ゼロ
機械
時間は円をめぐる歩行者のようで、はてのない夢境にて死を装い続ける。驟雨にぬれた林の小道で、あざやかな多面体をステッキで描く。数々の速度がきざまれた都市の舗石の上で、マッチの火をともす。視界をおおい始める煙雪に足をとめて、黄道へとのぼってゆく。彼の親指の空洞には夕暮れの空がひろがっていて、ガラスでできた小部屋で少年が恋文を書いている。時間には足音がない。
ひとつの機械が彼の手のなかに目覚めている。そこから世界のあらゆる突端へとのびるナトリウム繊維。南へと移動する硬質な空に、幾条ものみぞを彫りこむ。機械は求めているのだ、孤児のように。だがしずかに外部となった石英刃は、瞬間にひらめいて絃を截断する。
にぶい金属音。降りそそぐ雨滴に呼応するかのように、刃は絃を選別する。やがてひとつの大きな音律へと、パターンは描かれる。刃はみずから砕け散り、表皮へと突きささり、内部となる。
……液体、だったのか。時間の手の甲にてとけゆく雪片は。赤血、だったのか。歯車のすきまを満たす重くふてぶてしい液体は。芳園、だったのか。時間の足首からにじみ出る醇美な赤血は。墓標、だったのか。機械の中心部にかたむき明滅する回路素子の芳園は……。
剪定されたかなしみに、機械はくるおしく周波数をゆらがせる。するどい回転音。限られてしまったのだ、秋めいた孤島へと。約束の地へと飛び立つ黒鳥の群れ、大魚から逃げおおせるうつくしい熱帯魚。そして、上気する湖。機械は時間の手を離れ、大気圧を二重に迂回しながら発声をかぞえ上げる。梢をめぐって嘆きに沈み、血の温度を三度さげる。機械には比熱がない。
星々はゆがみ、海面は下降した。機械はふたたび温度を上げ、風景のそれぞれの断層から電磁波のスペクトルを呑みこむ。ウサギの目に映る数々の記録の精度。「あのウサギは動く墓標だ。うつむいた衛星が彼を射殺す前に、僕が大地へと固着させてやろう。」機械はすべての導電線を引きちぎると曇天の空へと跳びあがった――。
紫の粒子たちの間をかいくぐって、ウサギの背の上に着地する重機械。内臓のつぶれる湿った音に、マザーボードの砕けるかたい音。
錯乱した機械にはノイズがなだれ込む。それきり、機械は活動を停止した。
いつまでも、海は笑っていた。
時間の手のなかには新しい機械が、血を吸いながら胎動をはじめていた。