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月下行

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<月下行>



こんなのは別に珍しい事じゃない。
嫌な汗が、じっとりと滲んだ額を乱暴に拭う。
花耶は震える息を吐き出した。
熱でとろけた飴のように、グニャリと視界が歪む。それと前後
して視覚が、聴覚が平衡感覚が、ありとあらゆる全ての感覚が
狂っていく。
珍しい事ではない。けれど慣れるようなモノでもない。
人と違うモノを見てしまう。何故かなんて知らない。
ただそれが”そう”とわかってしまうのだ。
例えば、ある日の夕刻に擦れ違ったのは、白く塗りつぶしたよう
に顔のない少女。
交差点で見つけたのは、落武者の格好で闊歩する骸骨の群れ。
祭りに出かけた時には、狐の面をつけた無言の男達に追いかけ
られるし。足元に転がって来たボールを拾い手渡そうとしたら、
猫の目を持つ少年が笑顔で尖った牙を覗かせて……
思えばロクな目に合ってない。望まずとも見てしまう、その度に
強烈な恐怖を味わってきたのだ。
「花耶、お前が『見る』のはヒトならざる者。妖しとも言われる、
異形の者たちじゃ────」
花耶の《力》を最初に理解したのは母方の祖父だった。
祖父は憐れむような目で見つめ、こう諭した。
「気付かねば、そのモノたちも気付かぬものを。お前が『見る』
から、余計に呼び寄せるのさね。見るから呼ぶ。呼ぶから見る。
悪循環よな。せめてお前が、自分の身を守れる力もあれば良かっ
たんじゃが……」
見てしまうだけで自衛出来るほどの力は無い。その不完全な力が
災いとならねば良いが、と花椰の身を酷く案じた。
その祖父も数年前に病気で呆気なく他界してしまったが、祖父の
抱いた懸念は現実の物と化していた。
嫌な気配がしたらすぐにその場を去る事。おかしなモノを見ても
取り乱さず、冷静さを失わない事。もし『相手』に話しかけられ
ても決して答えない事────
せめて、と祖父が言いつけた決まりをずっと頑なに守ってきた。
そうする以外に術はなかったから。けれど、こんなに”強い”のは
初めてかもしれなかった。
「最悪……」
震える指先に力を込める。それでも震えは止まらず、荒い呼吸を
繰り返す。体中の血と熱とが、根こそぎ奪われていくようだった。
熱と冷気が混在するような、奇妙な感覚。意識が混濁する。
立ち止まれば囚われてしまう。そんな強迫観念めいた不安が、覚束
ないながらも花椰の足を進ませていた。けれどそれも、もう限界
だった。気付けば、周囲の音は完全に消え失せていた。
とうとう捕まってしまった────隔絶されてしまったのだ。
つい数分前まで確かに存在した筈の現実世界とはまた別の、何処かへ。
何も見えない。何処までもが自分で、何処からは違うのか。そんな
根本的な境界線さえ曖昧だ。もはや五感など無きに等しかった。
「────っっ」
怖かった。何故か突然、無性に怖くなった。拭いようの無い本能的
な恐怖と不安とがあって、衝動が堪え切れない。
「っ?!」
不意に、何かが近付く気配がした。恐慌状態に陥る手前で、花椰は
それと思しき方向に身構える。
よくよく注意しなければ聞き逃しそうだった。微かに聞き取れた
それは、唄を口ずさむ子供の声のようだ。
幼い子供特有の甲高い声。聞き覚えのあるその歌詞を追ってる内に、
花耶はふと気付く。
いつの間にか聴覚が戻っている。まるで唐突に目覚めたように、感覚
の全てが戻っていた。
「ここは……?」
一瞬、トンネルの中かと思った。けれど天井が見えないし……
キョロキョロと周囲を見渡せば、そこは林道のような細く曲りくねった
道の途中のようだった。
ぼんやりとは明るい。とは言え、やはり仄暗い。
戸惑う間に、声の方は徐々に近づいてくる。
通りゃんせ、通りゃんせ────
単調な旋律は懐かしさこそ感じても、恐怖を煽る物ではない。が、花耶
は全身に緊張を漲らせる。

