見えない致命傷
新政権が掲げる理念や信条が、どれほど明快であっても、それだけで国家は動かない。政治とは、理想よりも先に現実を処理する営みだからだ。
高市内閣が仮に誕生した場合、その最大のリスクは支持率でも野党攻勢でもない。中国との関係、とりわけレアアースを軸とした経済安全保障の脆弱性である。
日本の基幹産業は、電気自動車、半導体、防衛、エネルギーと、いずれもレアアース抜きには成立しない。その供給網の上流から中流にかけて、中国が圧倒的な支配力を持つ現実は、もはや周知の事実だ。調達先の多角化が進んでいるという政府説明は、精錬・加工能力という最重要工程を意図的に曖昧にしている。
問題は、中国がこの分野を「外交カード」として使う必要すらない点にある。露骨な禁輸は国際批判を招くが、行政手続きや規制運用の微調整であれば、国際法の枠内で相手国経済に確実な打撃を与えられる。これは軍事圧力よりも効果的で、かつ責任の所在が見えにくい。
対中強硬姿勢を前面に出す政権ほど、このカードを相手に切らせる条件を自ら整えてしまう。台湾問題や価値観外交で主張を強める一方、資源依存の現実に対する備えが不十分であれば、それは戦略ではなく願望に近い。
政治の責任とは、正しさを叫ぶことではない。国民生活を揺らさない順序を選ぶことである。賃金停滞、産業空洞化、技術投資の遅れが進んだとき、政権はそれを外交の結果として説明できるだろうか。多くの場合、「景気」や「世界情勢」という曖昧な言葉に回収されるだけだ。
致命傷は、常に静かに入る。銃声もなく、敵の姿も見えないまま、国力だけが削られていく。理念先行の政治が、この現実を直視しなければならない理由は、そこにある。
〈おまけ〉
レアアースは「掘れた」だけでは意味を持たない。精錬できなければ、ただの石だ。にもかかわらず「海底から取れました」と成果のように宣伝する光景は、現実から目を背けた政治の象徴に見える。資源とは、使えて初めて国力になる。使えない資源を誇るのは、自立ではなく依存の裏返しであり、その哀れさに気づかないことこそが、最も深刻だ。



