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体感温度

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壊れた弓



蒼穹という言葉を思い出した。
窓の空は青い空だ。
目の前には、陰鬱なハルカの顔。
不調和で滑稽な、アングラ演劇の一幕のようだと、ユメコは思った。
生い茂る新緑の匂いと共に風がカーテンを揺らす。
良い天気の、良い放課後だ。
「僕が女やったら良かったのに。」
ハルカが陰鬱な仮面を貼り付けたまま吐き出す。
彼はハルカという名前にぴったりの、繊細な心を持った少年だった。
しかし外見ばかりは、あくまでも普通の男子学生でしかない。
どちらかといえば体育会系で、筋骨逞しいとも言えるかもしれない。
小学校中学校と剣道に熱中した結果らしいが。
そればかりが彼の悲劇だろう。
「アタシも男だったら良かったのにって思ったことあるよ。」
昼から封を切ってあるポッキーを齧りながら、ユメコは漢字のワークブックに取り組んでいる。
ハルカとは対照的な、見事に何も考えていないような顔だった。
「どうして。」
次の言葉を口にしないハルカに、ユメコは一度顔を上げて促す。
風が、大きくカーテンをはためかせた。
良い天気だ。
少なくとも漢字のワークなんかやってられない。
しかし、今日はこれを提出しなければ帰れない。
カオルなどはさっさと美術部へ行ってしまった。
何でも新しく取り組んでいる作品の調子が良いんだとか。
彼女が戻ってくるまでに仕上げて待っていなければ、多分カオルは頑張れと言って帰ってしまうだろう。
一人で帰るにしたって、良い天気だから。
「だって僕が女やったら……トモキは、好きになってくれたかもしれんし。」
ハルカは繊細すぎる。
異端視されることに耐えられないほど。
こんな子がゲイだというのは可哀相だと、余計なことだがユメコは時々思ってしまうのだ。
代われるものならば幾らだって代わってやろうとは思うのだけれど、
如何せん、そんなことは自然法則的に不可能なわけで。
相談相手という立場に甘んじる。
ハルカが恋をしているトモキを、ユメコは知っているけれど。
直談判に行こうとは思わない。
そこまでのお節介は、自分の役割じゃあない。
「でもトモキ君はアタシが告白しても好きになんないでしょ。アタシも女だけどね。」
「……。」
「初めて好きンなった人相手にそう思ったけどさ、多分アタシが男でも振られてたと、今は思うし。」
「でも、可能性が、広がると思う。」
「あくまで可能性じゃない。」
「30%と60%は、違うやん。」
「……ハルちゃん、言うのと言わないのとでも、確立違うって知ってる?別にハルちゃんに告白しろなんて言ってないけどさ。要は高校生活の中でこれだけ人を恋したっていうキレイな思い出が欲しいンなら、言わないことをお奨めするし。熱烈に彼をどうこうしたくて、どうこうされたくて夜も眠れないんです結果が欲しい、っていうなら、砕けても当たるべきだと思うのよ。でもねでもね、ただ当たって砕けるのはお奨めしないな。アタシは勝算がある程度ないと、砕けたくないからねー。」
「ユメちゃんのは、強い人間の論理やわ。」
「……それ以上言うと、アタシ怒るかもしんないけど?」
「……。」
ユメコは口から出てきそうな溜息を飲み込む。
このままではハルカを非難してしまいそうだ。
自分だってカオルの時は同じ状況だった。
そう言ってやりたいとも思う。
ただ、ハルカが自分のように無神経になれないことも知っているから、言えるわけがないとも思う。
どれだけの人が、自分たちの思いを承認してくれるだろう。
どれだけの人が、その矛先が自分に向いたとき、逃げないでいてくれるだろう。
そうしてどれだけの人が受け入れてくれたときに自分たちは、ハルカは、楽になるんだろうか。
運命とかいう関連の言葉は嫌いなのだけれど。
まるでキューピッドが間違えて矢を射っているとしか思えない。
この想いが最初から壊れていたなんていうことが、慰みになるとは思っちゃいないけど。
「ハルちゃん。」
「……。」
「ホウドウってこれで良かったっけ。」
放道と書き込んだ欄を指差すと、ハルカは笑って違うと言った。
少しだけ呆気にとられた顔。
ごめんね、解決策なんて見つからないから。
沢山のことを誤魔化し続けていると、心の奥の方で申し訳なく思いながら。
ハルカに笑って解らないと言った。

作品名:体感温度 作家名:はち子