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「小野恭一を殺しました」
呼び鈴に促され戸を開けると、ひどくうつくしい顔をした若い男が私の目の前に現れるなりそう言った。身長は170センチかそこらであろうか、全体的にほっそりとしていて肌は白く、水で薄めた白色のアクリル絵の具のようで、私は目を擦った。そうしなければ初夏の暑い昼の日差しを背中に受ける彼の体の輪郭はぼやけてしまって捉えきれなかった。髪は人形のようにはっきりとした黒色で、前髪が少々長い。そこから覗くうらやましいほどくっきりとした二重瞼から生える、さらに深い黒色の瞳にふと私は雨に濡れたからすの羽根を思い出す。生ごみを漁り畑を荒らし、時には道端の吐瀉物までも食べて如才無き小汚さで生き延びるからすの姿が彼の黒色に重なって私はもう一度彼のことをうつくしいと思った。都会に来てはじめてうつくしいと思った生き物が私にとってはからすだった。私はからすが好きだ。あれほどしたたかでうつくしい動物を私は知らない。でもだからと言って彼のことを好きになるかといえばそんなことは無い。私が好きなのは小野さんただひとりだ。
「へえ、キミが?なんで?」
小野恭一とは私の恋人である。年は私より八歳年上の二十七歳。原宿だったか渋谷だったかのどこかのクラブでDJをしているらしいが私はよく知らない。女子高を卒業した十八歳のときに、とにかく栃木の片田舎から出たい一心で家を飛び出し、当ても無く東京の街を仕事と住処を探してうろうろとしていたばかな私を拾ってくれた、命の恩人でもある。都会に来て2番目にうつくしいと思った生き物、それが小野さんだった。見た目も中身も典型的なチンピラのような小野さん。収入や素振りから考えて、明らかにDJ以外にも怪しいお仕事をしていそうな小野さん。だけど私にだけは優しい小野さん。大きな口を開けて笑うと銀色の舌ピアスが輝いてきれいな小野さん。かわいい小野さん。そんな小野さん。それから私は小野さんと恋人となり、同時に二十三区内にある小野さんのマンションで同棲を始めてそろそろ一年とすこしが経とうとしていた。その間、いろいろなことがあったけれど何も無かった。あれからずっと、私は小野さんから与えられるものだけを頼りに学びも働きもしないで生きている。まるで人形か飼い猫のような自分の現状に対する自覚はあったがしかし焦慮も危機感も悲憤も特に抱いてはいなかった。私は小野さんが好きだ。小野さんに愛されている私が好きだ。それさえあればこの生活に疑問は要らない。しかし目の前の彼は小野さんを殺してしまったらしい。私が「なんで?」と尋ねたのに、それから私の顔ばかり見てちょっとも喋らない彼をとりあえず私は部屋の中へと引き入れ片付けの行き届いた七畳の居間へと座らせた。ひまな私は日中、片づけばかりしている。小野さんは片づけという行為が元々遺伝子に刻まれていない動物のように、いつだって片づけない。私はきれいな床にクッションを敷いてそこに腰を下ろしながら、もしもほんとうに小野さんが殺されているのなら私はこれから昼間一体何をしていればいいのだろう、と思った。
「あなたのことが好きなんです」
さて改まったところで何を言い出すかと思ったら、彼の口から飛び出たのは淡い告白の言葉だった。さすがに驚いたがうろたえたりはしなかった。そんなことよりも私はふしぎで仕方が無かった。小野さんは強い。大きな体と意外な身のこなしの軽さで、私は小野さんがけんかで負けるところを見たことが無かった。そんな小野さんを彼はどうやってこんな痩せた体で殺したのだろう。毒だろうか。拳銃だろうか。さすがにそんなものを持ち出されては筋肉だるまの小野さんでも死ぬはずだが、ならばそれらの入手経路は?疑問は尽きずに私のあたまの中をぐるぐると回り、そのせいで私が何も言えないでいると、彼はまた口を開き、続けた。
「それで、ここに来たのは、あなたを守るためです」
「どういうこと」
「小野恭一とあなたを、ぜったいに一緒にさせないために僕は彼を殺したんです。小野恭一は間違いなく死にました。今は天国に居るでしょう。しかしあなたはまだここに居る。これであなたと小野恭一は離ればなれだ。それは僕にとってとても喜ばしいことです。だけど、もしもあなたも死んでしまったら。あなたも天国へ行くでしょう。そしてまた天国で小野恭一と出会うでしょう。また一緒になってしまうでしょう。それは僕にとってとても腹立たしいことです。そんなことは、させません。せっかく小野恭一を殺して天国へと押しやることに成功したのだから、あなたにはまだまだ生きてもらいます。あなたが死ぬことを僕は許しません。僕はぜったいにあなたのことを死なせません。あらゆる死の危険からあなたを遠ざけて、僕はあなたのことをずっと守ります」
そう言って彼は私をふわりと抱きしめ、鬱血した白人の肌みたいなメッシュの入った私の髪の毛をやさしく撫でた。彼の腕の中で私は、彼の語った理由について素直に感心していた。
「おもしろいね」
私は彼の薄い胸に手をついて推し戻しながら、彼に言った。
「恋人同士を引き離すのにこれ以上的確な方法は無いよ。キミあたまがいいんだね。小野さんとはちがう。まあ小野さんはそこがかわいかったんだけど……あ、ねえ、小野さんと言えばさ、私、見たいな、小野さんの死体。それがほんとうならね」
面倒だと言って断られるかと思ったが、意外にも彼はふたつ返事で了承した。それは彼の愛する私の頼みだからであろうか。驕りでなく自然と私はそう思った。そして私は彼に連れられて小一時間、電車に揺られた後でさらにまた小一時間、コンビニひとつない木ばかり生い茂る知らない道を歩いて小野さんの死体を埋めたという山中まで辿り着いた頃にはもう既に時刻は夕暮れだった。
明らかにさいきん掘り起こされたばかりであろう、濃い色をした土の場所を彼は行く前に立ち寄ったホームセンターで購入したシャベルを使って掘り起こしていく。その間はほとんど無言だったが、しかし一度だけ彼は私に尋ねた。
「悲しまないんですか、小野恭一が死んだこと。恨まないんですか、僕のこと」
私はすこし考えてから、
「まだ、わかんない。けど、とりあえずキミのおもしろい発想の方に今は興味があるの」
と答えたが、彼はそれに対して特に相槌をうつこともせずそれきり黙った。黙って地面を掘り返し続けた。痩せた背中を丸めるその姿は昔洋画で観た無口な墓守のようだ、と思った後で私はその喩えはなんだかちがうな、と思い直した。

 土の中に埋まっていたのは間違いなく小野さんだった。死後あまり経過していないのだろうか、死体とはいえきれいなものだった。目を閉じて暗い土に横たわっている小野さんは、ふだん私の横で眠っている小野さんよりもきれいだったけれどうつくしくはなかった。生きていない小野さんは、きれいすぎてうつくしくなかった。この小野さんはもう誰も何も汚さない。小野さんが自分の中に秘めている汚れを私や他人に押し付け吐き出すという生命の営みが出来なくなってしまった小野さんは、死んでいる限りもうずっと汚れを自分の中に溜め込んでいくしか出来ないのだ。そうして小野さんは腐っていく。黒色の死肉になっていく。私はここでようやくすこし悲しくなったけど、泣けなかった。
作品名: 作家名:Fy