民意はない
首相の座、内閣の存続、官僚機構の力学、予算の行方。
一票一票の背後で、巨大な利害と権限がうごめく。
建前では「民意を問う選挙」である。
だが現実はどうか。
選挙戦が始まると、国民生活の具体は抽象論に包まれ、
責任の所在は巧みにぼかされる。
争点は管理され、触れてはならない問題は最初から外される。
結果として、選挙は
国民の意思を反映する場というより、
既存の権力を再配分し、正当化する儀式に近づいてはいないか。
国民は投票する。
しかし選択肢は限られ、
選んだ後の政治過程にはほとんど関与できない。
選挙が終わった瞬間から、
政治は再び「専門家」と「内輪」のものになる。
だから多くの有権者が、
選挙の重要性を理解しながらも、
どこか空虚さを拭えない。
自分たちの暮らしは語られたのか、
自分たちの声は届いたのか――
その確信を持てないまま、結果だけが示される。
衆議院選挙は、民主主義の頂点であるはずだ。
同時に、民主主義が形式に堕していないかを映す
最も残酷な鏡でもある。
国民そっちのけの政治が常態化したとき、
選挙は「希望」ではなく
「諦観」を量産する装置になってしまう。
問われているのは、
誰が勝つかではない。
この選挙が、本当に国民のために行われているのか、
その一点である。



