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今、会いに行く

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――まず、何から記したものだろうか。
 これは、誰に見せるわけでもない私の手帳で、いうなれば手記というものなのかもしれない。ただ、父からの一通の手紙に、今このタイミングで来たそれに、私も少しばかり思うところがあったというだけのこと。
 自分で認めるのもちょっと癪だけど、やっぱり、こう、イベントとイベントの合間っていうのは、不安定になるものなのだ。
 まず一番初めに記すべきは、やはりこうだろう。
 私の父は、人殺しである。

 父は、母を殺した。
 私がまだ、十のとき……だったかな?
 いろいろあって……裁判が終わって……父が私の前から姿を消して……それから、しばらく。先日、私の誕生日の数日後に、一枚の封筒が届いた。
 父からの手紙は、私がこれを読んでいるころには、既に父は死んでいるということを、伝えていた。
 調べてみたところ、確かに父は亡くなっていて……無縁仏として、葬られたのだと、知った。
 死因は、自殺だという。
 父が死んだことというのは、とてもショックだ。これで、私の肉親は誰もいなくなってしまった。親戚たちとはまったく顔も合わせたこともなければ、人殺しの子供なんて面倒見る義理はないと、そもそも相手になんてされなかったし。
 ただ、私は父のことを悪くなんて思っていない。
 もちろん、殺人を肯定するつもりはない。人を殺したという罪はきちんと裁かれるべきだ。それは当然。
 でも、そこに到るまでの経緯を……父と母の気持ちを、私はずっと覚えている必要があると思うから。
 二人の気持ちを知る私は、やはり、父のことを殺人犯と一言で言うことは出来ない。
 だって、本当に。
 二人は幸せそうで……素晴らしい両親だったんだから。
 誰に見られることもない。
 誰に知られることもない。
 誰の目にも触れるはずのない、私だけのこのページに、私は、幸せだったあの時を、記録しておこうと思う。
 ……いや、今が不幸せだなんていうつもりは、これっぽっちもないけど。

 物心ついた時から、なんとなく、そんな予感はしていた。
 例えば、他の家が当たり前に持っているものを、うちは持っていなかったり。服装が、ちょっと違ったり、家が狭かったり。本当に些細な、でも、すぐに気付くような違和感。
 あぁ、うちって、ちょっとあんまりお金ないんじゃないの?
 それは、私が何かを欲しいと駄々をこねたときの、困ったような母の笑顔とか、父の少しだけ申し訳なさそうな表情とかで、窺い知ることができた。
 でも、それがなんだっていうの?
 お金があることと、幸せであることというのは、即イコールではないと私は思う。自由になるお金があったとしても、空虚な毎日を送っていたら、そりゃ幸せと言えるのか? 少なからず個人の価値観だから、どうこう言えるものでもないけれど。
 少なくとも、私は。あの時、ちょっとぐらいお金がなくっても、優しくてやたら美人な母と、若くてこれまたちょいと美形だけど寡黙な父の二人と毎日を過ごしているだけで、楽しくて幸せだった。
 別に、遠くまで旅行に行ったり、外食したりする必要なんてなかった。近くの、花畑が綺麗な公園に行ったりだとか、お母さんの料理で、私は本当に満足だった。
 もっとも、幼かったからこそ、見えていなかったものもたくさんあったと思う。母も父も、色々な苦労があったようだ。今になれば、授業参観のときの居心地の悪そうな母の顔(そういえば、母はその時にいたクラスメイトの母親誰よりも若くて美人だった) や、学校からの集金の封筒を出した時の父の渋い顔から察せそうなものだけど、それはある程度の成長の結果ってもの。

 そんな心労が祟った所為なのか……母が、病に倒れた。
 もともと、そんなに身体は強いほうではなく、時折体調悪そうにして横になっている人ではあったけど、ある夜、ご飯を前に父の帰りを待っていたら、突然に血を吐いたのだ。
 幼い私は、とにかく何が何だかわからずに泣くことしかできなかった。苦しそうな母を前にして、パニックに陥っているだけだった。救急車でも、大人でも、誰かを呼びに行ければよかったのに。
 すぐに父が帰ってきて、血を吐いて倒れる母を見て、救急車を呼んだ。
 そこからのことは、少し、記憶が曖昧だ。
 救急車に乗り込むところ、病院の中、誰もいない待合室でぽつんと座っているところ……思い出すシーンは飛び飛びで、要領を得ない。
 それでも……父がずっと握っていてくれた手のぬくもりは、しっかりと覚えている。
 記憶がはっきりするのは、病室だった。母が眠る白いベッド。彼女に繋がれたチューブやケーブルが、まるで母から元気を吸い取っているかのように見えたのを覚えている。
 青白いを通り越して土気色をした母の顔は、まるで死人だった。母は死なないか、と父に訊ねた私は、本当に空気が読めない。父だって、そんな問いには答えたくなかっただろう。
 父は、唇を噛み締めるようにして――今まで見たどんな表情よりも悔しそうにして――頷いた。それは、私の問いに答えるというよりも、自分自身に暗示をかけてでもいるかのようだったと、今になれば思う。
 ただ、その時の私は、病院にも来たし、父もそういったから、母は治るのだと信じていた。
 しかし。
 のちに知ったことだけど、その時点で、母の病状はすでに末期だったらしい。あと、余命幾ばくかもないと。
 持って一年。それが、母に下された宣告だった。
 私は、安心したのか(本当に空気が読めない) すやすや寝ていたから知らないが、その時の父の苦悩は相当なものだっただろう。そこから数日間の父の憔悴しきった顔は、思い出すと今も胸を締め付けられる。
 対照的に、母はいつもと同じで、柔らかい笑顔を浮かべていた。
 倒れた翌日、面会しに行った先では、顔色こそまだ優れなかったものの、普段と変わらない彼女の態度に、私は勝手に、母の回復を一人確信したりもしたものだ。
 彼女に施せる治療など、どこにもなかったというのに。
 それでも、父は一縷の望みにかけた。
 末期症状の患者に対し、「これはあなたの病気の特効薬ですよ」と言って薬を与えると、その薬が何の効用も示さないはずなのに、病状が回復するという症例がいくつかある。父は、それに賭けたのではないかと私は思う。
 母は、そんな奇跡を起こしてくれそうな人間だったからだ。
 それから程なく、母の手術が行われた。
 ギリギリ切れるとか切れないとかそんな話を、父とお医者さんがしていたことを、ぼんやりと覚えている。私は、母のお腹が切られることが妙に怖くて、ずっと母の手を握っていた。
 母はいつもと同じ笑顔で、私の頭を撫でていてくれて……この手が、失われてしまわなければいいと、ただ願うことしかできなかった。
 手術室へと向かう彼女は、笑っていて。
 私は、ただ。
 あの毎日が、失われないようにと願うことしか出来なくて……

 術後の経過は順調で、投薬は続けるものの、彼女はめでたく退院となった。私は無邪気に喜んでいた。
 これで、母の病気は治って、私たちの毎日は、これからも続いていく。私はそう信じて疑わなかった。
 ……そう、願っていた。
 でも、世の中はそううまくはいかないらしかった。
作品名:今、会いに行く 作家名:GODO