咲かせる教育
何でもできる人を育てる。
それが長いあいだ、
教育の理想だと信じられてきた。
平均点を取り、
空気を読み、
波風を立てず、
そつなくこなす。
便利で、扱いやすく、
組織にとって安心な人材。
けれど私は思う。
それは“人材”ではなく、
“仕様に合った製品”ではないかと。
人は、工場で均一に成形される部品ではない。
花だ。
同じ種を蒔いても、
咲く時期も、色も、香りも違う。
にもかかわらず、
私たちは長いあいだ
同じ高さで咲くことを求めてきた。
遅い花は焦らされ、
早い花は管理され、
はみ出す花は刈られる。
その結果、
「何でもできる人」は増えたかもしれない。
だが、
“忘れられない人”は減った。
個性の花を咲かせた人。
その人は、
何かが極端だ。
偏っている。
こだわっている。
しつこい。
やめない。
あるいは、
突然やめる。
周囲から見れば扱いにくい。
しかし、その偏りこそが
社会を前に進める推進力になる。
私は昭和の現場を知っている。
鍛えられ、耐え、
結果を出し続けることが正義だった。
それはそれで、意味があった。
だが今は違う。
令和は、選ぶ時代だ。
速さより深さ。
均一より独自。
正解より問い。
では、どう咲かせるのか。
答えは意外と単純だ。
比べないこと。
急がせないこと。
許すこと。
そして、
「役に立て」と言わないこと。
役に立つかどうかで
子どもを測る瞬間、
花は固く閉じる。
いるだけでいい。
好きでいていい。
変わっていい。
そう言われたとき、
花はゆっくりと開きはじめる。
教育とは、
咲かせることではない。
咲ける土を整えることだ。
水をやりすぎても枯れる。
日を当てすぎても焼ける。
放っておきすぎても萎れる。
だからこそ必要なのは、
管理ではなく、観察。
評価ではなく、伴走。
何でもできる人が人材なのではない。
自分にしか咲けない花を咲かせた人こそ、人材だ。
その花が一輪咲けば、
周囲の景色は変わる。
七人いれば、風になる。
百年後、
この国がどんな色に染まっているか。
それは今、
どれだけの花を
急がせずに待てるかにかかっている。
作品名:咲かせる教育 作家名:タカーシャン・ソレイユ



