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吉祥あれかし 第一章

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1989年1月7日朝、日本の皇帝が崩御した。

 既に前年から皇帝の容体は思わしいものではなく、テレビニュースでは盛んに『陛下の御容態』として毎日の血圧、出血量、そして輸血量までもが忙しなく報道され、多くの祭礼行事は「自粛」という名目で休止、もしくは規模を縮小して開催され、 愈々(いよいよ)「その時」が来るのか、と六十有余年に渡った皇帝の治世に終止符が打たれることを国民誰もが予想するに難く無い状態に追い込まれた。

 関東大震災直後の混乱冷めやらぬ中での前皇帝の崩御に伴う摂政からの即位に始まり、皇帝の治世の前半は十五年戦争の勃発、大戦での敗戦を経て、後半の「静穏期」においてはそれまでの恐ろしいまでの畏怖の空気(その多くは皇帝本人ではなく、皇帝を取り巻く者達がそれを操作していたのだが)が、滑らかな威厳に満ちた寡黙に変わり、「憲法」という大きな菊のヴェールによってその存在は平民にとっては曖昧模糊とした輪郭を辛うじて準えられるだけのものになった。

 皇帝崩御の一報を受け、日本の各テレビ局はまるで一線に横並びしたかのようにコマーシャル抜きのお悔やみ番組を流し続けた。若い一人暮らしの国民の中には余りに画一的なその内容に辟易し、当時都市部において成長を見せていたレンタルビデオ店にβ方式に漸く引導を下したばかりのVHS方式のビデオを週借りで借りる者も続々と出現し、棚に陳列されたビデオが半減するという「此れまでに無かった椿事」も発生した。

 そして、こんな「椿事」もあった。崩御当日、若い少女達に人気のとある事務所が興行を取り仕切っていたアイドルグループが日本武道館にてライブコンサートを予定していたが、崩御の一報を受け急遽「コンサート自粛のお知らせ」の看板を入り口に掲げた。

「何でそんなことでライブが中止しなきゃなんないの!?全然判らない!」

 こうテレビに向かって目に涙を浮かべながら訴えかけた少女がいた。少女達にとっては「アイドル」とは「目の前で笑顔を振りまいてくれる若く綺麗で元気な少年達」であり、idolという言葉の本来の意味である「崇敬の対象」としては、日本の皇帝は余りに遠く、靄がかったものだったのかもしれない。

 しかし、そう言って自分の「アイドル」との邂逅の機会を断たれテレビカメラの前で悲鳴をあげた少女達は今なら判るかもしれない。
 日本と言う国にとって、第124代皇帝がどれだけ重要であったかを。

 そして、その崩御はそれまでの驚異的な経済成長を見せた日本に、どれだけ翳い蔭を落とすことになったかということを。
 突然に終わった「昭和」の前にまだ国民は戸惑い、ある者はバブルに浮かれ踊り騒ぎ、ある者は地上げ屋に恐喝され、そしてある者は天文学的数値にまで跳ね上がってしまった固定資産税を払うことが出来ず、都心の住居を立ち退いていった。


 崩御の報を受け皇室典範に基づいて皇太子が『践祚(せんそ)の儀』により皇帝の位を継ぎ、慌ただしい中新元号が発表され、そして正式に大喪の礼が行われる日が翌月24日に定められると、今度は日本だけでなく、世界の国々や代表機関がその儀式に参列するために然るべき人選に取り掛かった。当時の日本は自動車産業をはじめ製造業が中心になった経済大国として世界に”Made in Japan”のブランドが罷り通っていたため、当然経済的に苦しい立場に置かれた諸外国にとってはこの儀式は金満国家から少しでも「お零れ」を頂戴出来ないかという千載一遇の機会とも取れることが出来た。当然の如く、多くの国々は儀式に参列するだけでなく、政治外交をも抱き合わせにした規模の「弔意訪問団」を日本に送り込み、首都東京の高級ホテルは程無くこうした「外交使節団」によって占拠される事態が起きた。
作品名:吉祥あれかし 第一章 作家名:山倉嵯峨