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空を探しに

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昔、鳥を飼っていた。真っ白いカナリアで、綺麗な声でさえずっていた。カゴの掃除をしていたら、物音に驚いたのか窓から飛び立っていった。悲しくて泣いた。
 僕らの国には、空がない。赤外線は身体に悪い、太陽の光は命を蝕むといわれて頭上に高くもない天井が出来たのは、僕が生まれるずっとずっと前のことだ。

 僕の父は空を見たことがあるらしい。沢山居る兄弟のなかでも末っ子の僕がお気に入りだった父さんは、よく僕を自分の書斎にいれてその時のことを話してくれた。そんな父さんが、僕の十五歳の誕生日にカナリアを僕に贈ってくれたのだ。

 鳥はとても珍しい動物だった。空を失った彼等はこの町ではもう見られない。首都まで行けば、博物館にはく製があるらしいという噂はあった。僕は図鑑で見ただけだったその美しい翼を持つ鳥に熱中した。そしてそんな僕を見て、父さんも満足そうだった。

 そんな父さんは、半年前に死んだ。空を捕まえに行くといって家を出て、死んだ。遺体はついに帰ってこなかったけれど、死んだことだけは知らされた。
 なにか『悪いこと』をして殺されてしまったのだろうことは僕にも想像がつく。父さんを廻って、私服の警官が家に押しかけてきたことも一度ではなかったからだ。

 そして僕はいま、父さんの書斎の前にいる。なくなったとばかり思っていた書斎のカギを見つけたのだ。僕の机の上を掃除していたら埃をかぶって転がっていた。細かい傷がたくさんついたその小さな金属を手にして、僕の胸に一種の感慨が浮かんできたのは言うまでもないだろう。これがあれば、父さんが生きた書斎へ入ることが出来るのだから。定職にもつかないでふらふらとしていた一般的に見たら駄目な父親だっただろうが、それでも僕は父さんが大好きだった。
 鍵穴にそれを突き刺して、一息に回す。空のないこの町は何時も深刻な水不足に悩まされていた。雨、というものを僕は見たことがない。水は隣町から買っているらしい。隣町には湧水があるのだ。母さんも兄さんたちも、学校や買い物で今は留守だ。僕の通う高等学校は、今日が開校記念日なのだ。

 カギを開けると、部屋の中でふわりと細かいほこりが舞った。蛍光灯の明かりできらきらと光るそれが綺麗だ、と僕は思う。昔は毎日のように入っていたこの書斎も、改めて見ると驚くほど狭かったことに驚いた。父の姿もこの書斎も、小さな僕にはとても大きく感じたから。
 フローリングに足跡を付けて、部屋の中へと進む。窓のない部屋はこの町では当たり前だ。ウチにもベランダに続く窓が一つあるだけ。僕の学校は旧いから、たくさん窓がついているけれど。蛍光灯は明るいし、灰色の天井からぶら下がっている大きな明かりと変わらないから普段はカーテンが閉め切られている。

 部屋に入って一番に眼に入る大きな机には、父さんの文字が踊る地図が広げられていた。僕らの国の名前は、あまりにも小さかった。丸で囲まれているのはここから北へずっといった先にある、聞き覚えのある名前の国だった。此処には空があるのだという。父さんが話してくれたのだ、と僕は思いだした。

「この国には空がある。切り取られていない、大きな空が」
「でも、そうしたらこの国の人たちは太陽の光で焼け死んじゃうよ」

 僕のその言葉を聞いて、父さんは黙って僕の頭を撫でたのを覚えている。机の引き出しに手を掛けると、沢山の書類。分からない言葉ばかりが並んでいる。空という漢字がたくさんあった。空。今は学校で習わない言葉だ。父さんは僕にこの漢字を何度も何度も教えてくれた。
 国の偉い人の政策で、決して空に関することは教わらない。僕が空に関して知っていることは全て、父さんがこの書斎で教えてくれたことだった。

引き出しから手を離して周りを見回す。大きな本棚、僕がよく読んでいた鳥類図鑑や植物図鑑が埃をかぶって置いてあった。懐かしくて、それを引っ張りだす。あの小鳥はどうなったのだろうか。空を目指して飛んだのだろうか。空など何処にもないというのに。

「…あれ?」

 僕は思わず、図鑑を開く手を止めた。大きく幅の開いた本棚。その奥。まるで隠されるよう
に、一冊のノート。

「……これは」

図鑑を置いて、本棚に手を突っ込んだ。そのノートを取り出せば、表紙には父の字で僕の名前が書いてある。『空へ』と。

 戸籍上の僕の名前は空じゃない。空という漢字すら書くことを許されないのだから、当然かもしれないけれど。父さんは俺のことを、その名前で呼んだ。
 これは遺言なのだろうか。父さんが死んだ原因が書いてあるのだろうか。少しだけわくわくした僕の予想に反して、ノートは白紙だった。そんなはずはない、僕の名前が書いてあって、隠されているのだからもちろん何かがあるはず。そう思って、ノートを逆さにして振った。

 ばさり、と音を立てて落ちてきたのは小さな紙切れのように見えた。それも一枚ではない、たくさんある。ただその紙切れを挟むためだけにこのノートはあったらしい。ちょうど白い面が僕を向いていてそれが何かなのかすぐには分からずに、かがんで拾い上げて僕は絶句した。
 眼を差す鮮やかな色彩を、僕は知っている。

「…空だ」

そう、それも!これは僕らの町にはすでにない、天井の上の空の写真じゃないか!
 僕はようやく、謎だった父の職業を知った。父は写真家だったのだ。しかも禁じられた空を撮る写真家だったのだ。
 始めて見る空の写真はあまりにも衝撃的だった。抜けるような青!同じ空でも時間によって色を変えるというのは、本当だったらしい。何枚もの写真。赤や、藍や、薄緑。写真に移るこの白い球体は、噂に聞く月というものだろうか。父はどうやって天井の上にある空を撮ったのだろう?厳重に警備されたこのシェルターの外に出ることなど出来っこない。だが写真は現に僕の手の中にあった。疑問ばかり頭をよぎる。写真の青い空にあるこの光は?

「それは、太陽だ」

 僕は思わず写真を取り落とす。今、声が聞こえた。書斎の扉は閉めたはず、なら誰が?

「太陽だよ、空くん」

 再度聞こえた声の方に顔を向けた。父の書斎、机の下。駆けよって椅子を押しやり、その下に座りこむ。蛍光灯の明かりで見えた。

「やあ、はじめまして。随分遅かったね。ずっと待っていたんだけど」

 夢だ、と思った。僕は夢を見たんだ。父さんの写真も空の色も全部夢なんだと、そんな気すらした。
 なぜなら。なぜなら父さんの机の下に居たのは、僕が無くしてしまった白いカナリヤだったのだから!

「…おまえ、空に飛んで行ったろう」

 思わず僕の口から出たのはそんな一言だった。

「…そんなこともあったね、空くん」

 さえずる声は僕が可愛がっていたあのカナリヤによく似ていた。僕は思わずその鳥かごを引っ
張りだす。膝の上に乗せてまじまじと見ても、やはりあの日飛んで行ったカナリヤによく似ている。

「何でしゃべるんだ、おまえ」

鳥が話をするなど聞いたことがない。父さんは一体この書斎で何をしていたのだろう。空の写真やこのカナリヤは一体なんなのだろう。

「僕は機械だからさ」

「…機械?」
作品名:空を探しに 作家名:シキ