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兎と男

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俺よりも非力な動物を蹴飛ばすことに抵抗はないが、自分よりも非力な動物を蹴飛ばす行為を楽しむ人間には虫唾が走った。
 傷つく体を庇うようによろよろと歩く猫に追い討ちをかけあざ笑う、そんな哀れかつ薄情な人間を目撃するたびにこの右足は空を裂く。
 今、この時だってそうだ。例外があるとすれば、被害者が兎であることと、浮いたのは左足だったということ。
 鈍く響く音と体中を駆け巡る反動に快感などありはしない。当然だ、危害を加えて楽しむ屑共とは違う。俺にとって暴力は、快楽ではなく怒りのはけ口なのだから。

 拝啓。神様、聞こえますか。あなたが作った実力主義社会のせいでヨワイモノイジメが流行ってます。どうにかしてください。敬具。

 色々と誤解されているかもしれないから、ここで訂正しておこう。俺が屑共に力を振るうのは決してヨワイモノイジメではない。先にも述べたように楽しんでいないし、第一、好き好んで弱者に力を振るう屑共は喧嘩に弱いというお約束があるのだ。
 本当に強い人間というのは、己の実力を無闇に明かしたり、不必要な時に使ったりしない。そう考えると、憤怒如きで蹴撃し、逆上した屑共にもぶっ倒れるまで付き合ってやる自分はまだまだ弱い人間なのだろう。
 気づけば周りはおねんね中のガキだらけ。薄暗い路地で寝るのは危険だぞ、と声をかける優しさなんて持ち合わせていない。寝かせたのは俺自身だから当たり前か。
 口内の血(いつの間にか切れていたらしい。屑相手になんて不覚だ)を適当に吐き出し頬ごと袖で拭っていた時、茶色の毛玉が視界の真ん中に飛び出してきた。
 ああ、そういやいたな、兎。
 毛玉は俺を凝視し、そこから一歩も動かない。横腹を赤くにじませているくせに、食物連鎖の頂点(ただしここから半径三メートル以内に限る)に立つ俺から逃げようともせず、ビーダマみたいな目をアピールしてくる。
 弱肉強食の世の中だというのに逃げる気配を見せない毛玉を、無鉄砲なばくち打ちと評価してやろう。
 先にも述べたが、俺は非力な動物を蹴り飛ばすことに抵抗はない。
 大声を上げ、壁を蹴り、毛玉を鋭く睨んでみせる。女子供一般人はこれをやれば必ず逃げる。
 それでも奴は微動だにしない。たまに鼻を動かす程度だ。少なくとも普通の人間より度胸があるらしい。
 知らないうちに頭をかいていた。癖というより、困惑、かもしれない。
作品名:兎と男 作家名:森丸彼方