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さかきち@万恒河沙
さかきち@万恒河沙
novelistID. 1404
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【Light And Darknrss】月光

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 夢幻のような、月の光。
 蒼白な月の光は、記憶を抉る。

      ☆

 ――誰カ。タスケテ……。


 天忍日命は小さな囁きを聞いたような気がして、寝床から体を起こした。
 青い闇が、あたりを満たしている。深い夜だ。
 軽く、首を振る。
 静かだった。
 そう。この屋敷には、天忍日命しか居ないのだ。
 天津久米命が地神族の手に堕ち、捕らえられてからもう三月にもなる。宇受女は忍日と建御雷を小碓皇子のもとへ残し、罠と承知で彼を救出に向かったのだった。すればこの屋敷の所在も敵にしれていることだろう。
 だから忍日は、地神の手が伸びることを案じて、小碓も健御雷に預けてこの屋敷から場所を移させた。
 宇受女と久米の力なくして小碓を守りきる自信が、忍日にはなかった。
 そして彼女も久米もまだ戻らない。
 何があったのかすら、わからない……伝令役である『御先』にすらも、事の動向は見えていなかった。戦局は悪化し、平穏な日はほとんどない。建御雷に委ねた小碓皇子は疲弊し、休む暇もなく、あらゆる面で神経を磨り減らしつつあった。宇受女たちの力が、必要だった。
 忍日はひとり思案に暮れる。
 不安と焦燥が募るばかりだ。
 澱んだ不安。
 灼けるような焦燥。
 それは、予感だ。
 日増しに強まる不吉な予感を抱えながら、夜を越えて行くうちに、三度目の満月 。
 吐息して、髪を掻く。
 そして障子を開け、縁側へ出ると、晴れた夜空に蒼白い月があった。
 季節の変わり目の風は、露を含んで少しばかり冷たい。
「……」
 気の、せいか 毎日の焦りと不安が聴かせた幻聴か……そうおもって、寝床へ 戻ろうとしたときだった。
 庭の灌木が蠢いた。
 ――!
 ふっ、と鼻先をいたのは酸の匂い。
 血 の、匂い――。
 敵か 忍日は一瞬身構えたが、そうではなかった。
 神力による結界にて屋敷を守護する忍日自身に気づかせることなく、一体どうやって邸内に侵入したものか、そこにいたのは 三月前から行方不明になっていた青年 天津久米命。
 忍日はそれを認めて言葉を失った。
 気が、遠くなるほど非道い姿に……その男は変わり果てていたのだ。
「く……くめの―――― !!」


