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タカーシャン
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novelistID. 70952
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「なるほど」という思考の終止符

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「なるほど」という思考の終止符

 テレビを点ければ、アナウンサーの「なるほど」という相槌が耳を突く。専門家の解説に対しても、被災地の悲痛な訴えに対しても、彼らは万能の免罪符であるかのようにこの言葉を繰り出す。だが、その響きに「理解」の深化を感じることは稀だ。むしろ、そこにあるのは会話の「打ち切り」と、思考の「停止」である。

 本来、「なるほど」は評価のニュアンスを含む言葉だ。目上の者が下の者に、あるいは審判が判定を下す際に発せられる。それを「視聴者の代表」を自称する若手アナウンサーが、百戦錬磨の識者に投げかける不遜さ。そこには、相手に対する敬意(リスペクト)よりも、「自分の番組を円滑に回す」というエゴが透けて見える。

 「なるほど」で話を終わらせる。それは、相手が投げた言葉の礫(つぶて)を、受け止めることなく地面に叩き落とす行為に等しい。内容を咀嚼し、自らの血肉として問い返す「知的な格闘」を放棄した三流の仕草だ。この「わかったつもり」の積み重ねが、マスコミを「マスゴミ」と揶揄されるまでに貶めた。

 さらに深刻なのは、この低俗な言葉の伝染である。メディアが発する浅薄な言葉の枠組みは、知らず知らずのうちに国民の思考の枠組みへと転移する。複雑な事象を「要するに〇〇ですね」と強引に要約し、他人の不幸を「今のお気持ちは?」と土足で踏み荒らす。こうした品格なき振る舞いが日常の風景となれば、国民の知性もまた摩耗していく。

 メディアはその国の「知性の顔」である。その顔が、空虚な「なるほど」で茶を濁し続ける現状は、一国民としてあまりに恥ずかしく、残念と言わざるを得ない。

 私たちは今一度、言葉の重みを取り戻すべきだ。安易な納得に逃げず、沈黙や問いを恐れない。メディアを「鏡」として己を省みるならば、その鏡に映る言葉は、もっと誠実で、もっと重たいものであるべきだろう。