『何代目の私か、という問い』
ふと考える。
今ここにいる私は、いったい何代目なのだろうか。
親がいて、祖父母がいて、さらにその前の人たちがいる。
数えていけば、答えは出るように思える。
けれど、少し遡るだけで、その数はすぐに現実を超えていく。
十代さかのぼれば、千人。
二十代で、百万。
三十代では、もはや億という単位に届く。
そんなはずはない。
歴史上の人口を軽々と越えてしまう。
宇宙の計算式は、常に私の想像力を裏切る。
つまり、そこには「重なり」がある。
同じ血が、何度も交差し、折り重なりながら、
今の「私」という一点に集まっている。
だから私は、一本の直線ではない。
無数の分岐と選択、出会いと別れ、
生と死の交差点をくぐり抜けてきた、
いくつもの命の集合体だ。
一人でも欠けていたら、ここにはいない。
一度でも途切れていたら、ここにはいない。
ほんの少しでも違っていたら、私は別の誰か、
あるいは「存在しないもの」だった。
そう思うと、
「何代目か」という問いは、どこか的外れに思えてくる。
私は何代目でもない。
私は、途切れなかったすべての結果だ。
名も知らぬ誰かの選択、
見知らぬ土地での出会い、
生き延びた夜、守られた命、
そして、つながれてきた時間。
そのすべてが、今ここで息をしている。
だから、今日という一日もまた、
ただの一日ではない。
この命は、預かりものだ。
そして同時に、次へと渡すものでもある。
何代目かはわからない。
けれど確かなことがある。
私は「続いている」という事実そのものだ。
私は、未来の誰かにとっての『名も知らぬ先祖』
という名の、最初の雫(しずく)になる。
作品名:『何代目の私か、という問い』 作家名:タカーシャン・ソレイユ



