流転するマテリアル
朝、ゴミを分別しながら、ふと思うことがある。このプラスチック容器やアルミ缶の行く末は、私たちが義務としてこなす「廃棄」ではなく、一種の「転生」ではないか、と。
「物のリサイクル」と「生命の循環」。一見、無機質な工場と瑞々しい森の営みは対極にあるように見える。しかし、その根底を流れる原理は驚くほどに等しい。
科学の目で見れば、私たちの体を作る原子の一粒一粒は、かつて星の内部で焼かれ、数億年前には太古の巨獣の一部だったかもしれない。生命が死して土に帰り、再び青々とした若葉へと姿を変えるように、物質もまた形を変えて旅を続けている。アルミ缶が溶かされ、再び冷たい輝きを放つ飲料缶として棚に並ぶとき、そこには生命の連鎖にも似た「再生」の意志が宿っている。
熱力学の法則によれば、宇宙は放っておけば無秩序へと向かう。その崩壊に抗い、エネルギーを注ぎ込んで再び「秩序(かたち)」を与える。これこそが、生命が数億年続けてきた営みであり、現代社会がリサイクルという名で行っていることの本質だ。
私たちは、単にゴミを減らしているのではない。物質という名の「有限なバトン」を、次世代へと繋ぐための儀式に参加しているのだ。
窓外に目を向ければ、枯れ葉が土に混じり、春の準備を始めている。その傍らで、回収車が資源を載せて走り去る。二つのサイクルが重なり合うこの世界で、私たちは「所有者」ではなく、一時的な「預かり人」に過ぎないことに気づかされる。



