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深川ひろみ
深川ひろみ
novelistID. 14507
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挽歌 - 小説 嵯峨天皇 -  第一部

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第一章 春霙哀歌(4) - 早良の祟り -



          ☆


「また、幼くして母親を失わせてしまった……」
 この世の終りが来たように打ちのめされて一夜を過ごした桓武は、翌日も喪服姿で自室にこもっていた。ぽつりと呟く。
 外からは、読経の声が低く聞こえてくる。
 また、と言ったのには、理由がある。
 実はこの二年前、延暦五年(七八八年)にも、桓武の夫人の一人、藤原旅子(たびこ)が亡くなっている。父親は藤原百川(ももかわ)である。このとき、大伴親王が二歳で残された。もともと身体の弱かった旅子は、大伴を産んでから体調を崩し、床につきがちだった。妹の帯子(たらしこ)とは仲が良く、その帯子が安殿の元服と同時にその妃に迎えられたので、
「これからは、折々に会えるわね。嬉しいこと」
と喜んでいた矢先にこの世を去った。三十歳だった。
 大伴親王は、神野親王とは同い年になる。大伴は母親が病弱であまり触れあう機会を与えられなかったこともあってか、どことなくおどおどした、気の弱い少年だった。母親の血か、身体もあまり丈夫ではない。二歳で母を失った大伴を、桓武は思案の末に夫人坂上又子に任せた。彼女は征夷大将軍、坂上田村麻呂の妹で、細かいことにはあまりこだわらないさっぱりした性格である。八年前、桓武との間に高津内親王を生んでいる。
 そして、乙牟漏の死である。
 悲しみに沈みながらも、桓武は頭を巡らせなければならなかった。
 乙牟漏の、二人の子のことである。
 十六歳であり、元服して既に東宮御所の主人、という立場にある安殿はともかく、桓武や高志内親王に関しては、まだ母親役が必要である。
 もう、皇后を立てるつもりはない。既に乙牟漏の子である安殿が立太子しているのだ。もしここで皇后など立てれば、その子供と安殿との間で、争いが起きるのは目に見えている。苦しみを共にし、どこまでも共に行くと言った乙牟漏が、命尽きる時まで、桓武にとっての一の人、皇后だ。
 神野は―――泣かなかったな。
 ふと思い出す。
 三ヵ月(みつき)前、桓武の母―――すなわち神野の祖母にあたる高野新笠が死んだとき、途方に暮れたように神野は泣いていた。今日の安殿のように座り込んで泣きわめくという風ではないが、冷たくなった新笠の手を握り、黙って泣いていた。神野はよく新笠を慕っていたから、無理もない。しかし昨日は涙を見せず、むしろ何かに怯えるように、真っ青になっていた。
 「怯える」―――?
 何故そんな印象を受けたのかは判らない。しかし確かにあの子は、冷たくなった母親の手を握り、小さな身体を震わせていた。
 安殿も相当癇が強いが、神野もひょっとすると少し、気を昂ぶらせておるのやもしれぬ。
 ふむ、と桓武はちょっと息をついた。
 あれも又子に任せようか、という考えがふと浮かんだのである。
 彼女の下には、現在実子の高津内親王と、大伴がいる。神野や高志にとって異母の姉弟(きょうだい)たちである。大伴と神野は同い年だ。恐らく少しは気が晴れるだろう。又子は血の繋がらぬ大伴とも、結構うまくやっておるようだしな……。
 結論を出し、桓武は息を吐き出した。ごろりと横になる。
 乙牟漏。
 わしよりも二十歳も若い。それなのに、先に逝かれるとはなあ……
 母上亡き後、二人で進んでゆく以外にないと、思い定めておったというのに。
 母上……
 思い当たって、桓武はちょっと身慄(ぶる)いした。
『許してやっておくれ……』
 そう言ってくれる者は、もういないのだ、と―――
 そう思ったばかりではなかったか?