 腕に、重く重くのしかかるもの 掌に滑るもの。
 命を宿さない、骸。生臭い血。白い着物は鮮血の色に染まっていた。
 久米命は自分の腕が抱えたモノがなんであるのか、すでにわかっていなかったかもしれない ただ、もうすっかり冷たくなったそれに小さく頬を寄せて。強く、離すまいと、ここまで、この腕に抱いてきたのだろう。亡骸は重く、冷たく、もはやそれは彼が求めたものではなかったけれど、それでも手放すことができなかった。正気を失った執着だけが、意識の底にある。久米命をつき動かしているのはただただ、それだけだった。
 亡骸の少女は 青年の腕の中。
 顎をのけ反らせて、月を仰ぐように……絶命していた。口許から胸のあたりを汚す大量の血は、まだてらてら光っている。身につけた着物は真紅。
 舌を……噛み切ったのか。
「……久米命……」
 呼ぶと、生気のない瞳がこちらを見た。けれどそれだけだった。声はない。
「……」
 忍日は裸足のまま、縁側から庭へ降りた。戻ってきた、青年と。骸に成り果てた少女。踏み出す足の先から、がくがくと震えるのを自覚した。
 せめて。不吉な予感を必死に否定しようと、少女の顔を確認するために指を伸ばす。すると彼はびくっと肩を揺らし、力尽きたように、その場に膝をついた。
 がくん、と骸の顔が忍日の方を向いた。そしてその遺骸は、転がるように地へ投げ出される。 忍日は息を止める。
「……っ」
 血に汚れた黒髪が、地面に広がった。苦悶の、表情が凍って いた。
 間違いない。彼を助けるため、罠ということも知りながら、敵の懐へ飛び込んでいった……誇り高き天神族の巫女媛。天宇受女命だった。
「……久米命……!!」
 放心、していた。
 いまのいままでしっかりと、しがみつくように抱き締めていたその遺骸にはもう興味をうしなってしまったかのように、瞳の焦点は定まらず、動こうともしない。
「……久米! しっかりしろ! 久米!? これはいったいどういうことです! 久米! ……久米命っ!」
 血の匂いに耐えながら、両肩をつかんで揺さぶっても反応はなかった。瞳は死んだ魚のように濁り、眼はひくとも動かない。
 血まみれの両手を、ぼんやりと見下ろしている。
「久米命……」
 忍日は――。
言葉もなく。ただただ衝動的に、久米命を強く抱き締めた。そんなことをしても、彼の正気は戻ってこないだろうけれど。どうにもならないだろうけれど。
 おそれていたことは、現実になった。
 しがみつくように、黙って抱き締めて忍日は 唇を噛んだ。どうして。彼ばかりがこれ程までに苦しみを背負わなくてはならなかったのか。解放してやる術が、ないなんて。
 もう……ここで終りなのだろうか。
 誰より忠実で、裏切りなど犯すはずかなかった彼だ……なのに。
「……宇受女さまを……とうとう……手にかけてしまったんですね……」

      ☆

 それは最も凄惨な記憶だった。
 あれから百の歳を数えようとする今でも、刻み込まれたそれは色褪せることがない。
 女神を失った日の、記憶。


 月光に眩暈を感じる。
 晴天の夜空を見上げればいつも、瞼の奥に閃光と鋭い痛みを感じた。熱い痛みとともに真紅に染まりだす世界。
 あふれた真っ赤な液体に汚れた女神の躰。
 鈍くくすんだ光を放つ瞳孔。
 ――最悪だ。
 天忍日命 大伴義貴は月を仰ぐのを止めた。


 蒼ざめた淡い虚無。


「なんだよ。ぼーっとして」
 ビルの谷間の神社の境内。陛に腰を下ろして、久米命 悠弥が笑う。
 今生、この宿体で 大伴義貴が久米悠弥に出会って早半年が過ぎようとしていた。
 この古びた小さな神社は、悠弥の住まいであるという。義貴は、悠弥に呼び出されて初めてこの神社を訪れた。告げることがある、という――。
 月光冴え渡る、季節は秋。
 悠弥は彼のまなざしを見返した。
 あのときと同じ、月。
 その白々とした光は、目をそらしてもやはり静かに降り注ぐ。所詮、逃げられはしないのだ。あの記憶からは。この現実からは。
 久米命も嫌な日を選んだものだ、と思う。よりによってあの日と同じ月の夜とは。
「それで、話、というのは?」
 胸の痛みを堪えて問うと、悠弥はまた微かに笑った。それがなぜだかとても寂しげにみえて、はっとした。
「……悠弥?」
「……ひとつ、お前に頼みがあるんだ、義貴」
 駄目だ、と義貴は反射的に思った。
 この男の、このまなざしが嫌いだった。
 しかし義貴の制止よりも悠弥のそれのほうが早かった。いいざま、悠弥は懐中から手にした小刀を翳したのだ。
 月の光に鋭く蒼い反射。
「悠弥……駄目だ!」
「おれはまだなにもいってないぞ」
「聞く耳……もてない。そんな……」
 それでも悠弥は頓着しなかった。狼狽露な義貴を無視して、続ける。
「……もしも。もしもおれが、あのときのように自制を失ったら」
 ひた、とその刃を自らの首にに押しつけて、悠弥は義貴の瞳を覗き込んだ。