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世界地図屋さん

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観光名所も特に何もないこの街が、今の私の住み付いている街だ。ここは住み易くて居心地が良い。特に大きな事件もなくて、事故もなくて、街の人たちもよくご飯をくれたりする。私の仲間も多く住んでいて、街全体の風通りも良い。静かな場所や日陰のある場所も、至る所にある。ただ、これと言った特産品があるわけでもなく、観光名所があるわけでもない。
 そんな街の、何の変哲もない大通りの、何の変哲もない曲がり角に、一つのお店がある。入口の上には『世界地図屋』という看板が掲げられていた。店の外側の壁は、古ぼけた様な色模様で大きな世界地図が描かれている。中々派手で随分と目立つように見えるけど、街の雰囲気によく馴染んでいた。私はよく分からないのだけど、他ではあまり見掛けない珍しいお店らしい。
 ここの店主は、短い髭を生やしたおじさんだ。体と声の大きな人で、よく私の頭を乱暴に激しく撫でる。そういうところはあんまり好きではないけど、怒ることもないし優しくしてくれる所は好きだ。
 朝の、通りが人でそろそろ盛んになり始めた頃に、世界地図屋は開店する。がちゃんと扉の鍵を外して、外の閉店中の意味を示す看板を片付けて、営業開始だ。外に出た店主は一回空を眺めて、豪快ににっこりと笑った。なんで笑うのかは、私にはよく分からない。一緒に空を見るけど、空には何かが浮いているわけでもないし、なんで笑うのかはやっぱり分からない。店主の見る空はどんな風に見えているんだろう。
 世界地図屋の営業が始まると、私は店に入るのだった。たまに行かない時もあるけど、ほぼ毎日のように世界地図屋には行っている。店の扉は閉まりっぱなしだけど、私の力でも簡単に押して入れる。おでこで扉をぐいぐいと押すと、扉はぎいいと鳴り響いて開く。中に入ると、店主は驚いたように目を丸くして私を見た。
「おお、また来たのかい?」
 私は頷いて鳴いた。鳴くと、店主はまた外で見せたような豪快なにっこりとした笑いを見せた。私の鳴き声は、そんなにも面白いのだろうか。
 この店で売っているものは、世界地図だけだ。店の名前の通り、ここは世界地図を売っている。店の壁には額縁で綺麗に飾られた地図がいくつか、色々な風景の写真も何枚か貼ってある。その下に置いてあるいくつもの籠には、丸められた地図が何本も入っている。あちこちに置かれたテーブルの上には、透明な四角いケースに保管された地図がある。どれも、世界を記した地図だ。
「お前さんは、地図が好きなのかい?」店主が聞いてきた。
 前に、世界地図がどういうものかを店主は教えてくれた。私は、地図など見ても、最初はそれが何なのか分からなかった。世界地図というのは、この一枚の紙に、世界の全てが細かく描かれているんだと、店主らしい夢のあるような口調で教えてくれた。それを聞いても、私は別に世界地図を好きにはならなかった。
 そうでもないよ、と鳴くと、店主は私の頭をぐりぐりと撫でた。多分店主のことだから、今のことは伝わっていないのかもしれない。
 私がこの店に来るのは、この店の居心地がとても良いからだ。店主の声が少し喧しいことを除けば、丁度良いおくつろぎのスポットである。仲間にも教えていない、私だけのスポット。それに、お昼の時間になると店主は私の分のご飯まで作ってくれる。店主の作るご飯は美味しい。
「お前もすっかり、この家の子だなあ」ご飯を食べている私に、店主はにこにこ笑いながらそう言った。店主は笑顔以外の顔をあまり見せない。この家の子、というと、私は店主に飼われているということになるのだろうか。飼われているから、こんな風に毎日美味しいご飯が食べられるのだろうか。それはちょっとだけ気分が良いけど、店主の大きな声は、やっぱりちょっとだけ苦手だ。
 お客は、朝は殆ど来ないのだけど、昼のご飯を食べ終えた頃になると何人か来るようになる。皆大人の人で、ケースに入った地図を眺めてふんふん頷いている人もいれば、籠から丸まった地図を取り出して広げてさっと見て、また丸めて別の地図を見て、を繰り返している人もいた。
 お客の中には、私の見ると近付いてくる人もいる。子供は苦手なのだけど、大人ならばあんまりしつこくしてこないから苦手じゃない。例外もたまにいるけど。逃げないでいると、お客は私の頭を優しく撫でてくれる。殆どの人は店主とは違う、心地の良い撫で方だ。
 世界地図はこんなにも色々あるのだけど、どうしてこんなに種類があるのか、私は不思議に思った。
「お前も地図を見てみるかい?」
 店主はそう言うので、私は何も言わずにじっと顔を見つめた。何を言っても、店主なら全て肯定に受け取る気がした。
 店主は私のお腹に手を回して、ぐいっと持ち上げた。こういう持ち上げ方をされると、お腹が結構苦しい。私は下ろしてくれるように鳴くと、店主は地図の入ったケースの上に下ろした。
「ほれ、これでもなんとか見えるだろう」
 透明のケースに立っているせいか、体が浮いているようで少し気持ち悪い。私の足元、そのケースの真下には世界地図が広げられている。私が寝転がっても、覆い切れないくらいにそれは大きかった。
 なんだか面白い模様だなあ。私の世界地図を見て出た感想は、それくらいだった。これを見てふんふん頷くお客は、何を思っているのだろう。少なくとも私は、これを見てもふんふん頷いたりはしなかった。
 一通りくるくる回りながら見ると、店主はまた私を持ち上げて別の地図を見せた。今度のものもさっきのと似ているのだけど、少しだけ模様が違う気がする。
「違いが分かるかな?」
 良く見ると、それは地図の模様がただ単にずれているだけだった。中心にあった筈の大陸が、右の端っこまで移動している。代わりに左の端っこにあった大陸が中心に移動していた。
「国によってな、世界地図の中心が違うんだ。自分たちの国が世界の中心の方が嬉しいんだろうな」
 店主は楽しそうな声で私に説明してくれた。「ずれているだけも、雰囲気が変わっていて面白いだろう?」と言うけれど、その面白さは、私には少し伝わらなかった。
 三枚程見せてもらって、私はやっと床に下ろしてもらえた。世界地図のことが少しだけ分かった気がするけど、やっぱり、世界地図自体に興味は持てなかった。でも地図の上に立つというのは、なんだか心がわくわくした。どうしてわくわくしたのだろう。店の外の壁に描かれている大きな世界地図を見て、あの上を歩けたら気持ち良さそうだなあ、などと思ったことはあるけど、あれと似たような感覚なのかもしれない。
 それから店主は夕方まで、私に世界地図の違いを教えてくれた。国によって違うのは中心の位置だけじゃなくて、色やその描き込み方だとか、国の呼び名まで違うのだとか、地図の匂いまでも違うようなことを言っていた。店主の世界地図を熱く語る話にはあんまり興味ないけど、店主の世界地図を熱く語る様は、見ていて面白い。それでもずっと見ていれば飽きてくる。私は店から出ようとすると、店主はそれを見計らったように店の裏からおやつの小魚を持ってきた。仕方なく、私はそれをちまちま食べながら、店主の話を聞く振りをしていた。
 そろそろおやつも食べ飽きてきた頃に、店主の娘が帰ってきた。
作品名:世界地図屋さん 作家名:白川莉子