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彗クロ 2

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「――じゃあ、定期船はずいぶん減ったんですね」
 耳にすんなりと染み込む声が、意識の蓋を優しく持ち上げた。カタカタ、コトコト。頬をつけた木の感触を伝って、心地よい振動を感じる。
 重い瞼をなんとかかんとか持ち上げてみると、視界はほとんどゼロだった。まだ感覚のぼやけている手を動かして、ぼんやりもっさりとした暗闇を掻き分けてみる。ふいに、鼻の奥がすっとするような空気が毛布の中に入り込んできた。二度寝を誘うぬくい波間から、根性で鼻から上だけ脱出させると、たちまち白々とした朝日が網膜を直撃した。慌てて眉間とピントを絞ると、逆光の中にぼんやりと、大小一対の、見覚えのあるような人影が浮かび上がる。こちらには気づかず、なにやら話し込んでいるようだった。
「――なにせ動力の第七音素は、今や半分が七番目の音譜帯だからな。大気中の余剰音素で動かせないこともないらしいが、ほとんどの音機関はプラネットストーム前提で設計されるからってんで、細かいとこまではなかなか適応しきれないんだと。不便な世の中になったもんだ」
「そっか、だから船賃があんなに跳ね上がってたんだ……プラネットストームを閉じた奴、恨まれてるんだろうな……」
「ファブレ何某の英雄さんかい? 確かに三年前の『英断』に対する愚痴なんかは酒の肴の定番だが、まあそれも命あっての恨み言だしな。みんなわかってるさ。そのうえ惑星預言に詠まれていた滅亡を回避するためだったなんぞと言われてピオニー陛下やナタリア王女じきじきに頭を下げられたとなりゃ、多少の不便は呑まなきゃなんめぇ」
「……すごいんだ、二人とも」
「そりゃあそうだ。今の世の中、マルクト帝のカリスマとキムラスカ王女のでたらめな人気とファブレ英雄生還の奇跡とで成り立ってるようなもんだからな。学校で習わなかったのかい?」
「あー……えっと……」
「……どいつもこいつも当たり前にガッコーに通えてるとか勘違いしてんじゃねぇぞ」
 聞き捨てならない話の展開に、考えるより先に声が出ていた。
 朝日に照らし出された人影が、二つとも振り返った。小柄なほうの首元を縁取る赤と、一瞬だけ透けてきらめたい緑に、レグルはなぜか安堵とは程遠いざわめきを胸の隅に覚えた。
「レグル」
 この世で一番やさしい声が、ありもしないはずの古傷に沁みていくようで、かえって落ち着かない。ごまかすように前髪をかきあげながら、レグルは今度こそ毛布から這い出して胡坐をかいた。狭っ苦しい薄暗がりに、乾いた木と鉄と油とおまけで獣っぽい臭い。起き抜けの頭に、急速に状況が染み渡った。馬車の中だ。
 一晩遡って前日。コーラル城とかいう敵の根城を抜け出した足で、レグルとルークはカイツールの港に向かった。公共の交通機関となればすでに手配が回っている可能性も高かったが、そもそも初めから乗船が目的ではなかった。
 定期船の本数が大きく削減されている今日(こんにち)、乗船客が港に降り立つ瞬間こそが辻馬車稼業の正念場だ。激化の一途をたどる客引き競争に敗れ、あぶれる業者も少なくない。レグルたちはそれを逃さず、肩を落として散り散りになっていく馭者の中でも、明らかにグレードが低そうでかついかにも人畜無害そうな一人を引っ掛けて交渉を仕掛けたのだ。街道を北上してルグニカに戻りたいのだと申し出ると、細身だがおっとりとした丸顔で、身丈短くどことなく風采の上がらない感じのする馭者は、特に不審がりもせず二つ返事で快諾してくれた。
