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その腕につつまれて

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 その腕につつまれて



 ついこの間まで桜が舞っていたのに、気がつけば新緑の芽が伸び青々とした葉が目立つ季節になっていた。
 いつも通学している電車の車内でも、どこか浮き足立っていた新入社員や新入生の雰囲気が少しずつ変わっている事に気づく。
 杜海斗は、フレームレスの眼鏡越しに何気なく泳がせていた視線を車窓の外を流れる景色に戻した。
 いつも大学に通学するのに使う路線に乗る気になれず、反対側に滑り込んでいた電車に足を向けたのはついさっきで、目的のないまま二駅を乗り過ごしているのに苦笑を浮かべる。
(…次で降りよう)
 どこか息詰まっていたのが原因なのは分かっていたし、だから普段掛けていない眼鏡を取り出したのだ。
 もともと視力が悪く、かといってコンタクトにするのは怖かったので敢えて眼鏡を選んだのだけれど、大学に入ってからはわざとコンタクトに切り替えていた。
 明るい窓でも近くに寄っていれば、自分の姿がうっすらと映る。
 海斗はそっとドアに凭れ掛かると、改めて自分の容姿にほんの少しだけ嫌悪感を覚えた。
 染めてない黒髪はまっすぐでさらりとして、目元にほんの僅かにかかっている。普段はワックスなどで緩く癖をつけているけれど、今日はわざとしなかった。
 髪の毛と同じ色の黒い瞳は大きめで、これで制服を着ていれば高校生に間違えられるだろう。身長も百六十ちょっとなので、もしかしたら今の高校生の方がもう少し発育がいいかもしれない。
 だからといって幼いわけじゃなく、顔の輪郭や体つきが華奢なだけで、持っている雰囲気も十代に比べれば落ち着いているし、二十歳にしては少し大人しい方に分類される。
 今の海斗を見れば、大学の知人は誰も本人だと気づかない。
 けれど、こっちの自分が素なんだと、今更出そうとも思わなかった。
 駅名のアナウンスが流れ、見知らぬ駅に海斗は足をつけた。平日の昼より少し前という時間帯だからなのか、それとも住宅地だからだろうか。周りの景色もどこかのんびりとした空気を持っている気がした。
 乗り越し料金を払い改札を出ると、さっき感じた印象のままの風景が目の前に広がっていた。
 駅の目の前には商店街。そして、それを抜けると都会にしては珍しい木々の多い公園が見える。
 多分ベッドタウンなのだろう、マンションの数が自分の住んでいるところより多い気がする。
商店街を通り抜けると人通りがさっきよりも減ったけれど、寂しいというよりは、穏やかな空気が辺りを包み込んでいた。
「なんか、ここっていいな」
 ぽつりと呟き、海斗は小さく笑む。
 一人暮らしをしてから、格段に独り言が多くなった。以前はもっと口数が少なくて、無口に近かったのは近くに喋るのが好きな相手がいたから。
 思い出しそうになって、軽く頭を振る。
 自分から逃げたくせに、寂しくなるなんて間違っている。
 足の速度が徐々に落ちて、気がつけば立ち止まっていた。
 こんな風に、学校を休むのが常だったのは決まっていつも……。
 するりと何かが足元にすり寄ってくるのに、意識が現実に引き戻される。触れた感触は柔らかくて、甘く高い声が耳元をくすぐっていった。
「きみ、どこから来たの? 飼い猫?」
 海斗の質問に答えるかの様に、縞模様の猫はもう一度鳴き声をあげて身をすりすりと寄せてくる。野良猫にしては警戒心がなさすぎるのと人懐っこい態度にどことなく愛着を感じ、しゃがんでそっと頭を撫でた。それだけで気持ち良いのか、咽喉を鳴らし目を細めた縞猫は、もっとと頭を手に押し付けてくる。
「すごく甘えたがりなんだ。でも首輪とかついてないよね」
 ここまで人に懐いていると反対に心配にならないんだろうか。
 公園の入り口でずっとこうしているわけにはいかないので、とりあえず一旦立ち上がる。それを構い終わったと思ったのか、猫はピクリと耳を動かし、そのまま公園の中へと歩き出していった。
「あ、待ってっ」
 まるで置いていかれたみたいな錯覚。見知らぬ土地だといっても、すでに大学生なのだ。だから心細いなんて、笑い話にしかならない。
 それでもなぜか追いかけずにはいられなくて、公園に入って猫を追う。動物の速度と人間の足の速度の違いがあるから、もしかしたら見失うかもしれないと思っていたけれど、縞猫は海斗とつかず離れずな距離を保ちながら歩き続けていた。
 入ってきた所と向かい合うようにしてある出口からするりと出ていき、猫はそのまま右に曲がっていく。
「あれ…」
 たった数秒の差なのに、猫の姿が見当たらなくて立ち止まってしまう。
 大通りから一本はずれた道はさっきよりも静寂の色が濃く、聞こえてくるのは公園からの子供の声や母親達の話し声だけ。どうしようかと悩んでいた時、海斗の耳に誰かを呼ぶ声が届いた。
 低すぎず、どこか柔らかさを含んだ声になぜか惹かれ視線を向ければ、数メートル先でさっきの縞猫がちょこんと彼の足元に座っていた。
(もしかして、あの人が飼い主なのかな)
 白いシャツにブラックジーンズと軽装な姿。自分より年上なのはすぐに分かった。
 さっき海斗がしたみたいに、しゃがんで猫の頭を撫でながら屈託のない笑みを見せる彼から、どうしてか視線が外せない。
 再びこちらに歩み寄ってきた猫に、彼は「カフェ?」と問いかけた。
「あ…」
 目が合う。
 色素の薄い鳶色の瞳をまっすぐ向けられ戸惑って動けないでいると、さっき猫に向けた屈託のない表情を浮かべられ、海斗の緊張がふわりと和らぎ肩から力が抜けていった。
「あの…その猫、あなたが飼ってるんですか?」
「え?」
 一瞬不思議そうに開かれた瞳に、言葉が続かなくなる。
 けれど、すぐにさっきの穏やかな瞳に戻ると、相手は立ち上がって、ゆっくりと海斗に近づいてくる。
「この近くの子?」
「え…あの」
「高校生に見えるけど、大学だよね? こんな天気が良いんだし、教室でずっと講義受けるのもったいないか」
 頭一つ分くらいの身長差。
 瞳の色よりも少しだけ濃い色の髪がふわりと揺れる。
 間近で見る相手の整った造作に、海斗はどきりとした。同年代とは接していても、少し歳の離れた男性と近づく機会は滅多にないので思わず魅入ってしまう。
 高い鼻すじに、ほんの少し下がった眦が、ディテイルを甘くさせているんだと気づいた。
 薄めの唇には笑みが刻まれていて、ほんの少しだけ残っていた警戒心が氷解していく。
「と、こいつの紹介がまだだったね。飼い猫ではないんだ。しいて言うなら通い猫かな。俺の所には頻繁に通ってくれるけど、目当てはこっちじゃなくて向こうにある好物なんだよ」
 差された場所は、緑の多い場所に馴染む様に建っている店だった。
 入り口にある木で作られた立て看板には『カフェ ミスルト』と手書き風にデザインされている。ホワイトをベースにしているが、ドアや窓枠に黒をアクセントとして使っているので、全体として引き締まった印象を与えている。
「おいで、カフェ。あ、ちなみにこの名前は、店だけで通用する名前だから。こいつには別の顔が沢山あるんだ」
 ひょいと猫を抱き上げた彼は、猫の名前のついでに自分の名をさらりと告げる。
作品名:その腕につつまれて 作家名:サエコ