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Father Never Say...

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何が不満でどうして欲しいのか、それを言え/聖人


 家政婦がそっとドアをノックする。一日の始まりはいつもそのようにして訪れる。小学校に上がる前に母親と寝室を分かたれ自分だけの個室が与えられて以来、その習慣は平日も休日も違わずに繰り返されている。

 扉が叩かれる少し前、決まった時間に自然に目が覚める。それは生活時間が徹底的に管理されていた幼少時代の名残で、身体に刻みつけられたそのリズムは崩されることなく機能している。普通の子供なら、大人の管理を離れればたちまち夜更かしや朝寝坊で生活を乱すだろうが、そうしてみたいという欲求さえ、聖人にはなかったのだ。

「おはようございます、聖人さん。夕べはよく眠れたかしら」
「おはようシマさん。快眠だったよ」
 皴の刻まれた顔に柔和な表情を浮かべる家政婦は、名を三芳志麻(みよし・しま)という。聖人がまだ乳飲み児だった頃から今日まで側に仕えてきた彼女を、聖人は親しみを込めて下の名前で呼ぶ。彼女に限らず、昔からの使用人たちを聖人はまるで本当の家族のように扱い、接し、そのために彼らに愛情を注がれてきた。

「聖人さんは本当に奥様に似ていらっしゃる」
  母がまだ幼い頃から白河の家に仕えている三芳は、懐かしむように目を細めてはそう呟く。それは聖人にとって最高の賛辞だ。
 おおらかな母親と頭のいい父親、そして美しく強かな異父姉愛美(まなみ)を、聖人はなによりも大切にしていた。そして彼らにとっても聖人は宝物のように大切で、かけがえのない存在なのだった。
 

「おはよう、東海林」
 身支度を整え食堂にたどりつくと、聖人の護衛兼家庭教師である東海林(しょうじ)が扉の前で待ち構えている。
「ああ、おはよう聖人。今日はお前の好きなメニューだ」
 ハウスキーパーなどの派遣や短期のアルバイトを除く総勢十二名の使用人のうち、聖人に敬語も気も遣わず本当の兄のように振る舞うのは、この東海林だけだろう。聖人は東海林のそんな態度が嫌いではなくむしろ好ましいと感じ、他の使用人たちにもそれほど気を遣わなくてもいいと提言したほどだった。

「おはよう姉さん、征一さん」
 広すぎる邸宅に住んでいるのは今や白河本家だけではなかった。祖父母が既に他界していたことから全ての権利を得ていた父は、愛美が結婚したいと言って樋浦征一(ひうら・せいいち)を連れてきた時、同居を条件にそれを許した。
 聖人は父の性格を知っていたから、それが建前であることは見抜いていた。自分と血が繋がっていない娘を嫁がせることに、それほど感傷的になるはずがないのだ。父が得たかったのは樋浦という話し相手だった。華やかな財界での人間関係は、どんなに精神力の強い人間にとってもあらゆる方面からの圧力がかかり堪え難いものだ。まともなコミュニケーションなど絶無で、交わす会話は商談でなければ腹の探りあいだ。樋浦は才能溢れる青年だが、その職業は小説家で、経済にも政治にも直接には関係なかったため、打てば響く会話と、足を掬われる緊張感のない気軽なコミュニケーションができる相手として、父にとってはまさに理想的だったのだ。
 たまに多忙な父が夕食を共にできる日には、愛美と父の樋浦の取合いが始まる。聖人はそんな家族の様子を微笑ましく見つめるのだ。

「聖人も、もうすぐ高三でしょ?彼女はいるよね?」
 最近の姉は口を開けば必ずその話題を持ち出してくる。その度に聖人は曖昧に微笑み、事実を有耶無耶にする。

 実際のところ、聖人に心や身体の繋がりを求めてくる女性はいくらでもいた。身近なところでは玄関に向かって右に三軒目のミサちゃんや、学園の最寄駅近くの繁華街で知り合った自称OLのマキコさんに至るまで。ただ傍にいて欲しいだけの同級生や、自分だけのものになって欲しいと懇願してくる少女、後腐れのないセックスフレンドを志望してくる女性が大半だったが、時に聖人を“将来有望株”とみなし早めに押えておこうとするしたたかな女も、中にはいる。

 聖人は彼女達との出会いを無駄にすることはなかった。全員に同じように接するでもなく、まして利用しようなどと考えるわけでもなく、ただそれぞれとの関係を楽しんできた。聖人と付き合っていると角が丸くなってしまうのか、不思議と「我こそは聖人の彼女」と公言して歩く者も、聖人を奪い合って熾烈な争いを繰り広げる者もいない──男友達が一様に首を傾げる永遠の謎だ。

 そういう状態だったから、聖人は一体どの女が彼女に該当するのか、自分でもわからなかった。一度真面目に相談を持ちかけたとき、外崎に呆れたように斬られた事がある。「お前、そりゃどの女も彼女じゃないって事だよ」、と。溝口などは興味津々で「な、何人とヤッた?」と聞いてきたが、それには首を振ってきっぱりと事実を告げた。
「ヤッてないよ、誰とも」
 絶句する溝口に、外崎は笑いを噛み殺していた。他ならぬ聖人自身がそう言うならば、その言葉をそのまま事実として受け入れる以外溝口たちに道はない。聖人は少なくとも学園生活においては一度も嘘をついたことがない。
「だってそんなことしたら北澤が悲しむから」
 時々外崎は、聖人は何もかも分かっているのではないかとさえ感じていた。
 
 

「お前さあ、いつになったら俺たちの事信用すんの」
 あの一件のあと、溝口がばつが悪そうに呟いた一言は、思いの外聖人の心を抉った。

「北澤にああ言われたとき、わかったんだ。言い訳したけど、俺がお前に望んでたのはあんな嘘みたいな笑顔じゃなくてさ。最悪の凶器(あんなおどし)つきつけておいて、簡単に俺達を許すなよ。何が不満でどうして欲しいのか、それを言え」

 答えられるわけがなかった。結局溝口は諦めてその場を去ってしまった。すべてをなかったことにして、翌日にはいつも通りに挨拶を交わすだろう。聖人はそう思い、実際その通りになった。


 

 一体誰を、信じられるというのだろう。誰よりも尊敬し憧れ慕い大切に思ってきた人に、十五年もの歳月欺かれ続けてきたというのに。

(あの子が生まれた日も、あの子のためにお金を振り込みに行く時でも、俺の前では、貴方は笑っていたんだ、何食わぬ顔で。まるで俺たちだけを愛しているような素振りで)

 気持ちが悪かった。今まで受けてきた愛情だと思っていたすべてが、そうではない何か別のものに思え──何よりもそんな風に感じてしまう自分の心が穢らわしかった。

(ましてそれを貴方に投げつけるなんて、できる筈がない)

「俺は何も知らない」


  ──弟など、いない。
作品名:Father Never Say... 作家名:9.