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ファッション

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「このブラウスなんかどう?」
 袖がたっぷりふくらむようふんだんに生地をとった、透ける白地の繊細なブラウスをモリヤは未遠の身体にあてた。
「あ、良さそう」
「そのブラウスは新作です。まさにアリスのコンセプトの、『ヴァンパイアの正装』なイメージです」
 少し離れて二人をちらちらと窺っていた店員が寄ってきて、機械的に説明した。モリヤは店員を無視し、未遠に向かって言った。
「ヴァンパイアだって。お茶会はこれでいいんじゃない」
 未遠が云とも否とも言わないままモリヤはそれを買うと決め、主人が従者にするようにブラウスを店員に手渡した。更にブラウスに合わせたジャケット、自分のためのスカートなどをモリヤは次々に選んだ。自分用の服は鏡で合わせてみることすらせず、デザインが気に入ったものを迷わず手に取る。新作を端から買い、いちどに三着、四着と十万円以上平気で買っていくモリヤは、傍若無人で態度が悪くとも上客には違いなかった。
 アメックスで支払いを済ませ、義父の名前をサインして店を出た途端、未遠が「あっ」と声をあげた。狭い通路を塞いで、男が立ちはだかっていた。長身に、季節はずれのトレンチコートを纏い、背中で束ねた長い髪が銀色に光った。濃い色のついたサングラスをかけていたが、通った鼻梁とかたちの良い薄い唇から、端正なつくりの顔立ちであることがうかがえた。
「……失礼」
 嗄れた低い声で呟き、男は未遠とモリヤが出てきたばかりのドアを開けて、店に入っていった。あの人だよ、と未遠が茫然と呟いた。
「……さっき、伊勢丹の前で、通りを挟んで私と向かいあっていたのは、あの人」


 彼は寝台の上で目を覚ました。昨日……一昨日かも知れないし、一週間前、もしかしたら一年前かも知れないが……最後に夜明けとともに眠りについたときは、地下深く秘密裏に建設中のまま日の目を見ることなく閉ざされた鉄道駅の、錆び果てたコンテナの中だったはずだが、目覚めた場所は室内のようだった。
 自分の体をあらためてみた。晒の、簡素な衣装を着せられている。肘の裏にちょうど針を刺したような小さな穴がある。枕許に線香が一本供えられて、細い煙が一条立ちのぼっていた。独特の香りに、彼は顔をしかめた。かつての彼の信仰とは違うものだから脅威ではないが、異教のものであれ祈りが側にあることは不快だ。
 霊安室か、と彼はようやく状況をのみ込んだ。遺体だと思われ、ここまで運ばれてきたのだろう。あの忘れられた地下壕が暴かれたということか。そんな事態になったら、土砂に埋もれて更に深く眠るか、白日太陽の下に引きずり出されて灰になるかするだろうと思っていたのに、人間に救い出されるとは。
 体内に新たな血を感じる。眠りから覚めたときには強い空腹感が襲ってくるものだが、今はそれほど飢えを感じない。まさか、人間は自分に輸血を施してくれたのだろうか。何の工事だか知らないが、本来あるはずのない空間に、いるはずのないものがいて、脈も呼吸もないくせに死者とは思えない瑞々しさで横たわっていたら、さぞや驚き戸惑っただろうに。
 元々身に着けていたトレンチコートと、常に持ち歩いている小型のトランクは寝台の側にまとめてあった。彼は身支度をして部屋を出た。鍵はかかっていなかった。
 廊下に出ると蛍光灯の白い光に目が眩んだ。薬液の強い匂いと、隠しきれない死と病のにおいがした。やはり彼は病院に搬送されたのだ。人間に感謝しつつ、彼は姿を変えて建物から脱出した。
 だいぶ長くなった春の日が微かに残光をとどめていたが、すでに宵闇が街をすっぽり包みかけていた。もっとも、建物の灯りやけばけばしいネオンサインで、街は昼のように明るい。しばらく漂っているうちに新宿駅を見つけ、地理の見当がついたので元の姿に戻って通りにおりたった。まだ完全に夜の支配下に入ってはいない宵の口のこの時間に、気力を使う変身は疲れる。
 さて、これからどうしようか。
 何のあてもなくあたりを見回した時だった。ふいに、彼の目は一人の子どもに釘付けになった。少年に見えたが、箱襞のスカートを穿いているところをみると、少女なのだろう。髪も目も濃い色をしている。人違いだ。あの人のはずがない。そう冷静に打ち消しながらも、彼は子どもから目が離せなかった。
 ……主(あるじ)に、似ている。


 <美針からモリヤに宛てたEメール>

 差出人 : 美針<missing@*****.co.jp>
 送信日時 : 4月21日 木曜日 21時50分
 宛先 : 守屋<nopain@****.jp>
 件名 : アウアア新作

 御機嫌麗しく存じます。ミシンで御座います。
 ブログにUPされていたアウアアの戦利品、どれもとても素晴らしくて、ワタクシ羨ましくて死んでしまいそうです。嗚呼、ワタクシにもアウアアを好きなだけ買わせてくれるような金持ち父さんが欲しかった……。
 若さ故の愛だけが取り柄のダァリンはアウアアどころか、リズリサの小物ひとつ買うだけの財力もありません。ワタクシは額に汗して働くのみだわ……(貴族なのに……)

 ワタクシも昨日マルイワンのアウアアに参りまして、新作にうっとりしつつも下見だけで帰ってきたのですが(嗚呼、悲しき哉貧乏人の性)、店員さんに妙なお話を聞きました。
 何でも、守屋さまが未遠ちゃんのためにお迎えされたブラウスとジャケット、あれと同じものを持ってフィッティングルームに入られた男性が、そのままいなくなってしまったのだそうです。いつまで経っても出てこられないのでお声をかけても返事がなく、あまりにも反応がないので思いきって開けたら中はもぬけのカラだったとのこと。
 あの狭い店内のことですから、店員さんに見つからないようそっと抜け出すことなど、ちょっと出来ないと思うのですが、不思議なこともあるものです。

 お茶会ももう間近ですわね。
 守屋さまと未遠ちゃんにお会いできるのを、楽しみにしております。未遠ちゃんにもよろしくお伝え遊ばせ。


 ストロベリーのiMacをシャットダウンして、モリヤはベッドに倒れ込んだ。スチール製の、病院のベッドのような無機質なパイプベッドの白い枕に顔を埋め、身体の奥からせり上がってくるどす黒くドロドロした感情をやり過ごそうとした。けれど息を殺してじっと耐えているうちに、黒いものはなす術もなくモリヤの胸のうちに広がり、脳内を支配した。
 美針とコンタクトを取るときまってこうなった。うわべだけの馬鹿女、取り巻きにちやほやされてるからって「貴族」になりきるなんて本物のアホか、気取っておかしな文語調で日記書いてるけど基本の「てにをは」が間違ってるんだよ、ボケ、と自分のブログサイトの隠しリンク先のBBSに書き殴って収まればいい方で、接触したのが体調が良くないときだったりすると涙が止まらなくなったり、わめかずにいられなかったり、寝込んでしまったりすることさえあった。そのくらい、美針はモリヤの神経に障る女だった。
作品名:ファッション 作家名:柳川麻衣