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ペシミストの幸福

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5月5日、子どもの日。
これほど憂鬱になる日が、果たして他にあるだろうか。
明日から仕事が始まる。
同じことを繰り返すだけの、楽しくもない地獄のような毎日が始まる。
そう考えるだけで、私の心には黒い闇が巣食ってゆく。

布団から抜け出たのはもう日も傾き始めた頃で、
とてもじゃないけど、明日から仕事に復帰できるとは思えなかった。
今朝明け方布団に入ってから目が覚めるまでずっと布団で寝ていたから、
全く何も口にしていないのにも関わらず、空腹は微塵も感じなかった。

だるい体を奮い立たせ、冷蔵庫で冷えた缶ビールをぐいっと飲む。
アルコールを摂取することで、少しは心のこの暗雲も晴れてくれるだろうか。
そう思って飲んでみたものの、気持ちが軽くことはなく、むしろ目頭が熱くなるだけだった。

そうだ、逃げよう。逃げてしまおう。
咄嗟に思いついたのは、現実から逃避することだった。
私は化粧もせず、Tシャツにデニムを履き、財布と携帯だけズボンのポケットに押し込んで部屋を出た。

外は、茜色の空をしている。
太陽も間もなく沈む。
それと同じように、私も暗闇の中に沈んでしまおう。


二条駅まで歩いていると、家族連れやカップル、高校生のグループなどとすれ違う。
駅前の映画館で映画でも見てきたのだろうか、それともモスバーガーで溜まってきたのだろうか。
各々楽しそうに、笑いながら家路を辿る。
数か月前は私も彼らと同じような姿をしていたのだろう。
今は恋人からの電話すらない。

改札を通りぬけると、ホームには人が疎らに立っていた。
私もその中に混ざるようにして、電車を待つふりをした。
二条駅は快速も止まるので、いけない。
京都方面へ行く列車がホームに現れ、私は吸いこまれるように乗り込む。

車内は人影もまばらで、愈々感傷的になる。
座席に腰掛ける人々は其々携帯電話や本に夢中になっていたり、或いは隣に座る人とのお喋りに夢中である。
同じ空間に存在していながら、まるで私だけそこから切り離されているような、何とも言い難い気持ちがこみ上げてきた。
ああ、私など、結局誰からも必要とされていないのだ。
ここに居ても、何ら意味がない。

車内のアナウンスが丹波口駅に着くことを告げた。
私はそそくさと逃げるようにドアから飛び出した。
二条駅に比べ、丹波口は更に人が少ない。

私は今度は反対側の乗り場の△1と描かれた所に立った。
黄色い点字ブロックの上に立ち、快速列車が通るのを待つ。
電子掲示板に目を向けると、18:48 快速-亀岡行 通過と表示されている。
私がここに存在するのも、後、10分少々。
さようなら。


すでに太陽は沈み、薄暗い空色へと移り変わっていった。
建物の灯りが、滲んでみえた。
人気の少ないホームは静けさに包まれていた。
何とも私に相応しい終末ではないか。

そうして、瞼を閉じた瞬間の出来事だった。
デニムのポケットの中で、携帯電話が振動した。
震えるそれを大慌てで引き抜くと、着信があった。

「もしもし、今、話しても?」
懐かしい声が、受話器の向こうで響く。
喉が渇いている私は、声にならない声を出す。
「ごめん、怒ってる?」
電話の向うの彼は、少し甘えた声で私にそう聞いた。

「なあ、頼む。…なんとか言ってくれ。」
「…うん。」
「あぁ、よかった。口も聞かないまま、電話切られるかと思った。」
「……うん。」

頬を生温かい物がつぅと流れる。
ホームのアナウンスがまもなく1番乗り場を列車が通過することを告げる。

「今、駅?」
「うん。」
「そうか。こんな時間からの呼び出しで悪いんやけど」
「…うん。」
「今から飯、行かん?」

彼がそう言うと同時に、私の眼の前を、列車が凄い勢いで駆けていった。
私が、飛び込もうとした列車は、一瞬にして視界から消えていった。
あんなスピードで跳ね飛ばされたら、きっともう、頑張らなくてもよかっただろうに。
彼は、彼自身知らぬ内に、それを引きとめたのだ。

「でも、私、今、ノーメイクやし。」
「そんなこと、気にしないって。」
「それに、ジーパンにTシャツで、オシャレしてないし。」
「大丈夫、そんな姿も可愛いって。」
「…でも。泣いて、不細工な顔してるんやけど。」
「……ごめん。でも、会ってくれへん?」

彼の声が響くたびに、私の胸の内の黒々とした闇が、晴れてゆくのを感じていた。
さっきまであれほど厭世感に支配されていた心が、急に桃色へと変色してゆく。

「私も、会いたかった。」
「よかった。さっきアナウンスが聞こえたんやけど、今、もしかして駅に居るん?」
「そう。」
「じゃあ、車で迎えにいくわ。二条か?」
「うぅん、丹波口。」
「なんでそんなとこに居るん?」
「…秘密。うそ、会ってから教えてあげる。」
「そうか。ほな、40分くらい待たすけど、どっかで時間潰しといて。」
「分かった。リサパのスタバで待ってる。」
「ん、なら、また着いたら電話するわ。」

通話が終わる頃には、もう、私の涙はすっかり渇いていた。
私は駆け足で階段を駆け下りてゆく。
改札の外から空を見上げると、黒い空には丸い月が浮かんでいた。
太陽が沈んでも、月灯りが私を照らしてくれている。
そんな錯覚を覚えた。

途端に、喉が渇き、お腹がぐう、となった。
なんて、単純なんだろう。

アホやなあ、私、と呟くと、沸々と笑いがこみ上げてきた。
私はくすくすと笑いながら、駆けだした。

すれ違う人が私の方をちらりと見やる。
笑いながら走り去る私の姿は、頭のおかしい人に見えたのかもしれない。
だけども、そんなのは気にならない。
今晩、彼と何を食べようか。
今、私の頭の中はそんなことで一杯だ。
作品名:ペシミストの幸福 作家名:あかね