 かくして今は、つかの間の車上の旅だ。所詮は世相落ち着いた陰で必然的に落ちぶれた武器商の副業だから、荷台は暗く閑散として雑多なにおいに満ちており、当然ながら気の利いた座席などあるはずもなく、乗客は隅で幅を利かせている剣呑な代物たちと大差ない扱いではあったが、あるかないかもはっきりしない追っ手を警戒しての旅路には堅い板張りの床も十分にありがたかった。
 厚手の幌にくるまれた薄闇の中、小柄な人影が馭者台のほうから這うようにしてやってくる。八割がた覚醒を終えたレグルの網膜細胞は、ほんの間近にちょこんと鎮座した彼の顔をようやく認識した。
 鏡の向こう側にしては精彩を欠く、どこか霞がかったような表情。それでもルークの口元はぎこちなく笑みを形作る。
「おはよう。よく眠れ……た?」
「お、おう。……おれ、いつから寝てた?」
「ん……『つまりようするに何もかもあのクソアッシュが元凶じゃねぇか、今度遭ったらあの七百六十五度ねじれにねじ曲がった根性と同じにドス紅いロン毛を一本残らずむしりとって辮髪カツラに仕立て直してハゲ頭にリターンスマッシュ決めてやるー』……って言いながらノックダウン……してた」
「う、やっぱそんな序盤でか……ってか、追っ手は!? マルクト軍の――」
 はたと気づいて顔を上げると、まったく同じ造作のはずなのにずっと大人びた顔をして、ルークが口元に人差し指を当てていた。視線で促されたほうを窺うと、馬車の主が馭者台で素っ頓狂な声を上げるところだった。
「軍ー? なんだぼうず、怖い夢でも見たんかい。夢ん中で追っかけられるならおっかさんまでにしときなよぉ」
「うっせ、ボウズとかゆうな口出しすんなっ」
「おぉ怖いねえ」
「レグル、そういう態度は、よくない」
 条件反射の悪態を間近にたしなめられて、レグルは不満めいっぱいに「えー」とか言いながら視線を返したが、ルークの双眼は咎める色もなく澄んでいて、それがかえって逆らえない雰囲気だった。レグルは決まり悪くあちこちに視線を泳がせたが、結局根負けして「ごめんなさい」をごにょごにょ咀嚼した。うつむきがちになったレグルの頭上におもむろに伸ばされたルークの手は、感情の読み取りづらい仕種で、赤金の草っ原で二回跳ねた。
 三回目の跳躍の気配を感じたその時、身体が浮くような縦揺れに見舞われたと同時に目の前に火花が散ったかと思えば、レグルとルークは各々額を押さえて逆方向の床にあえなく突っ伏していた。馬車は不自然な角度で急停止し、その拍子に隅っこに荷がほどけ、束にしてまとめてあった武器の山がざらざらと雪崩を起こした。
 馭者台からは、いやぁ悪い悪い、なんていかにも悪びれない呑気な声が放り込まれる始末。
「岩に乗り上げちまったい。まいったねこりゃ」
「……テメェこのっ」
「降りたほうがいいですか?」
 じんじん痛むおでこの恨みとレグルの舌先にまでスタンバイしていた罵詈雑言を遮るようにルークが身を乗り出した。馭者は手綱を置いてのたのたと台を降りながら、いい、いい、と手を振った。
「車輪の具合を診てくるだけだ。それよか中の荷物、整理しといてくんないかい?」
「ど――!」
「はい」
 どうしてそこまでやってやらなきゃならないんだ――至極まっとうな苦情もまた、レグルの喉を通過する前に、あまりに素直かつ簡潔なルークの返答によって逆方向に押し戻されてしまった。ルークは赤くなった額を気にしながらも、レグルに背を向けせっせと雪崩の収拾に精を出し始める。
 文句を言うべき相手は幌の向こうに消え、相棒は作業に没頭してちっとも構ってくれない。手持ち無沙汰でぶすくれたレグルが、やがて手伝うべきか否かの逡巡に陥りかけた頃、
「……あ」
 ふと、ルークが呟いて手を止めた。
作品名:彗クロ 2 作家名:朝脱走犯