ふゆのはな
主人は縁側でひとり、酒を飲んでいた。雪はいつまでも止む気配がなかった。降る雪が盃に入る。それを飲み干してまた酒を注ぐ。いつからそうしているか、すでに分からなくなっていた。ただいつまでも雪が降っている。
ふと、顔を上げるとそこに女がいた。
雪の庭にひっそりと座り、三つ指をついてこちらを見上げている。主人は、ああ、と声を出した。
「待っていたよ」
「遅くなりまして」
女は頭を下げた。結い上げた黒髪に、緋色の着物に、白い雪が降りかかる。主人ははだしのまま庭に降り、盃を差し出した。女は躊躇したが、主人の笑顔を見て受け取った。「よろしいので?」
答えの代わりに盃が満たされた。女はくい、と白いあごを上げて飲み干した。両手を添えて盃を返す、その顔がほんのりと赤い。主人は受け取りながら聞いた。
「お別れかい?」
女はうなずいた。
「もう、春でございます」
「雪が降っているけれど」
「すぐに止みます」
主人は空を見た。心なしか明るくなっているようだった。
「お別れだね」
「ええ。でもその前に」女は微笑んだ。「むすめをつれてまいりました」
「え」
主人は驚いて女を見た。女が後ろを向くと、ひとりの少女が前に出てきた。丈の短い着物を着て、白い帯で結んでいる。丸い頬がほんのりと赤かった。
「名は」
主人が聞いた。少女は戸惑っているようだった。照れているようにも見えた。女が促すと、少女は足元を見て、それから主人の方を見た。
「・・・べに」
「良い名だね」
少女はようやく笑った。女がいとおしそうに目を細めた。
「まだ先になりますが、わたくしのあとは、この子が継ぎます。その後は、またこの子のむすめが」
「ずっと続くのだね」
「愛しんでくださる限りは」
女の黒い瞳を主人はじっと見た。女も主人を見た。視線を横切る雪もいまはもう少ない。白い景色のなか、ただ二人が見詰め合っていた。
つ、と女が視線を逸らした。
「お別れでございます」
主人が息をついた。女は立ち上がって裾の雪を払った。
「それでは、また」
「また、来年」
女が頭を下げた。少女も頭を下げた。主人が目線を下げ、上げてみるともうふたりの姿は無かった。雪の上に何か残っている。かがんで拾い上げると、それは赤い椿だった。傍らにはつぼみもあった。
「また来年か」
主人は呟いた。花の色は美しかった。雪がひとひら目の前をよぎる。それきり、もう雪は降らなかった。