持たざる心の、持てる者たち
「富の蓄積は、精神の枯渇を伴うのではないか」。最近、そんな思索に触れる機会があった。経済的に成功を収めた「富裕層」と呼ばれる人々。その煌びやかな生活の裏側で、実は「心の富裕層」は絶滅危惧種なのではないか、という問いである。
かつて、アダム・スミスは『道徳感情論』において、人間が富を追い求めるのは、他者からの同情や称賛を得たいがためだと説いた。しかし、その競争が激化する現代において、富はもはや手段ではなく、終わりのない「数字のゲーム」に変質しているようにも見える。
マズローの欲求階層説を引くまでもなく、生存の不安が消えた先には、自己実現や精神の安寧が待っているはずだった。だが皮肉なことに、手にするものが増えるほど、失うことへの恐怖も肥大化する。守るべき資産が壁となり、他者を信じる心や、無償の愛といった「目に見えない豊かさ」を遮断してしまうのだ。
「足るを知る」という古人の言葉が、これほどまでに重く響く時代もないだろう。どれほど贅を尽くしても、心の内側に広がる空虚を札束で埋めることはできない。真の豊かさとは、銀行の残高ではなく、他者の痛みに寄り添える想像力の余白にこそ宿る。
もし、この世に「心の富裕層」がいないのだとしたら、それは富が人を汚すからではない。富という魔力によって、「自分はもう十分である」と満足する能力を麻痺させてしまうからではないか。
作品名:持たざる心の、持てる者たち 作家名:タカーシャン



