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七変化遁走曲

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2.依頼の依頼


 薊堂を出る前に行き先は古本屋と聞いたはずなのに、やたら入り口までのアプローチが長い。
 うちの敷地なんてすっぽり入ってしまうほどの日本庭園に咲くのは藤の花と菖蒲、躑躅(つつじ)。まだ蕾の開いていない紫陽花の生垣。飛び石の脇に青々とした桜の木があって、ああ此処の花弁がうちの庭まで飛んできていたのかと納得する。

「ここ、本当に街の中なのかしら」
「位置的には問題ないはずだけどね」
 その割には、事務所の真裏の場所に来ただけにしては時間がかかりすぎている。
 門を潜り庭園を抜けて、辿り着いたのは二階建ての木造家屋だった。しっとりと黒い瓦屋根、開け放たれた玄関には『商い中』の暖簾と『深砂鷺』の屋号。
 なんと読むんだろう。ふかすなさぎ?しんささぎ?とにかく、最後の一文字はサギ以外の読み方を知らない。もしかしてトキだったろうか。それともカッコウ?
 ずんずんと進んでいく常葉の背中を追って屋敷の中へとお邪魔する。こんにちは、と声をあげると、奥のほうでなにやらがさがさと物を掻き分ける音。電話があったから当たり前ではあるけれど、どうやら人はいるらしい。

「お邪魔します、薊堂です」
 根気良く呼びかける常葉の声に気付いたらしく、襖の間からひょいと顔が覗いた。
「やぁやぁ、いらっしゃいませ」
 やっと玄関先に出てきたのは男の人だった。にこにこと爽やかな笑顔を浮かべてあたしたちを迎える。
 その出で立ちに、あたしは些か驚嘆した。
 ここは呉服屋だったろうか?

「遠路遥々ようこそ。何かお探しものですか?」

 おそらくこの店の主人だろうその人は、こんな最寄り駅から十分の街中に居を構えつつ、着ているものは和服だった。黒と茶の細縞模様の単衣着物。着流し、と呼ぶ類のものだったと思う。文豪や時代劇でよく目にするあれだ。青海波文様に金糸で拵えられた帯を腰で結び、おまけにぱたぱた扇子を揺らしながら優雅に微笑んでいる。
 光も吸い込むような黒髪、口調や仕草からして年齢はおそらく三十やそこらだと思うのだけど、身形のお陰で年齢不詳に見える。もっと年を召しているような、反対にもっと若いような。衣服に着られている感じは全くなく、普段から着慣れているだろうことが予想できた。
「探し物があるのは、そちらのはずだですけどね」
「いやいや、相変わらず香介くんは生真面目だねぇ」
 まじまじと観察をしているあたしの目の前で、店主とうちの助手とが言葉を交わしている。聞きなれない名前で常葉を呼ぶ様子を見ると、この店とうちの店とは仕事上の関係が深いらしい。
 ちなみに、香介というのは常葉の外向きの『名前』だ。常葉香介。少し前に仕事用の名刺を見せてもらってつい笑ってしまった。

「じゃあ、こちらが?」
 落ち着きなく二人の遣り取りを眺めるうちに、店主の目がこちらに向く。髪と同じで漆器のような黒い瞳。それがあたしを捉えてふっと和む。

「はじめまして。深砂鷺の店主の紺屋永春です」
「あ――薊堂の浅見翠仙です」

 ミササギと読むのかと感心しながら深く頭を下げる。うっかり『はじめまして』をつけ損ねたけれど、紺屋さんが気分を害した風ではなかったので安堵を覚える。

「桂一朗さんのお孫さんですね。そうすると今は6代目社長かな」
「まだ、そんな大層なものじゃないです」
「でも直に受け継ぐんでしょう」
 にこにこと絶えないやわらかい表情に、あたしは恐縮を隠せないまま居住まいを正した。
作品名:七変化遁走曲 作家名:篠宮あさと