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「本当に優しい子でね……そうそう、いつだったかしら。あの子がここに来てすぐの時、黒板の字が見えづらいって言うから一緒に眼鏡を買いに行ったんだけど、店の中で申し訳なさそうにしていてね。一生大事にしますなんて……眼鏡なんてそう高いものではないのに、そういうところまで気を使うというか、私たちにも気を許してなかったのかしらね……何にしても買い与えられることを嫌って、結局何もしてあげられなかったのよ」
 苦笑しながら祖母が言った。そう言う祖母は、どこか寂しそうだった。
「そんなことないよ。鷹緒さん、眼鏡が壊れるまでずっと着けてたし、きっと今でも大切にしていると思うよ。それに優しいところも、変わってないと思うし……」
 祖母を見つめて沙織が言った。そんな沙織に、祖母も微笑む。
「ありがとう。私はあなたみたいな可愛い孫がいて幸せだわ。でも今でも一番心配なのが、甥っ子の鷹緒なのよ……沙織ちゃんは今まで真っ直ぐ生きてきたと、私も誇りに思ってるわ。だけど鷹緒は、いつも不器用でね……沙織ちゃんは鷹緒よりもずいぶん年下だけど、同じ職場同士、鷹緒のことよろしくお願いね」
 沙織は少し考えた後、小さく頷いた。祖母の心配そうな顔に、それ以上は何も言えなかった。

 数日後。
「沙織ちゃん。茜ちゃんからエアメールが届いたんだ」
 仕事を終えて事務所に戻った沙織に、広樹が言った。すでに事務所は閉じていて、広樹しかいない。
 受け取ったエアメールは茜から事務所のみんな宛てで、茜の結婚報告が書かれているほか、結婚相手との写真が同封されている。
「知ってた? 茜ちゃん、結婚したんだってさ。あれだけ鷹緒に熱上げてたのに、遂に諦めたか……」
 苦笑しながら広樹が言った。沙織は頷き、同封の写真を見つめる。そこには幸せそうな茜の姿があった。
「前に鷹緒さんから聞きました。でも、素敵な人みたいですね」
「うん。結婚か……どんどん追い越されるなあ」
 広樹の言葉に、沙織が笑った。
「ヒロさんは、そういう話あんまり聞かないですけど、結婚はしないんですか?」
「あはは。痛いなあ。しないってわけじゃないけど、相手がねえ……今はまだ、事務所も手一杯だし……なんてね」
「大変ですよね……」
「まあね……鷹緒みたいに、さっさと結婚しちゃうやつもいれば、僕みたいに、そんな気配すらないやつもいるわけだよ」
 それを聞いて、沙織はふと尋ねる。
「鷹緒さんって、十代の頃に結婚したんですよね?」
「そう、十九だったかな?」
「えっ、じゃあ理恵さんはもっと下ですよね? もしかして、学生結婚?」
 驚いた沙織に、広樹は手を振って否定した。
「いや、理恵ちゃんはモデル一筋で、高校には行ってなかったからね。学生結婚ではないよ。でも鷹緒が十九だから、理恵ちゃんは十七か……」
「何の話してるんですか?」
 そこに、外回りから帰ってきた理恵が顔を出す。
「ああ、理恵ちゃん、おかえり。今、君と鷹緒の結婚当時のことをね」
「何を言ってるんですか。そんな昔の話を……」
 広樹の言葉に、苦笑しながら理恵が言う。それに続いて、沙織も口を開いた。
「でも、すごいですね。十代で結婚なんて……」
「すごくなんかないわよ、幼いだけ。慎重ではあったけど、周りも見えなくなっててね……さあ、こんな古臭い話は終わりにしてください。ヒロさん、子供が風邪引いてるんで、これで帰らせてもらいますね」
「恵美ちゃん、大丈夫なの?」
 急いで片付けている理恵に、広樹が尋ねる。
