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夜想曲

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今の生活はキライ。
誰も私を見ていない。
私が私であることを誰も認めていないから。
必要とされるのはウワベだけ。
ウワベの綺麗さだけが私の存在意義だった。

「今夜の宿、決まってらっしゃる?」

お決まりのセリフを馴染みの酒場でくり返し、目に留まれば明日は安泰。
ウワベだけで買ってくれるから、困ったことはないけれど。
私の内心の嘲笑にも気づかぬまま、一夜限りの契りを結び、金を残して翌朝去っていく。
くり返されるセリフと同じにくり返される毎日。

白粉(おしろい)をはたいて紅をひき、髪を結い上げるといつもと同じ夜が始まる…。



酒場での日課は一杯の水割りを頼んで売り上げにちょっとだけ貢献してあげること。
あとはグラスを受け取るときにマスターへ最高の微笑みを贈って。
手首をくるりと回したら、あめ色の液体がつられてキラリとゆらめいた。
グラスにそっと口を付け、ことさらゆっくり嚥下すると、ひやりとした感触が喉を焼く。
同時に私のほんの少しのプライドさえも洗い流して。
するりと胃の中へ落ちて消えていく。

「赤ワイン」

不意に聞こえてきた声。
とろんとした目で隣を見上げれば、すらりと丈高い黒ずくめの男性。
不意に合った夜闇より深い目の色にドキリとし、サッと目を背ける。
一つ離れた椅子を引き。衣擦れの音。コトリと音を立ててグラスが彼の前に置かれ。
ちらりと横目でうかがえば、綺麗な指がグラスにかかる。
ゆらりと揺れた赤い色が、彼の口元へと…。

見れば見るほど綺麗な男性(ひと)。
あの指で、あの唇でなら…、なんて思った。

ほんのり赤い頬に手を当て、隣へ向かってニコリと笑う。

「今夜の宿は、どちらに?」

隣の彼へいつもと同じセリフを投げかけて。
腕に彫られた刺青を見せつける。
カラダに彫られた消えない烙印。
これを見た人は、大抵蔑んだ目で笑い、残りは好色な目で笑う。

「まだ、決めていないが?」

あら?
いつもと違う普通の反応。
気づいていらっしゃらない?
それとも、気づいていて心の中で笑っているだけかしら?

…どちらでも、かまわない。
あなたの目に私だけを映せるのなら。

「私の所へお泊まりになりませんか?」

わずかな沈黙。
闇がわずかに揺らぐ。

久しぶりに見た純粋な驚愕。
私の方が驚いてしまいそうな、そんな顔。
現れた素直な感情に口元から自然と笑みがこぼれ出す。

「…いいだろう」

向けられるはずのない、柔らかな笑みが私をとりこにする。
私が呆けている間に、グラスを一気にあおる。
スッと差し伸べられた手にそっと手のひらを重ねて立ち上がる。
ふらりと寄り添った彼の腕に私の腕を絡ませて。
カウンター越しにマスターへちょっとだけ笑って見せた。



ぱたりと音が鳴り、部屋の中には二人きり。
グラス一杯の水割りでほろ酔いで。

絡めた腕をゆるめると、少し上にある彼の顔に手をかけた。
ついとわずかに手をすべらせて、じっと闇色の目をのぞきこむ。
近付いてくる美貌を見つめたまま、ゆっくりと目を伏せていく。
回した腕に口付けと同時に力を込め、自ら身を寄せて。
更に深くしようとすれば、彼の方が身を引いた。

「どうかなさいました?」
「俺は…」

苦しげに眉を寄せる。
あなたが、どうしたというのかしら。
たとえあなたが何者でも、私には何の意味もなさないのに。
言葉を紡ごうとした彼の口をふさぎ。
長すぎる犬歯に気づいたけれど。
ゆっくりと首を振った。

「言葉ならばいりません」

私の望み。それは、今宵、一夜だけ貴方の腕に抱かれること。
もし貴方が人でないとしても。
ただ、今宵の客が変わった方だったというだけのこと。

…だから、そんな顔をなさらないで。
私が惹かれた美しい顔が悲しげな様を見たくはないんです。

私は一晩、貴方に買われたのです。
貴方が吸血鬼で私の血を求めるなら、喜んで差し出しましょう。
貴方がそれで満足なさるのなら。

見目麗しきあなたに惹かれ、声をかけたのは私なのだから。
あなたが吸血鬼だとしても、私にはなんの異論もない。
貴方に触れてもらえるだけで本望なのです。

再度首に腕を回しても彼は拒まなかった。

「さあ、どうぞ」

ニコリと笑って、彼の唇を私の首筋へ導いた。
軽く触れた熱さに身を震わせて。
一瞬の痛みさえ何の気負いなく受け入れて。

ツ、と伝い落ち、首筋を赤く染めたそれを、彼はゆっくりと舐めあげる。

「人と我々とは決して相容れぬものだと思っていた。
人の言う永久を生きる我々は畏怖の対象でしかないのだと。
だが、お前は俺を恐れない」
「貴方は姿のみならず心も美しい方。
人間よりもずっと温かい…」

封じた涙を溢れさせる優しさ。
私にふれる指先から、それが伝わり。
ゆったりと背をなでられながら、本気で泣きそうになった。

「貴方の傍にいられる人は、きっと幸せなんでしょうね…」

『幸せになりたい』
昔に捨てたはずの夢が思い出されて。
目が潤むのを感じた。

「…ごめんなさい。忘れてください」

こぼれそうな涙を堪えつつ、そっと彼の胸を押して身を離す。

…何を言ってしまったのか。
ひどく後悔して。
顔を上げられなかった。

言っても仕方のないこと。
どんなに望んでも、今は今としてあり続けるしかなく。
どんなに嫌っても、この生業に身をやつすしかない。
救い、幸せ、希望、未来…。
私から縁遠い言葉達。

くり返しだけでいい。
これ以上悪くならないなら、それでいい。
そう決めていたのだから。

「お酒でもお持ちいたしましょう」

返事も待たず立ち去ろうとして、手をつかまれてしまう。

「お前は、死にたいのか?」
作品名:夜想曲 作家名:狭霧セイ