【リリなの】Nameless Ghost
遷章 第六話 Vibration
地上で輝く星のような街明かりを前に空の星々はくすんで見えて、冬の冷涼で澄んだ空気の上では少し欠けた月が煌々と輝く。
地面より遙かに高い屋上に吹く風は強く、フェイトの着る裾長のスカートが音を立ててはためいている。
何が起こってしまったのか。何が終わり、何が始まろうとしているのか。
フェイトはただ呆然と立ちつくすだけで、それらを何一切理解することが出来なかった。
理解してしまうのがたまらなく嫌だった。
一瞬で広がった闇の固まりは二人の少女を包み込み、飲み込み、そして今では消え去ってしまっている。
先程までそこには、はやてがいたはずだ。シグナムがなのはのリンカーコアを蒐集し、足りないページを補うために自分の命を捧げ、そして闇が広がった。
ただそれだけのことなのに理解が追いつかない。感情が追いついてこない。
フェイトは、そこに立っている一人の背の高い女性を呆然と見つめる。
「ユーノ、なのは。お姉ちゃんは? お姉ちゃんは、どこにいるの?」
ガタガタとふるえる膝に何とか力を込め、フェイトは虚ろなまなざしを周囲に向けるばかり。ふるえる歯と歯が擦りあわされる音が酷く耳障りで、いっそのこと目と耳をふさいでしまいたかった。
「フェイト……」
隣から届くユーノの声もはっきりとしない。
「ねえ、ユーノ。お姉ちゃんがいないの。さっきまでそこにいたはずなのに。どこに行ったのかな? お姉ちゃんは、どこに行っちゃったのかな?」
ユーノは魔力の枯渇でもうろうとするなのはを抱きしめる手を強め、ゆっくりと指を持ち上げた。
ユーノの指の先、そこにたたずむ長身の女性。銀色の長い髪に、アリシアと同じ真っ赤に染まった瞳。
そして、その瞳から涙を流してただ月を見上げる女性をフェイトははっきりと目に映した。
「アリシアは、たぶん。あそこにいる」
どこにもいないとフェイトは叫びたかった。不自由な足で地を這う少女もそこにはいない。
すべて、闇が飲み込んでしまった。
「……また……すべてが終わってしまった……いったい、幾たびこんな悲しみを繰り返せばいいのか……」
闇を纏う少女が、涙ながらに見上げる月にはどのような理由があるのか。
フェイトはアリシアに月の明るい夜はあまり外に出ない方が良いと言われたことがある。
月は死者の眠る場所だと言っていたアリシアのその表情をフェイトは忘れられない。
ならば、眼前にたたずむ銀色の女性もまた、死んでいった人々への悲しみに涙を流しているのかとフェイトは思った。
「……なんで……」
その悲しみがいったい誰に向かっているのか。どうして彼女は月を直視することが出来るのか。
「フェイト?」
手を握りしめ、身体を振るわせるフェイトをユーノはどこか危ういと感じた。
「しかし、主の願いの通り、私は主の安息と無事を実現するためこの世界のすべてを破壊しよう」
銀髪の女性。闇の書の意識体はそういって溢れる涙をぬぐい、その細い腕をゆっくり頭上へと掲げた。
焦げた色の帯に包まれた驚くほど白く細い腕は、まるでフェイトの目からは月を握りしめる魔手のごとくそびえ立つ。
「安息の闇に沈め、世界よ……」
掲げられた掌には、その言葉に呼応するように一握の闇が生まれた。
ドクンと脈動する黒く輝く闇。
「まさか、空間攻撃!? そんな、こんなところで……」
シャマルの悲鳴のような叫びがフェイトの耳に届けられる。
「シャマル。これ、どういうこと」
豹変した主と闇の書を見て狼狽するヴィータはシャマルに縋るように近づく。
「分からない。分からないわ。こんなこと……起こるはずがないわ。これじゃまるで……暴走……」
「まさか、イージス達が言いたかったことって……。それじゃあ、あたしらは今まで何のために……」
自分たちのしてきたこと。自分たちがあのときしようとしてきたこと。シグナムのあの行為が引き起こした答えが目の前にある。
動けないと二人は感じた。
「ヴィータ、シャマルさん!」
言葉を失うヴィータとシャマルにユーノは鋭く声を投げつけた。
ヴィータはその声に振り向く。その目には屋上の床面から僅かに浮き上がるユーノの姿が映し出された。
ユーノに抱えられたなのはは未だに息が荒い。
それを見れば、シグナムがどれほど強引に彼女のリンカーコアを引き抜いてしまったか良く理解できる。
ヴィータは、ズキリと胸がうずいたような気がした。
ユーノの腕に包まれるなのは。不謹慎と分かっていながらもヴィータは、どうしてあそこにいるのが自分ではないのかと一瞬考えてしまったのだ。
「とにかく、いったん離脱しよう。ここはどう見ても危ない!」
「ああ、分かったよイージス。行こう、シャマル」
ユーノの言葉にヴィータは先程までの感情を振り払った。
自分は感情に従って行動するわけにはいかない。彼のリンカーコアを蒐集した時に立てた誓いを再び胸に宿し、ヴィータは素早くシャマルへと言葉を投げかけた。
「ええ、分かったわ」
シャマルは素早く感情を切り替え、待機状態へ戻していた自身のデバイス――リング状のアームドデバイス<クラールヴィント>――をペンデュラム(振り子)に起動させ、ヴィータの手を取った。
「無の安息に沈め……。デアボリック・エミッション……」
無の安息。それは何もないが故に何の苦しみも悲しみも存在しない世界。すべてを破壊するため、その破壊の一撃を生み出すため、闇の書は己が掲げる闇の固まりを発散させた。
「まずい。行くよ、フェイト、急いで!」
徐々に広がっていく闇。それはすでに闇の書の少女さえも包み込み、ユーノはなのはを抱く力を強め、飛行魔法のシーケンスを起動させた。
眼下には未だその場を動こうとしないフェイト。いつの間にかバリアジャケットを身にまとい、バルディッシュをその手に握りしめてただたたずむフェイト。
「返して……」
フェイトは思い出していた。時の庭園が闇に沈んでいくときと同じだと感じた。
あの時、彼女はただ虚数空間に沈んでいく母をただ呆然と見守ることしかできなかった。
捧げた手は振りほどかれ、捧げるはずだった愛情は拒絶され、それでも構わないという誓いは受け入れられなかった。
そして、母は自分達を置いてただ一人で旅立ってしまった。
「フェイト! 早く!!」
だが、アリシアは違った。アリシアはフェイトを受け入れた。不器用ではあったが、彼女は精一杯フェイトの家族になろうとした。
「返して! 私のお姉ちゃんを、返してよ!!」
《Sonic Form》
(もう、あのときのような悲しみを繰り返したくない。大切な人が、家族が目の前で消えていくのを見るのはもうたくさんだ!)
フェイトは静かに燃え上がる激情を今一度奮い立たせ、バリアジャケットの外装をパージさせた。
風になびくマントが取り払われ、腰を覆っていた柔らかなスカートは姿を消し、つま先から太ももまでを覆っていた丈長のソックスは身を隠した。
そして、姿を示したのは、極めて薄防のアンダースーツのみ。
《Sonic Sail action》
作品名:【リリなの】Nameless Ghost 作家名:柳沢紀雪