 ここは何処の 細道じゃ。天神さまの細道じゃ。
 御用の無いもの、通らせぬ。
 この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。
 行きはよいよい、帰りは怖い。
 怖いながらも、通りゃんせ、通りゃんせ……

闇夜に淡く光を灯す蛍、のようだった。数人の子供達が照らされるよう
にぼんやりと浮かび上がる。十歳前後の子供が全部で九人。男女はほぼ
半々、年齢はバラバラ。一様に粗末な着物姿だ。歌いながら踊るように
跳ねる度、着物の裾が軽快に揺れる。
 通りゃんせ、通りゃんせ────……
すぐ真横を通りながらも、子供たちは花耶に気付かない。まるで最初から
存在しないモノのように。
「あ……」
楽しげに、何処かを目指して通り過ぎて行く子供たち。不自然はほど自然に
自分を黙殺する彼らに、思わず声をかけ掛けて、花椰はそのまま息を飲む。
緩やかな列の最後尾、少女が振り返ったのだ。
「────っ?!」
そこで叫ばなかったのは、奇跡だろう。実際には僅かな時間だろうが、花椰
には無限にも感じた。
コレハ、何?コノ子は、誰?────
年は十歳にも満たない。一番年少かもしれない。細い手足。まだ幼さの残る
頬は微かに上気している。
「?」
目が合ったと思ったのは、一方的で勝手な錯覚のようだ。やや首を傾げつつも、
少女は皆の後を追いかけて行く。
「そんな……どうして……?」
居間、自分が目にしたモノが信じられない。驚愕に大きく見開いた目は、少女
の去った方向へ釘づけになった。混乱する頭の中を疑問符だけが駆け巡る。
これは夢?それとも幻?もし仮にこれが現実であるなら、先程のアレには一体
どんな意味が……?
不意に、花耶は笑いだしたくなった。大声で笑い飛ばしたい気分になった。
愚かな、自分を。
そうだった。自分は知っていた────
子供たちの姿は完全に消え、一人残された花耶が笑う。歪んだ笑みは哀しくも
自嘲めいていた。
どうして忘れてしまっていたんだろう?今の今まで、完璧なほど完全に忘れ
去っていた。まるで誰かの意図で以って、わざと封じられていたように。
忘却は罪だと言ったのは、何処の誰だっただろう?
誰でも良い。あなたは正しいと言ってやりたい。
だってほら。だから、ほら。
「捕まえた」
突然、羽交い絞めするように背後から回された腕。僅かの気配も感じさせずに
そこに現れた、モノ。
「お前を……捕まえたよ?花耶」
囁きが耳朶を掠めた。ゾットとしない、けれど蠱惑的な声。
この声を、この腕を、知らない筈なのに────知っている気がする。
囁かれた言葉の意味を分かっている気がした。
心の何処かが<全て>を理解していた。
どうして忘れてしまっていたんだろう?────
見えない呪縛に絡み取られていく己の四肢を、意思を、朧げに遠く感じながら
花耶は同じ問いを繰り返す。
どうして忘れてしまっていたのだろう?……



◇◇◇



昔、昔の話だ。十年や二十年ではなく、もっと遥かにずっと前。それがいつの
時代とは断言出来ないけれど、都が江戸と呼ばれる地に置かれていた頃の話だ。
自分は自分ではない名で呼ばれ、今の自分ではない姿をしていながらも『自分』
だった。異なる姿形をしていても、その魂は同一の物だった。
住んでいたのは山奥の小さな村で、豊かではなかったがそれなりに平穏な日々を
過ごしていた。
作品名:月下行 作家名:ルギ