          *

 十日が経ち、桓武は又子に神野親王と高志内親王を任せた。初めて対面したとき、神野がちょこちょこと前に出て又子の前に手をつき、
「よろしくお願いします」
と言って頭を下げた、と、後日又子は可笑しそうに桓武に話した。
「皇后さまのお人柄が偲ばれますわ。まだ幼い親王(みこ)さまの、お行儀のよろしいこと」
 大伴や高津とも、無事に仲良くやっている、ということで、桓武もひとまず安堵し、再び政務に没頭しようとした。
 大納言藤原小黒麿が、奏上したいことがあると桓武の前に平伏したのは、それからさらに数日が過ぎた頃だった。
「おそれながら申し上げます」
 私室で向かいあい、彼は言った。人払いをしているので、周囲には誰もいない。桓武は脇息に片肘を載せ、彼の言葉を待った。
「後宮の者たちが、浮き足立っております」
「何? ―――何を言い出すのかと思えば」
 脇息から身体を起こし、眉根を寄せる。
「どういうことだ。何が言いたい」
「おそれながら―――」
「早良のことか」
 問うておいて、桓武はいきなり言った。
 小黒麿は、弾かれたように顔を上げる。桓武は少し顎を反らせ、嗤(わら)った。
「図星か、皇后宮大夫どの」
 小黒麿は大納言と皇后宮大夫を兼務している。
「皇后の死は、早良の祟りだと言いたいのか」
 己を奮い立たせようとするように、桓武はむしろはっきりと言う。
「そのように、女官たちが噂しておりまする」
 小黒麿は、それに静かに応じた。
「皇后さまの死は、その怨霊を見た恐怖のゆえである、と」
 そう言ってから、桓武の表情を伺う。しかし、その顔に動揺の色はなかった。ややあって、桓武はおもむろに問う。
「で? それをわしに伝えて、いかにしようと思って参った」
 桓武の反応が予想と違っていたので、小黒麿はどう続けるか一瞬迷った。
「いま一つ、ご報告申し上げることがございます」
「申せ」
「今年はどうも痘(もがさ)の兆しがある、との報告を受けているのです。少しずつですが既に死人が出ております」
「何!?」
 今度は桓武は目をみはる。痘とは、今でいう天然痘である。
「それはまことか」
「はい。暑くなれば、さらに広がるやもしれませぬ。不安を煽る占い師なども現れつつあるとのこと」
 理由の判らぬ不安よりも、原因がはっきりしている不安の方を、人は好む。「この災いは早良親王の祟りだ」と言われ、ようやく納得するのだ。
 そして、ゆっくりと都を不安に満ちた空気が覆っていく。
「痘、皇后さまの死、そして昨年の皇太后さまの死まで、宮中だけでなく、都中で人々が早良親王の祟りだと口々に申しております」
「馬鹿馬鹿しい」
 桓武は吐き捨てた。
「皇太后は、早良にとっても実の母だぞ」
 それだけ、民の間で不満が高まっているということか。
 苦々しく、桓武は思う。
 長岡京への強引な遷都や東北への出兵といった桓武の積極的な政治姿勢に、不満を持つ民は多い。いや、「多い」というのは少々控え目な言い方で、民にとっては苦役の増加以外の何ものでもなく、ほとんど全ての者は、不平不満を抱いているはずである。
 己では何もできぬくせに、不満ばかり言いおって。国家の大事業であるのが判らぬか。
 無論、判るはずがない。
 自問自答して苦笑してから、桓武は気を取り直した。
「で、小黒麿。そなたの考えは」
「恩赦を行われては」
「恩赦?」
「それをもって早良親王を復位させることで、その霊を慰めるのがよろしいかと」
 恩赦とは、罪人の罪を赦すことをいう。天子が病を得たときなどに、己の徳を広く示し、仏の加護を願うために行われることが多い。