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紫一乃(しいの)
紫一乃(しいの)
novelistID. 8621
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やさしい嘘

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私が純ちゃんと出会ったのは、私が小学校1年で純ちゃんが3年の時だった。
私が小学校に入学する直前に今住んでいる団地に引っ越してきたので、当時、家族全員がこの辺りの土地にも人にも不慣れだった。
そんな中、うちの母が一番最初に仲良くなったのが純ちゃんのお母さんで、純ちゃんの家まで連れて行かれた時に出会ったという訳だった。

私は3階、純ちゃんは階段違いの5階に住んでいて、外から見ると2階違いの隣同士だった。
私は、暗くなってから帰ると、階段を上る前に必ずうちと純ちゃんの家の窓を見上げる。
やわらかいオレンジ色の2つの明かりは、いつも温かく、とても安心させてくれるものだったから。
そして、2階違いの隣同士というのも気に入っていた。
純ちゃんは歳も背も中身も全て私より2階分上で、その2つの高さの違いは私達が並んでいる姿のように思えたからだった。
少し高い所で、私の視野では気づかない所で、私の頭のてっぺんにある2つのつむじを見て笑いながら、純ちゃんがいつもちゃんと私を見守っていてくれていることをちゃんと私も知っていた。


高校を卒業したばかりの純ちゃんが体調不良のために検査を受け、その一週間後に入院した。
純ちゃんのお母さん――おばさんは、菜々ちゃんは身内みたいなものだから、と言って、純ちゃんの病名を教えてくれた。
白血病の一種で、余命はあと3ヶ月と宣告されたのだと言う。
おばさんはそこまで言うと顔を手で覆い、肩を震わせて泣いた。
私は、今聞いた話が現実のものとは思えずにいた。
まるで、悪い夢の中にでもいるような感覚だった。

これから先の現実を受け入れることなんて、私にはできない。


「菜々にだけ話すけど」
純ちゃんの声は日に日に弱まっていたけれど、その分やさしさを増していくようだった。
「僕の周りの人達は皆、やさしくていい人ばかりだ」
「なに?急に」
買ってきた花を生けようとした手を止めて、私はそう言った。
「皆、僕のために嘘をついてくれてる」
足の先が冷たくなっていくような不安が込み上げ、心臓が縮むような感覚を覚えた。
「そういうのが下手な人達ばかりだから――でも、底なしのやさしさが感じられるよ。それがすごくうれしいんだ。本当に感謝してる」
私は、純ちゃんの顔が見られなかった。
「言ってることがよく分からないよ」
つっけんどんにそう言うと、花と花瓶を持って逃げるように病室を出た。

純ちゃんは知っていた。
自分の命があと少しだということを。
自分につかれた嘘を。
そして、それと同じくらいのやさしさを持って、騙された振りを続けている。

足早に給湯室に入ったと同時にその場にしゃがみ込んだ。
堰を切ったように涙が溢れ、嗚咽が漏れた。
ここからでは決して気づかれるはずのないそれらを必死で押し殺しながら、思い知る。

私は、いつだって純ちゃんの助けにはなれない。


しばらく経って病室に戻ると、純ちゃんは眠っていた。
花瓶に生けた花を置いて純ちゃんを見ると、その顔は白く血の気を失っていたので、私はひどい不安に駆られた。
そして、一瞬の迷いの後、純ちゃんの頬にそっと手を触れてみる。
小さな頃はためらうこともなく抱きついたり手をつないだりしていたのに、今は眠っている純ちゃんの頬に触れようとするだけで戸惑ってしまう自分がいた。
純ちゃんの頬は温かく、その体温を手のひらに伝える。
私は、手のひらを通して、純ちゃんと私の生命がつながっているような感覚に陥った。
ずっとこうしていれば、純ちゃんに私の生命を与えることができる――もし、神様にそう言われたら、私は決してこの手を離すことはないだろう。でも、それは、私一人が描いている絵空事に過ぎない。
だから。

私は、純ちゃんの頬から手を離すと、今度はその頬に自分の顔を近づけて、ゆっくりとキスをした。
兄のような純ちゃんにではなく、妹のような私としてでもない、最初で最後の恋人にするようなキス。
夢ではない、紛れもない現実。
純ちゃんの寝息は、静かで、落ち着いていて、ちゃんと整っていた。
その寝息をすぐそばで聞いて、私はさらに安心する。


「菜々は、もう一人で大丈夫だよな?」
純ちゃんは、すでに自力ではベッドから起き上がることができなくなっていた。
そして、ささやくような小さな声になってしまったけれど、目はより一層深いやさしさに満ちていて、吸い込むように私を見ていた。
どう答えていいのか分からずに黙り込んでいると、純ちゃんは静かに微笑みながら手招きをした。
そばに寄ると、純ちゃんは、私の頭にある2つのつむじを見せてほしいという。
私は、顔を下に向けて頭のてっぺんを見せた。
「菜々のつむじは本当に面白いよ。これが見れなくなるのが、一番残念だ」
微かだけれど、楽しそうに笑っている声が聞こえた。
その時、私の顔が純ちゃんに見えなくて心からよかったと思った。
泣くのをこらえて歪んだ顔を、楽しそうに笑っている純ちゃんには見せたくなかったから。
「ありがとう」
純ちゃんにそう言われて、私は顔を上げた。
普段通りの表情に戻っているはずだった。
純ちゃんは笑顔のまま、今度は自分の手を私の頭の上にのせる。
「もう、自分一人で歩いて行けるだろ?」
純ちゃんは、さっきと同じような言葉を繰り返した。
私が黙ってうなづくと、純ちゃんは安堵の表情を浮かべる。


純ちゃん、周りの人がやさしいのは純ちゃんがそうだからってこと、やっぱり純ちゃんも嘘が下手で、自分のことよりも私のことを考えて告白を受け入れてくれなかったってこと、私はちゃんと知ってるんだよ。


どこまでも限りなく果てしなく兄のように接する純ちゃんに、喜びと安らぎと幸せと悲しみと、そして、永遠に変わることのない想いを感じながら、私は、最初に純ちゃんに出会った時のことを思い出す。


頭の上にのせられた手は、あの時と変わらない。
私にとっては、いつだってやさしくて大きくて、とても温かい。



「純の最後の言葉がね、『紫陽花小道』だったの。その言葉の意味は分からなかったけれど、とてもやさしい、幸せそうな顔をしていたわ」
おばさんは、まるで私がその言葉を知っているかのような口調で、純ちゃんの最期の姿を語ってくれた。
そして、その言葉の意味は聞かないでいてくれた。
紫陽花小道は、純ちゃんと私だけの、永遠に誰にも明かすことのない秘密の場所にしておきたかった。
ただ黙ってうなずいているだけの私の様子に気づいて、おばさんがそっと抱き寄せてくれる。
「そんな顔をしてまで、泣くのを我慢しなくていいのよ。もう、嘘をつく必要はないのだから。純はちゃんと分かってくれているわ」
そう言うと、おばさんは母親が赤ちゃんにするように、私の背中をポンポンと軽く叩いた。
その瞬間、感情の糸が切れる音を聞いたような気がして、気がつくと、私は幼い子供のように泣きじゃくっていた。



日曜日。
私は、紫陽花小道へと向かっていた。
さっきまで降っていた小雨は霧雨になり、傘を差しても差さなくてもいい、それを自由に選択できるようなお天気雨に変わっていた。

作品名:やさしい嘘 作家名:紫一乃(しいの)