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ファンタジスタは闇を抱く

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ファンタジスタは闇を抱く





その世界最大のスタジアムで今、フットボール世界一を決める決勝戦が行われていた。

四年に一度行われる世界大会の誘致に成功したこの国は、この伝説級のスケールを誇るスタジアムを建造するために、農村をひとつ潰した。さまざまな事情から移動することさえできなかった無数の家屋や墓石、そして遺骨の上に鎮座するすり鉢状のスタジアム。突き上げてくる風の生温かさは、事情を知る者たちに怨念めいた恐ろしいイメージを喚起させながら、近隣の山から吹き下ろす冷たい風との間でせめぎ合う。

最上段の席から、サッカーコートを肉眼で目視することはまず不可能である。井戸の底を覗き込むようなものだ。だからこのスタジアムには、そこかしこに巨大スクリーンが設置されている。どこに目をやっても観客たちの視界には、必ずそれが二つ以上入ってくる。彼らは皆一様に、どのスクリーンがより見やすいかを数分掛けて判定する。そうしてやっと固定された彼らの視線は、熱気でむせ返るスタジアムのあちこちで目に見えず交差している。

時間にしてわずか数秒ではあったが、その111万の視線が一斉にひとりのプレイヤーに注がれる瞬間があった。

その直後、まず、地鳴りのようなブーイングが起こった。その圧倒的な人工の振動が空間を揺さぶり、111万の聴覚が破壊される。次に、至る所で発煙筒の煙が上がる。下から昇ってくるスモークに気付いた直後、視界は煙に閉ざされる。目が慣れてくると、最前線のフーリガンたちが暴れる姿が否応なく視界に飛び込む。飛び交うビール缶、空のボトル、口汚いヤジ、それらも全て、鳴り止まぬことのないブーイングの波動に溶けていく。



地獄絵図と化した観客席に周りを取り囲まれながら、そのサッカーコートだけは聖域のように穏やかで、清潔で、幻想的だった。



延長戦後半もロスタイムに入り、残り時間は1分程度。

スコアは1対0。

この、周りの地獄絵図の引き起こした張本人である『フク』もまた、聖域の住人だった。今、彼の五感は眼前に迫りくるプレーヤー以外の一切を感知できていない。
足元から30センチ以上離れることのないその神業的ドリブルは、全ての人類を置き去りにする。すでにフィールド上20名のプレイヤーは、茫然とフクの背中を見送っていた。

ゴールキーパーと一対一になる。

フクの目にはもはや、キーパーさえ映っていない。背後のゴールネット、最終到達点、その右上辺り。踏み込んだ右足が完璧な発射制御を確信させ、振り上げた左足が完璧な精度を約束した。

そのとき、左足の付け根辺りが悲鳴を上げた。

「…… だったら、足ごとくれてやるよ」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



大会が始まる1か月前、フクは『支部長』に呼び出されていた。

「…… それは、簡単に言うと、八百長しろってことですか?」

「言葉を慎しんでくれ。今すぐ理解しろとは言わない。だが、これが真実だ。世界の理。フットボールの歴史と共に歩んできた、絶対的な不文律なのだよ」
カツラのように丁寧にまとまった白髪のオールバック、口髭をいじりながら、まったく悪びれることない支部長のその態度が、20代前半のフクをさらに威圧した。
「この世界大会においては、きみたちはアスリートではない。役者なんだ」

“世界サッカー協会”。世界の主要各国に必ずひとつ存在するその支部は、プロ、アマチュア問わず国内で行われる全てのサッカー競技を統轄している。その支部長である彼は実質、国内サッカー界の頂点に立つ男である。

「世界のコトワリ? …… それは、オレが生まれるずっと前から、この世界大会で行われてきた試合は全部八百長だったってことですか? 最初から全試合の勝敗が得失点差まで決められていて、参加した全チームがそれに則って試合してたと言うんですか?」

「…… そういう理解でも構わないよ。少しだけ説明しようか。まず、優勝国や準優勝国及び、決勝トーナメントに出場できるチームというのは、その4年間での協会への貢献度で決められている。くじ引き等でランダムで決めている訳じゃない。もっとシンプルにいえば、協会への寄付金の額が多い順位が、イコール世界大会の順位になる、といえる」

「賄賂なんかで、優勝が決まるって言うんですか?」
フクはわざと呆れかえった声を発することで、なんとか怒りを抑え込んでいた。

「…… 言葉を慎んでくれと言ったはずだがね。だが、こうやって聞いてみるときみ自身も、実は合点がいくことが多いのではないか? なぜ上位国はいつもいつも南米やヨーロッパ勢ばかりなのか。なぜ我が国は今までずっと苦酸を舐め続けてきたか。…… 答えは簡単だよ。そういった強豪国の寄付金は、我が国とは比較にならないほどの巨額だったからさ」

支部長はなぜこんな国家レベルの機密事項でありそうな話を、“飼い猫を去勢しました”レベルのテンションで話せるのだろう、とフクは思った。

「たしかに、そういった強豪国と我が国とでは、プロリーグの規模や興行収入もけた違いだ。とはいえ、なぜ、我が国と彼らの間にそれほどの格差が生まれたのか …… その理由はもう、きみには分かっているのではないか?」

「…… この国は、サッカーよりもベースボールに力を注いでいるからでしょう?」

支部長は目を細めて頷く。

「馬鹿げてますよ。冗談じゃない」

「よく考えるんだ。いや、よく考えなくてはいけない。大の大人がここまで真剣に、自分の息子ほどの年齢の若者に対して、ここまで腹を割って頼みごとをしている。これが伊達や酔狂ではないことぐらい、きみにだって分かっているのだろう? であれば、そういう思考停止したような受け答えはもう二度とするな」

支部長の迫力がまるで父親の威厳のようだと、父親をよく知らないフクは思った。

「きみも幼い頃からフットボールが好きだったはずだ。ずっと憧れてきた選手のひとりやふたりぐらいいるだろう。それを今、頭に思い浮かべてみてくれ」

今までTVで観てきたプレイヤー、その中で目標にしてきたプレイヤー、心底“こういう人になりたい”と思ったプレイヤーを、フクは頭の中に次々と思い浮かべた。パラパラ漫画のように、20人の顔が一瞬で頭を通り過ぎた。

「今、きみが思い浮かべたその選手たち全員、今のきみと同じようにこの申し出を受けてきた。そしてやはり、同じように抗議もしてきたよ。だが結局は全員、一人の例外もなく全員がこの話を承諾してきたんだ。…… 何故だか分かるか?」
終始口髭をいじっていた手を後ろに組み、支部長はまっすぐにフクの目を見る。