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無音世界

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Lost 07. 君音





 静雄は臨也の名を呼んだだけであった。ただ呼びかけただけで、その行為には何の変哲もない。何かを変えるような力はないと思われる。しかし、臨也はそこに何かの輝きでも見つけたように表情を変えた。どこか怯えたような不安げな表情が消え、安堵が広がる。
 静雄には臨也が自分より先に目を覚まし、心の中で何を思っていたのか、また今何を思っているのか分からなかった。加えて何が今、起こっているのかも分からなかった。
 ただ静雄だけが分からないまま――そう、臨也の耳が音を拾わなくなり、熱を出して倒れたという程度を知っているだけで、あとは殆ど置いてけぼりにされている現状。
 彼は果たして何に救われたと言うのだろうか。
 なんでそんな表情をするのだ、説明しろ、と静雄は言いたくなった。しかし、この言葉は伝わるのだろうか、と静雄は口にする前に踏みとどまってしまう。
 本当は、臨也はもうすでに聴覚を取り戻していた。だが、静雄は臨也では無い。臨也がそのことを口にしない限り、静雄はいつまでも臨也の聴覚が失われたままだと思い続けることとなる。そうして今もまだ臨也は言葉を聞きとれないのだと静雄は思っていた。だから、静雄は臨也に対して声に出すことで尋ねても意味が無いと思ってしまった。
 臨也は静雄の服の裾を掴んだ手を解かなかった。一瞬自分でもどうして静雄を引き留めたのか分からないという表情を見せておきながらも、まだ臨也は静雄をひしと捉まえている。
 暫く二人ともそのまま微動だにしなかった。だが、しんとした部屋の中で先に静寂や静止を振り切ったのは臨也の方であった。臨也は静雄の服裾を掴んだままそのままベッドに倒れ込んだ。ぱらりと白いシーツの上に臨也の黒髪が広がる。
 倒れる勢いでやや引っ張られたことや静雄には把握できていない現状に彼は眉間に皺を寄せた。臨也はやはり静雄の服の裾を手放そうとはしないので、静雄はふうと一息吐くと横になった臨也に少し近付いて見下ろした。
 臨也はもう片方の腕を翳して目元を隠していた。だが、隠されていない口元が、自嘲気味な笑いを吐き出す。その笑いが何であるのか、何故その様に笑うのか静雄には分からなかった。ただ、静雄は臨也が熱を出していたことから、躯を起こしていたことで眩暈でもしたのかと思った。
 静雄を引き留めるように伸ばされている手をその場で振り払ってもよかった。正直引き留めてくるのは熱で浮かされているせいなのだと静雄は思っていた。人は病にかかると心細くなるものだと人々はいう。
 そうでなければ日々嫌がらせをしてくる臨也がどうして静雄を頼りにするのだろうか。そうでなければどうして忌み嫌う臨也を静雄がすぐにつき放さないでいられるというのだろうか。
 静雄は病人を虐げるような悪趣味は生憎持ち合わせていない。だから無碍に振り払うことは相手が件の奴だとしても躊躇いを覚えた。
 何故だか自分が看病することとなった臨也の額に濡らして絞ったタオルは無い。見るとのせていたタオルは洗面器に掛けてあった。恐らく先ほど起き上がった時に戻したのだろう。
――ということは熱はもう下がったのか?
 そう思い、静雄は尋ねようとする。しかし、口を開いてすぐに噤んだ。

 まただ、と感じる。そうして、静雄はこの状態が酷く不便だと言うことに気付いた。
 当人である臨也は勿論、周りもそうだ。セルティの様な者がいるから表示された文章で会話をすると言う行為はすんなりと受け入れられる。しかし、それまで普通に言葉を交わしていた者が突然聞き取れなくなるということはまたそれとは違う。それも口が達者な人間が突然口を噤む羽目になるなんて。一体これからどう接すればいいのかわからなくなってしまった。
 静雄は新羅を呼びに行こうとして席を立ったはずなのに、呼びに行くことができない。先に熱でも確認しようかと思った。臨也に尋ねることはできないので、静雄は代わりに額に触れようとする。しかし、既に覚醒している臨也に触れることに対して静雄は躊躇してしまった。
 もしかしたら彼をこうした原因である自分が触れてもいいのか、触れる権利など持ち合わせているのか。そう、思ったからである。
 臨也は何も言わず、腕を顔の上に当てたままだった。静雄はこの部屋のどこに、否それ以前にこの家のどこに体温計があるのかを知らない。あるにはあるだろうとは思う。ここは闇でも一応は医者が住み、治療を行う場所だ。だが、探しに行こうと思っても臨也の手が静雄を放さない限り行けない。
 面倒なことになった、と静雄は一度双眸を閉じた。
 すると、臨也がくいくいと裾を引いてきた。静雄は目を開ける。視界はクリアで、サングラスを挟んでいない世界はいつもより明るかった。
 臨也は静雄が目を閉じている間に赤い瞳を隠している腕をずらしていた。今は片目が手の甲で隠されているが、ぱちりと開かれたもう片目が静雄と視線を合わせる。
 熱のせいで気だるげで、煽情的に黒髪を広げてベッドの上に四肢を投げ出したその姿に静雄の指先がぴくりと動いた。
「シズちゃん、新羅呼んで」
 言葉は倒れる前よりも格段にしっかりとしていた。それはただ単に一文が短いだけだからかもしれないが、しかし。
 静雄はぐるりと一巡り考えを巡らすが、臨也の引き留める手はもう外されていた。静雄は臨也に対して一つ頷いて返事を返すと、新羅を呼びに部屋を出た。


 新羅は呼ぶとすぐにやってきて、部屋の中に入っていった。静雄は新羅に再び部屋から閉め出される。
 部屋の中の様子が気にならないと言ったら嘘になる。それは一度でももしや自分のせいなのか、と思ってしまったからだ。しかし、逐一観察して知りたいなどというものは人に対して妙で歪んだ愛情をもつ臨也が持っていればいいものであって、静雄は持ちたいとは思わない。事後報告で構わない。
 うっすらと部屋の中の声が廊下まで聞こえてきたが、盗み聞きをする趣味は無いので静雄は気にかけつつもその場を離れた。そうして、一度目と同じように静雄はリビングで待つことにした。
 セルティは仕事でも入ったのかそこには居なかった。静雄はソファーに腰掛けて待っていた。
 暫くして、新羅が戻ってくる。静雄が新羅と顔を合わせると、新羅は苦笑を洩らした。そして次の瞬間、聞かされた新羅の言葉に静雄はぱちくりと瞬くだけだった。
「ただの過労とストレスだったみたい。ちゃんと音も聞こえてるよ」
 それは酷く、酷く呆気ない内容であった。
「熱が出たせいで一時的に音が聞こえなくなった、ってところかな。体調が悪くなると情報を多量に取りこんでしまう視界を遮断して、そこに使う労力を少しでも減らして治癒に向かおうとする反応があったりするだろう? それが今回は聴覚の方にきたみたい。丁度その時に君に遭遇しただけだから、安心していいんじゃないかな」
――君のせいじゃないよ。
 そう、新羅はいいたいようだった。
作品名:無音世界 作家名:佐和棗