「ええ。今朝、病院にも連れて行ったし、大丈夫です。たまに大きな風邪引くんですよね……じゃあ、お先に」
 理恵はそう言うと、事務所を出ていった。
「風邪か。今年の風邪は、熱かららしいよ。気を付けようね……それより、沙織ちゃんはどうしたの?  仕事終わったんだよね?」
 そう尋ねてきた広樹に、沙織は少し照れ笑いする。
「あ、さっき仕事終わったんですけど、家に帰っても一人だし、事務所に誰かいないかと思って……」
「ああ、たまに一人で居たくない時もあるよね。今日はユウさんとも会わないんだ?」
「最近会ってないです。今はツアー中だし、なかなか……」
「売れっ子とつき合うのも大変だね……じゃあ、よければ鷹緒の家に行ってきてくれない? あいつ、今日は直帰してて明日も休みなんだけど、休み中にやっておくって言ってた仕事、持って帰ってないんだよ。明日取りに来させるのも可哀想だしね」
 沙織は頷いた。全然会わない鷹緒に、会いたい気持ちもある。
「いいですよ。でも休み中にまで仕事なんて、鷹緒さんも大変そうですね」
「あいつは仕事人間だからね。そうでもなけりゃ、一人身でやってられないよ。じゃあ頼むよ」
「はい」
 沙織は大きな封筒を受け取って、事務所を出ていった。鷹緒の家へ行くのは、鷹緒が日本を発って以来である。

 鷹緒のマンションに着いた沙織は、少しドキドキしながら部屋の呼び鈴を鳴らした。
「はい」
 中から面倒臭そうに、鷹緒が出てくる。沙織は預かった封筒を差し出し、久しぶりの鷹緒の顔を眺めた。
「あの、ヒロさんから預かって……」
「うん、聞いた。ったく、明日取りに行ってもよかったのに……」
「でもヒロさんが、明日わざわざ来なくて済むようにって」
「んー、サンキュー」
 鷹緒は封筒を受け取るが、それ以上何も言おうとしない。そんな鷹緒に、沙織は眉を顰めた。
「お茶でもどうぞとか、ないの?」
「なんで? 届けに来ただけだろ?」
 すかさず鷹緒が言い返す。
「……もういいです」
 沙織はムッとしてそう言った。なぜあれほどまでに鷹緒が好きだったのか、わからなくなるような仕打ちに見えた。
「……上がれよ」
 そんな沙織に、軽く溜息をつきながら鷹緒が言う。
「いいです」
「いいから、上がれ。話がある」
 鷹緒は強引に沙織の腕を掴むと、中へと引き入れた。
「イタ……」
「入れよ」
 そう言って中へと入っていく鷹緒に、沙織は仕方なく後に続いた。数年ぶりの鷹緒の部屋は、以前とほとんど変わっていないようだ。
「……おまえ、いくら頼まれごとの仕事でも、男の部屋にホイホイ来んなよ」
 リビングに着くなり、強い口調で鷹緒がそう言った。思わぬ言葉に、沙織は驚いた。
「え……」
「ヒロにも俺から言っておくけど、俺だって親戚とはいえ、男なんだ。それに、おまえはただでさえBBのユウとつき合ったり、世間に目立つことしてんだから、こういうことさえスキャンダルで命取りになったりするんだよ。気を付けろよな」
 そこで沙織は、初めて鷹緒の言葉を理解した。
「うん。ごめんなさい……」
 沙織は素直に謝ると、言葉を続ける。
「でも、そんなに強く言うこと……」
 そんな言葉を背中で聞きながら、鷹緒は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、沙織に差し出した。沙織はそれを受け取って、思わず微笑んだ。
「……なに?」
 笑っている沙織に、首を傾げて鷹緒が尋ねる。
「ううん。全然変わらないなって思って」
「なにが?」
「缶コーヒーが、冷蔵庫にぎっしり入ってるところとか」
 沙織の言葉に、鷹緒も苦笑した。
「……ついついね」
作品名:FLASH 作家名:あいる.華音