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タカーシャン・ソレイユ
タカーシャン・ソレイユ
novelistID. 70952
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見られたいのに恥ずかしい

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人は本当は、見られたい。

存在を感じてほしい。
認めてほしい。
心のどこかで、光を当ててほしいと思っている。

しかし同時に、人は恥ずかしい。

目立つことが怖い。
笑われるかもしれない。
否定されるかもしれない。

だから人は、前に出ながら、少し隠れる。
輝きながら、少し俯く。

これが
「見られたいのに恥ずかしい」
という不思議な心理である。



もし人間が、見られたいだけの生き物なら、
世界は自己主張だらけになるだろう。

もし人間が、恥ずかしいだけの生き物なら、
誰も前に出なくなるだろう。

しかし人間は、その両方を持っている。

見られたい。
でも恥ずかしい。

この矛盾が、人間を美しくしている。



例えば、子どもは
「見て見て」と言いながら、
どこか照れている。

恋をした人は、
好きな人に気づいてほしいのに、
目が合うと逸らしてしまう。

舞台に立つ人でさえ、
本当はどこかで恥ずかしい。

それでも、人は表現する。

恥ずかしさを抱えたまま、
それでも前に出る。

そこに人間の輝きがある。



恥ずかしさとは、
弱さではない。

それはむしろ、
人間の美しさを守る感覚なのかもしれない。

恥じらいがあるから、
人は傲慢になりすぎない。

照れがあるから、
人は優しくなれる。

そして不思議なことに、
人は恥ずかしがりながら輝く。



もしかすると人生とは、

「見られたい自分」と
「恥ずかしい自分」を

少しずつ仲直りさせていく旅なのかもしれない。

恥ずかしさを消す必要はない。

それを抱えたまま、
ほんの少しだけ前に出ればいい。

その姿こそ、
人間らしさだからだ。