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虹と蜜柑と疫病神

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【五】





 空の篭を抱いて、家人に頼まれたものを買いに村の市場まで走った。
 今日の市に出ているものが何か、知ろうと思えばなごには簡単に知れたけれど、見る前に知ってしまうのはとても勿体無い気がするので、それはしない。
 美味しい物はなんだろう。何を買ったら、食事には何が出るのだろう。そんなことを考えるのが楽しくて、鼻唄まじりに市を覗く。家人に頼まれたものと、余ったお金で好きな物を買っていいと言われたのだ。
 朝の市は村人でごった返していて、自分よりうんと背の高い人並みに揉まれながらも、なごはきょろきょろと市場を見回していた。人も多いが、それなりに物も多いのだ。
 やっとこさ目当ての物を見つけて代金を支払う。頼まれた分を買うだけで疲れてしまい、なごは山になった篭を抱いてちょっと息を吐いた。篭もけっこう重いのだ。
 市場の端まで歩き、座りこんで人波を眺める。
 なごは人間が好きだった。それは取り立てて理由はなく、ただ好きなだけだ。
 好きなだけだから余計に、一緒にいたいと思う人が必ずしもその人でなければならない理由はなかった。しかしただ好きなだけだからこそ、その人から離れてもいいと思える理由もないのだ。
 目を閉じれば活気のある喧騒が耳に心地良く、ずっとここにいたいなぁと何の含みもなく思う――それは、そんなにも悪いことなのだろうか。
 不意に、どこからか順之輔の名前が聞こえて、なごは目を開けた。
 目当ての声は、首をめぐらすまでもなくすぐに見つかった。恰幅のいい女たちが、篭を片手に車座になって話をしている。なごは耳を澄ました。
「ほら。お優しい方だけどさ、そうやってずぅっと我慢してらしたから、ついに堪忍袋の尾が切れたんじゃないの? 妹さんも相変わらずなんでしょ?」
「でも、だからって子供を拾ってきて何をするのかーだなんて……ちょっと話が飛びすぎじゃあなぁい?」
「だったら、どうして子供なんて連れてくるのよ? 婿に入ろうって話が来た後にさ、わざわざ面倒を背負いこもうって? お楽しみがなけりゃ、人間やってけないじゃない」
 女たちなりに声を潜めた会話だったらしい。しかしなごには筒抜けで、それ以上聞いていられなくてなごはその場から駆けだした。
 順之輔は、今でも嫌われているわけではない。けれどとよの言う通り、順之輔にはなんだか悪い噂ばかりがつきまとっているようで、なごは悲しかった。
 やっぱりとよが言うように、なごは順之輔にとって悪いことばかりを招き寄せてしまっているのだろう、今までなごが関わってきた人たちと同じように。話には直接なごが関わっているものもあるのだ。
 抱いた篭が思い。市場から離れる途中で何度も人にぶつかって、その度に転びそうになりながら誤って、なごは道を走った。
 自分がいるせいで順之輔が悪く言われるのは辛い。もしもそれで順之輔が悲しい思いをするなんて嫌だ――だったら、どうすればいい?
 道の向こうで手を振っている影を見つけて、なごは駆けていたそのままの勢いで順之輔の腹に飛びついた。
「おっ……と、と……」
 なごが放り出した篭を受け止めたらしく、順之輔の体が傾く。
「遅かったな。迷ったのかと思って、探しにきたんだぞ」
 頭の上から順之輔の声を浴びて、なごはぎゅっと胸を締め付けられた。
 自分が離れればいいことは分かっている。けれど、こうして触れている温かな感触から手を離すなど、なごには耐えられないのだ。
「おい……?」
 顔を覗きこもうとする順之輔に抗わず、なごは悩んで真っ赤になった顔を上げる。
 順之輔のてのひらが額に触れた。少し湿った冷たくて気持ちのいい感触にほっとして、なごは順之輔に体重を預ける。
 順之輔の驚いた声と、ふわりと浮き上がる感覚が、だんだんと遠のいていくのが分かった。



「なご?」
 水にぬれた冷たい感触が額に触れて、なごは目を覚ました。
「……順之輔……?」
「粥だぞ。食えるか?」
 ぼんやりとはっきりしない頭で見上げれば、順之輔が湯気の立った小鉢を手になごの顔を覗き込んでくる。
 寝ていても目を開けばぐるりと回る視界に閉口して、絶え間なく痛む頭に眉を顰める。体が熱くて、だるくて、息をするのも億劫な気がした。人間ではない自分がこんなことを思うのも、おかしな話なのだけれど。
 ――こんな自分を、とよはどう思っているだろう。
「母上特製の卵入りだ。美味いはずだぞ?」
「……順之輔……」
「なんだ?」
 起き上がれるかと聞かれるが、そうしようとするだけで視界が回ったので、なごは力なく首を振った。
 どうしようかと順之輔が辺りを見回すたびに湯気が動き、それをぼんやり眺めながら、きっと美味しいんだろうなぁと思う。食べたいと思わないことが酷く勿体無い。
 なんだか暑くなって布団をつかむと、順之輔がなごの手を握った。
 冷たい感触に人心地ついたような気がして、大きく溜息をつく。
「……順之輔……あの、ね……」
「んー?」
「とよさんの、目のこと、聞いた……」
 しばらくの間のあと、そうかと呟いた順之輔は、握ったなごの手をトントンと軽く揺らした。
「……見えないことにしとけって言ったのはさ、実は俺なんだよ」
 いかにもマズいことをしたという風に呟いた順之輔を見上げ、とよの涙の熱さを思い出す。
 なごはわずかに目を伏せると、口元を布団に隠した。
「俺たちには見えないから、見えるあいつは何もない所に手を振ったり、話しかけてることになるだろ? それはちょっとな……せめて見分けがつけばいいんだが、つかないって言うし」
 頭がくらくらして、目に涙がにじむ。どうして彼はこんなにもおおらかでいられるのだろう。自分が疫病神に気に入られたとも知らず、共感できない話をいとも簡単に受け入れて、すぐそばで大丈夫だよと言ってくれる。
 順之輔とずっと一緒にいたとよが、とても羨ましかった。本当に順之輔のことを思うなら、自分はすぐに彼から離れなければいけないのだ。
 そうと分かっているのに、それでも一緒にいたいと願ってしまう自分の身勝手さ加減が許せなくて、なのにどうしても願望を抑えることができない。
「なご? どうした? 辛いなら盥を持ってくるからすぐに言えよ?」
 息が詰まる。少しでも声を出すと泣き喚いてしまいそうで、なごは懸命に歯を食いしばった。
 ごめんなさい。
 声にならない謝罪の言葉がなごの喉からもれて、それは聞き取れないほどの小さな嗚咽となって、すぐに消えた。
作品名:虹と蜜柑と疫病神 作家名:葵悠希