捕獲が目的か、安全が目的か
「多少強引でも違反者を排除するのが仕事だと思った」。神奈川県警の巡査部長らが放ったこの言葉に、法執行機関としての傲慢(ごうまん)さが凝縮されている。約二千七百件もの交通違反取り締まりが取り消されるという異例の事態。そこにあったのは、交通安全への願いではなく、数字を追う「収穫作業」の実態だった。
本来、警察の役割は「抑止」にあるはずだ。制服を着た官吏が街角に立ち、パトカーが赤色灯を灯して存在を示す。それだけで事故のリスクは激減する。だが、彼らが選んだのは「隠れて待つ」こと、そして「見た」という主観を盾にした捏造(ねつぞう)だった。
被害を被るのは、常に汗して働く市民である。一回の不当な取り締まり、執拗(しつよう)な呼び止めは、物流の現場における「納期」という絶対の約束を破壊する。数分の遅れが信用失墜を招き、結果として職を辞すまで追い込まれた人がいる現実に、彼らはどれほど無頓着だったか。
この歪(ゆが)みは交通行政に限らない。ストーカー対策に代表されるように、警察は常に「事が起きてから」しか動かない。予防によって「何も起きない平和」を作っても、それは組織内の点数にならないからだ。国民を信じず、自らの評価のために「違反者」を作り出す組織に、正義を語る資格はない。
「立っているだけで効果がある」。このあまりにシンプルで正当な指摘こそ、今の警察が最も真摯(しんし)に受け止めるべき言葉だろう。事件の後始末や数字稼ぎに奔走するのではなく、市民の平穏な時間を一秒でも守ること。それこそが、本来の「仕事」であるはずだ。
作品名:捕獲が目的か、安全が目的か 作家名:タカーシャン



