夏 作家名:志木