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上弦の月が沈んだ/番外之壱「春の七草」

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今日もまた、いつもと寸分違わず同じ時間に上弦の月は昇った。
そしてまた、いつもと寸分違わず同じ様に人間は狐を訪れ、狐は人間に相対した。

「今日は、春の七草の話」
尾を一度だけ揺らして、狐は珍しくも、人間に問いかけられるよりも早く話を始めた。
「聞いたことはあるけど、春の七草って何なの?」
人間もその事実に多少なりと驚いた。いつも、狐が自分から語りだす事は殆ど無い。しかし単純に嬉しさが勝って、人間は狐に先を促した。
それに対し、狐はまるで普段通りの口調で以って答える。
「春に人間が食べる草だ。粥にして」
「粥?」
「そう。春とは言っても睦月だが」
「ふうん」
狐の言う事は、偶に難しくてよく分からない。
人間にとっての「春」とは、初めて「おかあさん」と逢った時の事であり、それ以外の「春」など知らなかったから。
「……直、春が来る」
「春……春の七草の春?」
狐の言う事は理解しないまま、意図だけは汲み訊き返す。
「そう。春だ」
「ふうん」
狐は小難しい顔付きで目線を落とし、人間はそこで初めて真正面から狐を見た。
それきり、二人の間には沈黙が下りる。

この森には、生き物は一匹たりとも住んでいない。狼一匹、居やしない。
筈だったのだが、何処からともなく、獣の遠吠えが響いてきた。
狐はじっと伏せていた顔を僅かに傾げ、耳をそよがせる。
人間はぴくりともせず、ただずっと狐を見ていた。
「…今日の話は、これで終いだ」
やがて狐は、小難しい顔付きのまま一言だけ告げると、くるりと踵を返した。
人間もそれを受けて立ち上がる。
狐火が揺れ、人間の影をも揺らしながら遠ざかる。
お互い、分かれる相手の事など気にも留めず、二人は、いつも通り別れた。
その後、人間は「おかあさん」を、狐は仲間を最後に見た場所へと、各々向かうのだろう。
二人の邂逅も、これが最後だと気付いたから。
――もう、何かに縛られる事もない。

だからもう、好きな場所へ。



人間と狐の邂逅は、後の下弦の世に於いて、御伽話となった。
まるで自分がその現場を見ていたような口振りで語られる話は、老若男女関係無く、誰もが虜にされていた。
話をしてくれる人間が必ず結びに使う文章があったのだが、既に絶えた言語のようで、その人間以外、誰も理解が出来なかった。
次第に結びの文章が語られることは無くなり、今はもう、誰も知る者はいない。


『その狐、宵に貌在り。願はずとも、逢へば己より語らむ。
 彼の者、常に天より見下ろせり。
 見様こそ悪しからぬ人、なかなか人げなく、祈ぐことさへ知らず。
 それに言はむすべ、せむすべ知らに、宵闇の月の随に、人、僅かづつ消え失す』